デイ・アフター・デイズ④
俺が胸の内を洗いざらい吐き出すと、少佐殿と上級曹長殿反応は真っ二つ。
少佐殿は「愚痴ってやるのも甲斐性だぞ」と鼻白んで席を立った。
上級曹長は席を立たずに、俺の肩を叩く。
「まぁちょっと、汗でも流しながら男同士で話そうや」
お前の女たちは少佐殿に任せとけ、と言って、上級曹長は俺をジムのほうまで引っ張っていった。
◇
「なんだ、調子が出ないみたいだな? しょうがない、一息入れるか」
と上級曹長が肩をすくめたのは、ジムの格闘技訓練マットの上で野郎二人でダンスを始めて二〇分ほど経ってからのことだ。
すでに俺は数え切れないほど打たれ、蹴られ、投げ飛ばされていた。
上級曹長はうっすらと汗を掻いて上機嫌、ようやくエンジンが温まったといわんばかりの表情だった。
ほれ、と上級曹長が投げてよこしたのはゲータレードの一パイントボトル。
青色の。
「上級曹長」
「若返りの秘薬だ」
俺たち
大人になったらピンク色。
じゃあガキの頃は? ほんの僅かな間、八歳か九歳の間だけだが、紫色。
でもって、ピンクと青を混ぜれば紫色にはなるよな。
「ひどい冗談だ」
「たまにはガキに戻れって言ってんのさ」
ウィンクした上級曹長はベンチに腰を下ろし、自分の左隣の座面を叩いた。
俺は汗を拭きながらそれに素直に従った。
「ジョニーよ。お前はそもそも、どうして海兵になろうと思った?」
俺はミドルスクールの頃にサムに海兵を勧められた話をした。
上級曹長は「そうか、じゃあサムみたいにならんとな」と言った。
最高の海兵がどうの、ロボとの話がどうの、俺の中に溜まった言葉にならない鬱屈だの、そういうのには言及しなかった。
全く、一切、何一つだ。
俺にはそれが、ひどくありがたく思えた。
◇
「じゃあ、少佐殿とサムが一緒に居たのって」
「そう。ジャスト・コーズ作戦発動前後の三週間だけ。その間、サムは少佐殿を常にただの女の子扱いしていたな。最初はなんて失礼なやつなんだと思ったよ」
パナマ侵攻当時、少佐殿と上級曹長殿はまだ少尉と二等軍曹。パナマ駐留海軍基地の護衛戦力としての海兵歩兵中隊勤務。
サムはパナマ侵攻二週間前に
我らが堕天使少佐殿閣下は、
曰く、「自分に人々を導くことはできない。だが守ることならできる」からだそうだ。
最初は
まだ大将になったことがないのは、海兵隊と空軍だけだそうだ。
上級曹長は少佐殿の従者十三氏族、その最後の家系の一人だ。
オーガーは戦いの中に生き、戦いの中で死ぬことを尊ぶ。
少佐殿が海兵になるための勉強を始めた頃に入隊し、少佐殿が
いうなれば下士官になるために生まれたような一族さ。
寝物語に少佐殿の活躍を聞かされているし、僅かな勤務期間の間に少佐殿に心酔するのも無理はないし、そうなるように育てられているし、実際そうなった。
そんな男が、あとからやってきて先輩風を吹かせるひょろっとした白人のあんちゃんに、主人をただの女の子扱いされたら?
まぁ考えるまでもないわな。
「俺も若かったんだなぁ。サムが少佐殿にあんまり馴れ馴れしいんで、カッと来て、
「その間、少佐殿は?」
俺が尋ねると、隣に座るオークの大男はあごを撫でながら遠くを見つめた。
「全くの無表情、なんの興味も示されなかった」
俺は信じられなかった。
あんなにサムにメロメロになってる少佐殿が、当時のサムと上級曹長殿を虫を見るような目で見ていたって?
「考えてもみろ。少佐殿のあの美貌とカリスマを。それまでに何百回となく似たようなやり取りを見てきたに違いない。当然従者がやられる姿だって、何度となく見てるだろ」
「なるほど」
それが変わったのは、ジャスト・コーズ作戦が発動してからだった。
「俺たち海兵は海軍弾薬集積所と、空軍基地の防御が任務だった。とはいっても当時のパナマ防衛軍の規模は、マイアミ州警全署員がいいとこだ。組織的抵抗は一日で終了、だが最重要目標のノリエガ将軍は逃亡した。その後の展開もわかるだろ?」
「逃げた将軍を追って、ドキッ! 特殊部隊と歩兵合同大運動会! 狙撃もあるよ、でしょう?」
「そのとおり。将軍の捜索はデルタが中心になって行っていたが、リーコンと俺たち海兵歩兵も参加することになった。正規軍連中は武装解除に協力的だったから問題なかったが、将軍の『尊厳大隊』とかいう親衛隊というか秘密警察、コイツらが厄介だった」
将軍の捜索開始三日目、少佐殿──当時は少尉殿の率いていた小隊は市街地で孤立、尊厳大隊の生き残りに包囲された。
当時はピンポイントの攻撃手段も少なく、地上部隊の市街戦研究も今ほどは進んでいなかった。
要するに、少佐殿たちは大ピンチに陥ったわけだ。
「そこに現れたのがサムの班。彼らは尊厳大隊の包囲を突破し、持てるだけ持ってきた弾薬と水をみんなに分けてくれた。下士官学校のスコット先任曹長、当時は俺と同じ二等軍曹だったんだが、やつに至っちゃサムに抱きついて謝辞を述べる始末だった」
「うっそだぁ! あのスコット先任曹長が!? それで、サムは?」
「俺たちの中から少佐殿を見つけると、『嬢ちゃん、心配したぞ。国へ帰ろう』ときたもんだ。もちろん少佐殿はぶすっとしたままだ。舐められっぱなしだと思ったんだろうな」
彼らはリーコンを先頭にして包囲を抜け出した。
その頃には陸軍の連中が救援に到着していて、随分気が楽になったそうだ。
「けど、狙撃兵てのはそれを見逃すようなアマちゃんじゃない。奴らの誰かが放った銃弾は、少佐殿の頭蓋を砕くはずだった。けど、サムはそれをどうやってか阻止した。自分の目と引き換えに。少佐殿を突き飛ばしたサムは、左目を失ったまま、激痛を物ともせずに尊厳大隊の生き残りをやっつけた。彼の左頬の傷は、奴らの最後の抵抗の証だ。手榴弾の破片でやられたんだ」
そこまで言って、上級曹長はブルリと身震いした。
「俺にはわからない。彼はどうやってあそこまで耐えられたのか。サムはそこまでの痛手を負っていながら、少佐殿を振り返ると、あの笑顔でこう言ったんだ。『お嬢ちゃん、怪我はないか?』少佐殿は何も言えなかったよ。その後サムは空軍基地に設けられていた野戦病院に戻るまで、うめき声を上げることもなければ、気を失うこともなかった。ハンヴィーを降りる時まで、少佐殿はサムの手をずっと握ってて、放そうともしなかった」
俺と上級曹長は飲み物を呷った。
俺にサムのような真似ができるか?
上級曹長だって無理だって言ってるのに?
サムはまさしく。
「英雄だ。だが、大事なのはそこじゃない。彼を英雄足らしめたもの。それこそが本質なんだ。わかるか?」
俺は首を横に振った。けど本当はわかっていた。
ロボが言っていたこと。仲間のために戦う。それこそが。
上級曹長は笑いながら、もう少し体を動かそうと言った。
俺は一も二もなく同意した。
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