三人の②


 結婚パーティーはサムの家の広大な裏庭で行われた。

 サムの自宅兼仕事場は、もとは廃業した農家の土地だ。

 八割ほどが売り払われた母屋の後ろの農地は、現在はよく手入れされた空き地になっている。

 国道一六九号、通称ジョン・ウェイン・ロードからは三メートルほど標高の高い、なだらかな丘と言ってもよい。

 ちなみに国道一六九号を挟んだその南東側が、ジョニーの生家であるジャクスン家である。


 新郎新婦とジョニーたち、それに二〇〇人は軽く超えようかという来客が戻ると、アイシャとバート上級曹長を始めとした居残り組が満面の笑顔で出迎えてくれた。

 近隣のホテルから人手を借りてもいたが、ウィンターセットは人口五千の田舎町だ。人手が足りないどころの騒ぎではなかった。

 そこでサムはジャクスン家とバート上級曹長に相談し、近隣住人と退役軍人会の手を借りた。


 おらが街であの戦乙女さまが結婚式を挙げなさる!


 つまりはそういうことになり、ウィンターセットの住人たちの多くは、それはそれは喜んで手を貸してくれた。

 

 バート上級曹長たちは、実に見事なパーティーの準備を完了させていた。

 見事に刈りこまれた芝生に、きちんときれいに並べられたピクニックテーブル。

 その上には腕に覚えのある者たちが寄ってたかって作り上げた、色とりどりの料理の数々。

 もちろんケーキや飲み物もふんだんに取り揃えられている。

 四台ばかり並べられたバーベキュー・ピット・トレーラーからは、程よい薫香臭と香ばしい肉の匂いが漂ってくる。

 その前に威厳を持ってたたずむバート上級曹長とジョニーの父こそは、まさにピットマスター炉端奉行というにふさわしい。

 ウィンターセット唯一の三ツ星ホテルから派遣されてきたケータリングスタッフたちは、自分たちの出番を今か今かと待ち構え、銃剣突撃せんとするアイルランド第二連隊もかくやというような士気の高ぶりを見せていた。

 丘の上には、数年前にエリザベートがジョニーにビールの缶を投げつけた丸太がまだ有り、南のほうを見透かせば、お祝いの場に詰めかけんとするウィンターセット市民の車列が続いていた。


「さぁ! 私の副官たちが夜も明けないうちから丹念に仕込んだ、自慢のバーベキューだ! 遠慮せず食べてくれ! みんな楽しもう!!」


 少佐殿閣下は来客たちを振り返り、諸手を上げてそう叫んだ。

 詰めかけた近隣住民、それにサムと少佐殿閣下にゆかりのあるもの達はまたしてもわっと声をあげた。

 軍服姿たちは若い者も脚萎えも、ビッと背筋を伸ばして敬礼する。

 普段より数倍色っぽく答礼した少佐殿閣下は、ジョニーの母と義姉に付き添われて、化粧直しにその場を離れた。

 さすがに純白のウェディングドレスのままで、肉汁たっぷりのバーベキューを楽しむ気にはならなかったらしい。


「いやはや、とんでもないことになったな」


 わずかに離れた場所からそれを眺めていたジョニーがぼやくと、いつの間にやら傍にやってきたサムとジョニーの兄のマイクが並び立つ。

 ジョニーとサムは海兵隊の礼装、マイクは地味だがかなり仕立てのよいモーニングを着こんでいた。

 サムはもうすぐ五〇に手が届こうかという歳だというのに、その人懐っこい笑顔はいまだ三〇半ばにも見える。


「俺もびっくりだよ、兄弟。こんな大ごとになるなんて。このあと何回敬礼すりゃいいのかわからん」

「お供しますよ、中尉殿」

「そいつはありがたい」


 ジョニーとサムはニヤリとした。

 軍人にとって社交は大事だ。


「軍人の来賓が多いのは予想してたけど、ほら、あれ見ろよ。グレイン家の連中まで来てるぜ。あいつらスライムなんて大嫌いのくせに、現金だよなぁ」

「ジェレミーまで居るじゃん。あの野郎、サムのことまでバカにしてやがったのに。高校の時のお礼参りにでも来たのか?」

「相手にすんなよ」

「わかってる。海兵で覚えたのは鉄砲の撃ち方だけじゃないさ。絡まれたら『昔のことは水に流してやるから、うちの自慢の牛でも食ってけよ』って言ってやる」


 ジョニーがスカして言うと、マイクとサムはピュウと口笛を吹いた。

 グレイン家のジェレミーは、ジョニーを最後までいじめていたミノタウロスだ。

 どう考えても少佐殿閣下とサムのおこぼれにあずかりたくて来ただけだが、ただ追い返すのは粋ではない。ジョニーの軽口はそういうことだった。

 そこにエリザベートがすっと現れ、ビシッと音を立てて背筋を伸ばした。

 敬礼を交わす。


「中尉殿。スタッフがお客様方のご案内に往生しております。二〇〇人までは対応する頭があったが、まだまだ来客が増えており、これ以上は現状では対応できかねると。つきましては奥様がいらっしゃるまで、当座の指揮を願います」


 いつものとおり、ハキハキとした、軍人らしい態度。

 それを見てサムはニヤリとしてから、生真面目な顔になる。


「承知した、伍長。この場は我が家のホームパーティーであるからには、ホストたる務めを果たさねばならん。伍長、三等軍曹、手伝え。ミスタ・マイク。弟君おとうとぎみをお借りする。なろうことなら、あなたの手もお借りしたい」


 マイクとジョニー、エリザベートに否応は無い。


「お隣さんの頼み事だ。喜んで」

「「アイアイ、サー!」」



「ひえー……疲れたぁ……」


 二時間ほども賓客の対応を行い、ようやく開放されたジョニーとエリザベートは丘の上の丸太の上に、崩れ落ちるように腰を下ろした。

 バリッとしていた軍礼服は、よれてシワになっている。


 下は現役バリバリの特殊部隊勤務の一等軍曹から、上は世界史の教科書にその名が乗るような退役元帥閣下までもが詰めかけていたとあっては、そうなるのも無理はない。サムですら腰が抜けそうな思いを何度もしたものだ。

 これで政治家が来ていたらと思うとぞっとするが、幸いにして少佐殿閣下の政治家嫌いはつとに有名であった。せいぜいが結婚式場に現役政治家の名代、それも国防族のそれが来るだけで済んでいた。

 ちなみにファースタンバーグ上院議員の名代はエリザベートが担っていたから、その政治的宣伝効果は推して知るべしだ。もちろんその疲労も、ではあるが。


 そんなこんなでへたばっていた二人の元に、メスキットに食事を載せて、アイシャがやってきた。


「二人ともお疲れ」

「サンキュー、班長ボス

「もう、ボスはやめてよ」


 ジョニーが礼を言うとアイシャは苦笑いして、顔の前で空いている方の手を振った。


「休暇明けたらアタシ海兵辞めちゃうんだし」


 それを聞いて、ジョニーとエリザベートはほんの少し表情を湿らせる。


「……わかってたけど、寂しくなるな」


 エリザベートはジョッキで貰ってきたジャクスン家のジンジャーエールを、チビリ、と舐めてそう言った。


「勘弁してよ! これ以上アンタたちと一緒にいたら、いくら体力あっても持ちゃしないわよ、あんなの!」


 とアイシャは呵々大笑し、エリザベートは即座に顔を赤くして俯いた。

 あの夜、三人で見た夢の終わりに、アイシャから流れ込んできた複雑な感情。

 エリザベートはその感情の意味するところをすぐに察し、猛烈な寂しさに襲われ、ジョニーとアイシャを押し倒した。

 そこから二人を開放するまで、実に十二時間はかかっている。


「ん゛ッ!! ……まぁそれはともかく。この後はどうするんだ?」


 照れた時の体色になったジョニーが、咳払い一つしてから質問を投げつけた。

 アイシャはジョニーにメスキットを渡すと、二人の間に割って入った。

 アイシャは西に向かって傾き始めた太陽を見上げながら、答える。


「アンタたちは海兵辞める気なんてさらさら無いでしょ? 本当は付いていきたいけど……たぶん、海兵としてのアタシはここまで、かな」

「そんなことないって」

「わかるんだよ、天才二人に挟まれてるとさ! だから一旦海兵やめて、臨床心理医師になろうって。だからどこかの医科大学の臨床心理医学に入ろうと思うんだ。一年か二年、勉強しないとだめだけど」

「……そっか」

「もう! そんな声出すなよぅ、エリー! 軍属になればまたアンタたちにちょっかい出せるかもしんないじゃん? ていうかそれ狙いだし」


 アイシャが無理に明るい声を出しているのは、二人にもわかった。

 なにかに堪えきれなくなったエリザベートがアイシャに抱きつき、肩に額を押し当てた。

 その時、背後から三人に声がかけられる。


「フムン。そんならここにあるイエール大学への途中入学推薦状と海兵隊から出る奨学金は、無駄になるのかな?」


 三人がぱっと振り返ると、そこには軍礼装に身を固めた少佐殿閣下が右手に封筒を持って、三人に隠れるようにしゃがみこんでいた。


「気ヲっ」

「待て伍長! 静かに頼む。ジョニーの母ちゃんがたが説法してくれってしつこくてさぁ、ちょっと抜け出してきたんだ。敬礼とかはナシだぞ」


 ぱっと立ち上がりかけたエリザベートの口を素早く抑えた少佐殿閣下は、なんとも言えないバツの悪そうな顔をしていた。

 高位の堕天使に説法を受けることは、合衆国の婦人にとって大変名誉なことだ。

 ジョニーが後頭部にもう一つ目玉を作って後ろを見ると、確かに彼の母親を筆頭とする女衆──その多くは今日の結婚式とパーティーの準備を手伝ってくれた人たち──が、少佐殿はどこだとサムに詰め寄っていた。

 なお、堕天使には神の子(すなわち天使と堕天使以外)に施された恩には報いねばならないという規律があり、説法でその恩を返すことが慣例となっていた。


「何やってんスか」

「ホント何やってんスか」

「見損ないました少佐殿のファンやめます」


 などと三人が言ったかどうかは判らない。

 ともあれ、三人の呆れたような視線を受けた少佐殿閣下はコホンと小さく咳払いし、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。

 ぎゅっと力を込めてアイシャの手を握り、その目を見据えて、穏やかだが力強い口調で伝える。


「これはな、二等軍曹。私からの餞別だ。よくぞジョニーを、愛する夫の義兄弟を戦場の虚無から連れ戻してくれた。エリザベートだけじゃきっとだめだった。サムに代わって礼を言う。本当にありがとう。君は最高の海兵隊員だ」


 一瞬あっけに取られたアイシャの目から大粒の涙がこぼれ落ちたのは、そのあと間も無いことだった。


 こうしてアイシャ・ラミレスの戦争は一旦の終わりを告げ、三人の道は分かれることになった。

 だが彼らは別れの挨拶などはしなかった。

 またな、海兵。

 それが彼らの言葉だったそうである。

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