デイ・アフター・デイズ⑤

「いいな! わかったな! ちゃんと話し合うんだぞ!」

「イエス、マム」

「あと急いで式あげるからな! 再来週の土日だぞ! ちゃんと来いよ! サムをがっかりさせんなよ!」

「少佐殿、そのへんで。ジョニー、お前にこれをやる。いい兵隊は本をたくさん読むもんだ。できたら感想をくれ」

「アイサー、バート上級曹長殿。必ず」

「そうだ、ジョニー! お前サムに最近連絡してなかったろ! 心配してたぞ! メールぐらいしろ! パソコン買え! メアド作れ! わかったか!」

「ア、アイアイマム」

「声がちっさーーーい! お姉ちゃんの言うことちゃんと聞けーーーー!!」


 再会の次の日、そんな調子で少佐殿御一行は一足先にクウェートを後にした。

 衆人環視の中でこの大騒ぎ、民間人たちからはくすくす笑われるわ、少佐殿を知るヴェテラン連中からお前は何者だと詰問されるわ、大変な目にあった。

 そうした喧騒が過ぎ去ってみれば、俺の中のあの言葉にならない不快さ、自分自身への苛立ちは半分ぐらいに減っていた。

 残りの半分は、自分でどうにかするのが筋ってもんだろう。

 バート上級曹長にもらったいくつかの本、その一番上のは剣聖ムサシ=ミヤモトの「五輪書」。擦り切れてボロボロだった。

 いい兵隊はたくさん本を読む。

 あの上級曹長が言うのならきっとそうで、俺もそうしようと思った。

 それからだな、出征のたびに本を何冊か買い込むことをし始めたのは。



 その日の晩は金曜の夜ってことで、週末恒例の社交パーティーが行われた。

 といっても、俺たちはその日が初めてだったし、翌週の金曜日午前にはクウェートを去っていたから、そのパーティーは一回しか見聞きしていなかったが。


 どこの軍隊でも、よほど規律や予算に問題がない限り、月に一回とか三ヶ月に一回ぐらいはちょいとしたパーティーをやりたがる。

 秋津島人に限らず勤め人サラリーマンは誰でも嫌がるが、強烈なストレスに晒されている軍隊や労働者は、飲み会を通じてストレスの発散と結束の強化を図ることが多いようだ。

 うまくいっているかどうかは知らんが、そういうもんだと思っとけばいい。


 戦地にパーティードレスを持ってくるやつなんざ居ない。

 だが制服ドレスとを持ってこない軍人やつも居ない。少なくとも海兵隊と海軍には。

 それに戦闘服バトルドレスで着の身着のままだった陸軍の兵隊連中だって、精一杯身ぎれいにしてパーティーに参加したもんだ。

 必要最低限を残してテーブルや椅子が片付けられたフードコートはダンスホールに変わり、薄暗がりの中で様々な軍種の連中が、飲み、食べ、ゆったりと踊り、会話を楽しんでいた。


 俺はその晩、フードコートを見下ろすキャットウォークの手すりにもたれて、一人で飲んでいた。

 眼下には礼服ブルー・ドレスをきっちりと着込んだレイザー。

 凛とした立ち姿が実に眩しい。

 美しすぎて誰も声をかけられないようだった。

 それに。


「不機嫌がにじみ出てんだよねぇ。もったいない」


 モスコミュール片手にアイシャが近寄ってきた。

 紺色の生地、赤いパイピングの礼服はパツパツで、今にも弾け飛びそうだった。


「レイザーについてなくていいのか? せっかく二人きりになれるのに」

「ジョニーには言われたくないなぁ。それはともかく、『一人で悩みたいときもあるもんだし、もう少し放っといてやる。ついでに言えば俺も一人で居たいんだ』、だってさ」


 俺が苦労して和やかな声を出すと、アイシャはなんのてらいもなくそれに付き合ってくれた。

 手すりにならんだ俺たちは、しばらく何も言わずにちびちびとグラスを舐めた。

 視線の先には、俺達の想い人。

 

「班長。その……今まですまなかった」

「何のことやら」


 俺の言葉にアイシャは歌うように応えた。


「それよりあとでちゃんとレイザーに良くしたげてよ。あの子も相当荒れてるんだから。少佐殿にも言われてるでしょ?」

「アイ、マム」


 それからまた並んでちびちびと。

 民間人の給仕ボーイが通りがかり、俺はジントニックを、アイシャはソルティードッグを取り、乾杯し直した。


「アイシャはさ、なんで海兵やってんだ?」


 俺の唐突な問いに、アイシャは目を丸くした。


「なぁに? いまさら」

「いいから」


 アイシャが海兵に志願したのは俺と同じ理由、糞溜めから逃げるためだったということは知っていた。

 連続テロ事件で沸き起こった愛国心だって、その後のクソみたいな出来事のせいで消し飛んでいたはずだ。

 だが、その時はどんな気持ちで戦っていたのか、それが俺は気になった。


「そんなの決まってるじゃん。アンタたちのためだよ」


 相変わらずアイシャにはなんのてらいもない。

 だが、俺の予想通りだったのはそこまでだった。


「あ、でもアンタたちってだけじゃないか。今はみんなのために戦ってるって感じかな。一等大事なのはレイザーのことだけど、それはまた別の話だよね」


 あっけらかんと屈託なく言ってのけるアイシャに、俺は衝撃を覚えた。


「……そうか。そうなんだな」

「? そうだよ? ……ねぇ、様子変だよ。大丈夫?」


 うめいてよろめいた俺の顔を、アイシャが心配そうに見上げる。


「大丈夫です。……二等軍曹、アンタは、アンタこそは最高の海兵だ」


 不思議そうな顔をするアイシャの肩を叩き、俺はフロアへ降りていった。



 フロアではスローなバラードが流れていた。

 時間は二〇五〇時。

 消灯まであと四〇分。

 周囲では様々な男女が、思い思いに踊っている。


 俺は壁にもたれてちびちびと、その実かなりの勢いで呑んでいるレイザーのすぐ隣に陣取った。


「伍長。もし時間があれば、一緒に踊らないか?」


 レイザーはギロリと俺を睨みつけた。


「四ヶ月ぶりにまともな口を聞いたと思ったらそれかよ。俺をアホの尻軽女スラットと一緒にするんなら、もう二度と口聞いてやんねぇぞ」


 そりゃそうだ。

 何事にも順序ってもんがある。

 けど俺は、もう馬鹿みたいに格好つけるつもりはなかった。


「すまん。迷惑をかけてる」


 俺はちゃんと相棒の前に立って、帽子を脱いで頭を垂れた。

 レイザーは毒気を抜かれたのか、ポカンとした。


「俺は自分のためだけに戦ってた。その挙げ句が大した苦労もしてないのに、勝手に潰れかけてた。俺はまともな海兵になりたい。まともな海兵になって、お前やアイシャやみんなのために戦いたい。頼む、手伝ってくれ」


 俺は随分長い間、頭を下げてたように思う。

 だが実際はそうでもなかったらしい。

 後でレイザーに聞いたら、一分かそこらだったそうだ。


「ったく。自分でなんかおかしいなって思ったときにそう言ってくれればよかったのに。信用ないんだな、俺って」

「いや、そうじゃなくて、その」


 レイザーが拗ねた声を出すもんだから、俺は慌てて否定した。

 そしたらレイザーは意地悪そうな目をしていたが、次の瞬間には目元を和らげていた。


「いいよ。わかってる。でも今度からは愚痴ぐらい吐いてくれよ。寂しくなる」


 そう言ってレイザーは俺にもたれかかり、首に腕を回してきた。


「おかえり、ジョニー」

「ただいま、エリザベート」


 そして二人は熱烈なキスをして、で終わればきれいな話だが、生憎そうはならなかった。

 キスをしたのは確かだが、その直後に俺はアイシャとレイザーからあれやこれやとお説教を食らう羽目になった。


 まぁそれぐらいですんでめっけもんだが、映画みたいに事は運ばないもんだ。

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