戦場への帰還④

 次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、俺たちはグリンベレーと行動をともにした。

 道順も訪問順も初日とは違ったが、訪問した先で長々と世間話をするのは変わらない。三日目からはグリンベレーは四人ごと三班に分かれ、俺たちはひとりずつついていくことになった。


 世間話をするのは俺たち自身もそうだったが、とくに切羽詰まったような話もなく、グリンベレーの連中もみな思い思いに話し相手を見つけては世間話に興じる。

 それこそは対人情報収集、HUMINTヒューミントの基礎の基礎だし、先方もそれは百も承知で応じてくれている。普段は表に出てくるような話しかなかったが、たまには噂話という形であれこれと情報を流してくれたし、それはこっちもおあいこさま。

 何もかもいつもどおり?

 そんな訳はない。

 現地の連中はわずかずつ態度が硬くなり、物資もわずかずつ集積されていた

 もちろん、あの日ほんの少し匂った異臭も、ごくわずかずつ強くなっていた。



 ODA666の指揮下に入って一週間後の夜、俺は偵察目標補足小隊STA小隊長ハミルトン曹長のもとを訪れた。

 旧イラク軍が使っていた宿舎を陸軍が改装した諸々の施設は快適そのもので、合衆国内の海兵隊施設に見劣りしない。

 とはいえ個室持ちなのは小隊下士官や小隊長以上の役職持ちだけ。兵は分隊に一部屋ずつだったし、伍長や三等軍曹なんかの一般下士官は男女別に分かれてそれぞれ数部屋をあてがわれていた。

 ハミルトン曹長は小隊長だから個室だ。

 部屋の中にはベッドと洗面台、金属のロッカーふたつに事務机、冷暖房器具と冷蔵庫。

 中に入ると涼やかなアロマオイルの香り。


「ちょっと待ってね……」


 と言いながら事務机に向かうハミルトン曹長は、書類に次々にサインしている。

 その傍らには国で曹長の帰りを待つ旦那たちの写真。

 壁にかかったハンガーにはマガジンが突っ込まれたままのプレートキャリア。

 机の横にはマガジンが刺さったままのM4A1カービンが立て掛けてある。

 俺は事務仕事をする曹長から三歩の位置で、休めの姿勢でじっと待つ。


 待機はほんの三分で終わった。

 

「それで、どうしたの?」

 

 気が付かなくて悪かったと詫びた曹長に勧められ、俺はベッドの脇に立て掛けてあった折りたたみ椅子を広げて腰掛ける。


「キミが一人でここに来るなんて珍しくない? 普段は仔牛カーフと一緒に来るじゃない」


 カーフってのはアイシャの字名ホーリーネームだ。

 アイシャはたしかに乳牛もびっくりのちび爆乳だけど、ちょっとそのまんますぎて俺はそういうふうには呼びたくなかった。


「いやまぁ、ちょっと気になったもんで、確認です」

「なにを?」

「俺たちは一体、何をやらされてるのかってことですよ」


 俺の言葉にハミルトン曹長は口元を大きく歪める。

 目の色と言葉遣いがベテランのそれになった。


「何を今さら。我々はここに積極的・・・に平和を築きに来た。そうだろう?」


 膝の上に肘を置き、前のめりになったハミルトン曹長は歯をむき出しにして、イタチのように笑う。

 スファギン水棲人の切れ味鋭い前歯がきらめき、俺は言葉を失った。



 俺が言葉を探していると、獰猛な笑みを浮かべたまま曹長はゆっくりと背もたれに体重をかけ、ボールペンを両手で弄び始めた。

 

「それより私は、キミが意図的に報告を遅らせた理由を知りたいね。グリンベレーに同行した初日、仔牛が報告に来たんだ。彼らに会った現地有力者はみな一様に、態度には出さないが恐怖と緊張を覚えていたと。だがキミが確認に来るまではそのままにしてくれとも言った。キミは模範的な海兵だし、何より実戦経験者だ。そのキミが、感じた違和感をすぐに報告せずに保留した。その意味と考えを汲み取りたい、とな」


 俺はきっと鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてたに違いない。


「良くないぞゴッディ。自分の上官を舐めてかかるなんてのは、とても良くない。まぁ確かに、キミとレイザーにしてみれば妹か幼馴染みたいに感じるだろうが、アレであの子はサキュバスだ。他人のフェロモンや微弱な脳波、魔力のサイドロープ、そういうもんを拾わせたら一等賞だ。心を読んでるに等しい。おまけに二等軍曹で偵察狙撃兵スカウト・スナイパーだぞ?」


 肩をすくめるしかなかった。

 舐めた態度を取ったが、その実ションベンを漏らしかねないところでもあった。


「二等軍曹にはあとできちんと謝ります。それと、報告を遅らせた謝罪を。申し訳ありませんでした、曹長」

「受領した、三等軍曹。報告の遅延は不問にする。さてゴッディ、君の考えではどうだ。グリンベレーとほかの人々、彼らに何が起こっている?」


 これでようやく本題に入れる。


「ありがとうございます、マム。つまり、その……この付近でまた大規模な戦闘が起きるのではないかと」

「もっとはっきり言え、三等軍曹」


 ほんの少しいらだちを見せる曹長。


「はいマム。俺の考えたところだと、グリンベレーODA666は警報装置であり、イラク中央政府や県知事を介さない、現地組織と合衆国の仲介役です。イラク中央政府や県行政府には敵が入り込んでいる。少なくとも、我が軍とモスルの現地組織はそう考えています」

「報告を遅らせた理由は」

「軍内部に俺たちの足を引っ張るやつがいるかも知れないと思ったからです。俺が気づいたことすら、敵には知らせたくありませんでした」


 俺がぶっきらぼうに答え、曹長が満足げな笑みを漏らすと同時に、思いがけない声が部屋の中に響いた。


「ふむ。ちょっと物足りんけど、ま、及第点かな」


 ぎょっとして身構えると、向かいの壁際にすっとシンクレア大尉が現れた。

 それまでそこにはくすんだ色の壁紙しかなかったのに。

 匂いだって俺とハミルトン曹長以外の人の匂いなんてなかったのに!


「彼は使えそう? 少佐殿・・・


 ハミルトン曹長は微笑みながら振り返った。


「うん。辛抱強いし観察眼もある。報告を遅らせて様子を見たのもまっとうな理由だ。お前のお気に入りなだけはあるよ、ハニー」


 シンクレア大尉はそう言ってハミルトン曹長の頬に口づけし、こっちの方を振り向いたときには、赤毛のヒゲモジャ以外は全然別人の顔になっていた。

 だがその顔には見覚えがある。

 そう、まさに曹長の机の上にある、熊みたいな赤ら顔だ。


「改てはじめましてだ、ジャクスン二等軍曹。俺はハミルトン陸軍少佐・・・・・・・・・。リンダの夫、その一だ。シェイプシフターを見るのは初めてか?」


 何度びっくりしたかわからない夜だったが、その時の俺の驚きようときたら相当なもんだった。

 なんせ、実際に顎が地面についちまうほどだったんだから。


「詳しい説明は明日するが、ともあれ戦場へおかえりだ、坊や」

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