ファット・リップ

 上昇し続ける水位。

 燃え尽きた炎のバリケードはとっくの昔に水没した。

 もともと弱々しかった照明は、配線の大部分が水没したことで不規則に明滅するだけになってしまった。

 もっとも、俺たちは暗視装置もフラッシュライトも持っていたし、夜目の利く連中が多かったからそこまで苦じゃなかった。

 心配は暗視装置をもたないイラク人民兵のパニックだったが、それは一人の海兵がなんとも言えない姿をさらしていたことで未然に防がれていた。

 そいつはロボだ。


「ちくしょおおお! ヤマダ中尉ーッ!」


 再びシュマグで鼻面を覆ったロボは大声で泣言言いながら、階段に続々と流れ着くグールの頭を爪でかち割り銃剣でえぐり、八面六臂の大活躍を見せていた。

 俺自身はもう少し後ろの階段にもたれ座り、脚を長く延ばし、低い位置からロボにつかみかかろうとする連中のドタマをつま先で掴んだシャベルで耕していた。

 鼻くそでもほじらんばかりの不真面目な格好だが、こうすると銃も使えるから実に都合がよかった。

 ザクザクバスバス、うわーんヤマダ中尉ー! バスバスザクザク。

 あとで聞いたら、イラク人たちは全員微妙な顔してたって。


 そんなわけだから、グール退治は一瞬懸念したほどひどいことにはならんのじゃないかと、みんな思い始めていた。

 そうなると別の問題のほうが気になるわけだな。

 つまり、上昇し続ける水位についてだ。

 勢いこそ落ちついたが、どうにも止まる気配がない。


 このままじゃ俺たちは、グールの腐れ汁で汚染された水の中で溺死しかねない。

 海兵グールなんて冗談じゃないし、俺なんかでろでろに溶けっちまう。

 でもモスルの人口は一五〇万人。俺たちはいいとこ六〇人。

 どっちを犠牲にするつったら、ねぇ。


 どうしたもんかとグール退治に現実逃避せんねんしていたら、


『ラミレス、ジャクスン、ファースタンバーグ。大尉殿が呼んでおられる。来い』


 ダンテ准尉に無線で呼ばれた。

 ヘルメットに取り付けたAN/PVS-一四暗視装置を下ろしたフレオス曹長にあとを任せ、俺はその場を離れた。



「使用された神代兵装は、おそらく”シュメルの大水”か、そのバリエーションです。本来は励起に一〇〇〇人を超える人柱が必要なはずですが、おそらく今回は数人の人柱で励起したのでしょう。だからこの程度の水量で済んでます」


 海兵隊とイラク人の列をかき分けシンクレア大尉の前にたどり着くと、すでにアイシャとレイザーは到着しており、アイシャが使用されたと思しきものについて推測混じりの説明をしていた。

 出口階段は幅二メートル高さ三メートルほど、地上までは一五メートルほどはありそうなゆるい傾斜だ。

 シンクレア大尉はその狭くなった出口階段の入り口に背中を預けていた。

 周囲ではグリンベレーと海兵の元気なやつ、イラク民兵で腕に覚えがあるやつが銃撃を行っている。


「……それはどこから……いや、いまはいいな。来たな、ジャクスン。三人揃ったところで頼みたいことがある」


 まだイマイチ姿形が安定していないシンクレア大尉は息も絶え絶え、ミラー上等兵とシンクレア曹長に支えられていないと、上体を起こしているのもしんどそうで見ていられなかった。


「なんなりと、大尉」

「奴らの残りはあと二人と二体だ。死霊使いネクロマンサーは強固な掩体を築いていて、スタンもグレネードも効かない。銃弾もたっぷり持ってやがる。おまけにこっちの魔法が使える連中は見てのとおり。手詰まりだ」


 そこまで言ってシンクレア大尉=ハミルトン少佐は激しく咳き込んだ。

 口元が血に染まる。

 シンクレア曹長が目を背けた。


「俺ももう長くない。だがそれはいい。個人的なことだからな。ただ、この状況の解決策は──ない」


 それを耳にした連中はみんなうつむいた。

 例外は俺とシンクレア大尉=ハミルトン少佐だけ。


「……と、思わせるのが連中の基本戦略です。グールにするには、強い絶望を覚えさせたほうがより良い」

「さすがはジャクスン三等軍曹。奴らについてだけは勉強しているようだな?」


 俺たちの静かな会話に、周りの連中はハッとした。


「最初の女が忘れられないのと同じですよ。俺はまだ童貞バージンですがね」

「その身持ちの硬さには敬服するよ。秋津島のラブコメじゃあるまいし」


 シンクレア大尉とも、ハミルトン少佐ともつかないシェイプシフターは薄く笑った。


「もったいぶってないで教えて下さい、サー。俺たちは一発逆転の切り札を持っている。そうですね?」


 の目に光が灯ったように見えた。

 彼は力強く、「そうとも」といって頷いてから、アイシャ・ラミレス二等軍曹をはっしと見据えた。



 グリンベレーと海兵の射撃が一段落すると、向こうの連中の番だ。

 持ちこまれた分厚い鉄板で作られた掩体壕トーチカ、そこに開けられた銃眼からAKMを突き出してバカバカと乱射する。

 グールは俺たちが前進してきたときのために取っておく。

 向こうの弾倉の弾が切れたらこっちの番。

 その繰り返しを崩したのは、切り札として投入された俺たち偵察目標補足小隊STA二班の三人だ。


「行くぞ!」


 まず俺がバックアップに持ってきていたベネリのショットガンを乱射しながら、出口階段の真ん前に陣取る。

 その場でプレートキャリア防弾ベストを緊急解除、体内に取り込んで広げて、即席の防弾陣地へと化ける。

 慌てて銃眼からAKMを突き出し、グールをけしかけてくるアノニの死霊使い。

 ダダダダムッ!!

 ほとんどフルオートみたいな勢いで一撃必中。

 グールのドタマとAKMの銃身は、俺の後ろからほんのちょっぴり銃と頭をのぞかせたレイザーのM14EBRから放たれた7.62mmNATO弾で粉砕される。

 意を決したアノニは俺たちを見据えながら拳銃を取り出し、胸に銃口を押し当て──それで彼らの戦闘は終わった。


 なぜか人は戦闘中に自決せざるを得なくなると、必ず自分を追い込んだ敵を見据えようとする。

 多分意地とかなんかそんなのがそうさせるんだろうが、それは世界に絶望しきって、死にたくて殺したくてたまらないアノニであっても同じだった。


 彼らが見据えてしまったのは、スライムらしく変形した俺じゃない。

 電光石火の神業で、彼らを戦闘継続不能に追い込んだレイザーでもない。


 密かに誰もが侮っていた、どんくさそうなちびっこで、乳がでっかいことだけが取り柄に見えるサキュバスの女の子。

 アイシャ・ラミレス二等軍曹だった。


 皆が勘違いしていることだが、サキュバスが使う魅了チャームは魔法じゃない。

 アレは種族の固有スキルだが、意味合いとしちゃ獣人ライカンはみんな鼻が利くのと一緒のことだ。

 テレビ見ながら無意識に鼻くそホジるような、そんな次元の話だ。

 ちょっとぐらいふらふらしてても、使えないわけじゃない。

 それをしっかり意識して、思いっきり、全力で使ったら?


 アノニのネクロは、どっちも俺と同い年ぐらいの男女だった。

 容姿についてはとやかく言うまい。アジア人の美醜については詳しくないんだ。

 彼らは苦労してトーチカから抜け出すと──あろうことか、その場で盛り始めたんだ。

 奴らは俺たちなんか見ちゃいなかったし、もう絶望なんかしそうになかった。

 なにはともあれ、とにかく懸命に生きようとし始めた。


 なんとも間の抜けた結末をなんとか格好つけようとするのなら、まぁ、そういうことになるんだろう。

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