戦場への帰還③

「情報収集って何するんです?」

「情報収集さ」


 グリンベレーODA666の副長、ダンテ准尉に質問したらそんなふうに言われた。

 俺たちはグリンベレーのハンヴィーに一人ずつ分乗し、モスルの街中を案内することになった。

 と言ってもそれは正直普段のパトロールと変わらない。

 偵察目標捕捉小隊STAは戦時こそ隠密偵察が任務となるが、どうにかこうにか平和な──警察とイラク軍の特殊部隊がちょっと出張れば片が付く程度には平和な──モスルの街では、人脈づくりと地形把握が主な任務だった。

 大隊は指揮下にある三個歩兵中隊それぞれが持つ四個ずつの小隊、そのうち二個小隊ずつを、三週間交代の民生支援グループCGAとしてライフル班ごとに分散運用していた。

 俺たちはその先駆けで、つまるところは地回りヤクザみたいなもんだった。

 俺はシーア派住民区の入り口で車を止めてもらって、雑貨屋のおっちゃんに声をかける。


「ヘイ親父さん、今日もいい天気だね。調子はどうだい?」

「ぼちぼちだよ、ぶよぶよのあんちゃん」

「そいつぁいいや。揚げ菓子おくれよ。いつものやつ。今日は三袋。俺と、後ろの二両にも」

「まいどあり。神の御恵みあれインシャラー

神の御恵みあれインシャラーまったくだアーメン


 てなもんだ。

 俺たちがパトロール、というか地廻りに行くときは、それぞれの担当地域地域で必ず一つ以上、商店でカネを落とすようにしている。給料入ったときは地元の商店で肉や野菜を気前よく買っていって、バーベキューしたりもする。

 人間てぇのは不思議なもんで、毎日顔を合わせてりゃいきなりAKの引き金を引かなくなる程度には気心が知れてくる。アラブ世界じゃ俺たち合衆国人の半数を占める魔族デモニアは珍しく、下手すりゃ差別対象になりかねないのに、だ。

 俺の班を見てみろ。

 スライムに黒エルフにサキュバス、おまけにスライム以外は女と来た。挨拶してもシカトどころか石を投げられてもおかしくないのに、そんなことは一つもない。

 ハミルトン曹長に至っては、街の有力者の奥様方のお茶会に誘われるほどだ。


 こんなにうまく行っているのには、いくつか理由がある。

 モスルの経済が原油輸出によって安定していること。

 この街は歴史的にインドと地中海を結ぶ街道上の重要な交通結節点で、多民族共存に理解があること。

 この街周辺に降下したグリンベレーと秋津島陸軍義烈空挺隊が、高圧的・威圧的な占領活動を行わなかったこと。

 ここにいたイラク第五軍団の司令官が、利に聡く機を見るに敏い、非常に聡明な人物であったこと。


 そして最後に、おそらくこれがいちばん大事ことだ。


 彼らは俺達がいる間は、絶対に争わない。



 モスル市街地北東部。とあるモスクの横のビル。

 そこにあるのがモスル駐在クルディスタン代表部だ。


「こんにちは。お邪魔いたします、ザヒルさん」

「こんにちは、アイシャ。合衆国の友人」


 現地有力者で合衆国の女性将兵が直接挨拶して機嫌を悪くしないのは、モスルのクルディスタン代表部、ザヒル・サハラン部長とその同志たちだけだった。

 サハラン部長は御年五〇歳。ハツラツとした印象の、スラッとした美人さんだ。ゆるく巻いたヒジャブの下の頭髪は、見事なシルバーブロンドだ。

 彼女は旧政権のクルド人大弾圧時代を生き抜き、多数の男女を組織して抵抗運動を行った大女傑だ。モスル周辺ではクルド人は比較的少数勢力だが、彼女がいる限り誰にもなめられるということはなかった。旧政権末期、この地を支配していた第五軍団もクルド人弾圧は程々に、実態としては相当に手を抜いていたという。

 さてクルド人、というよりクルド人自治区クルディスタンはムスリムといえど世俗主義が強い。キリスト教徒やヤジディー、世俗主義ムスリムもクルディスタン勢力下に身を寄せることが多い。

 ソヴィエトの強い影響下にあったイラク旧政権では女性の社会進出が(イスラム圏にしては)盛んだったが、湾岸戦争敗戦やイラク戦争敗戦によってイスラーム原理主義が台頭するにつれ、女性たちは家に引っ込まざるを得なくなっていた。特に原理主義の支配が強いラマーディーやファルージャ、バグダッド周辺のイラク中部、ナシーリアなんかのイラク南部でその傾向が強い。

 で、そういうのに嫌気が差した有能な女性や、妻や娘の能力を生かしてやりたい旦那衆はクルディスタンに脱出することがよくあった。

 中部に近いキルクークとカラー、北部ではこのモスルがその窓口になっていた。

 ミズ・サハランがモスル駐在だったのは、まさに適任と言うより無い。


 普段ならそのまま「情報収集と信頼醸成」という名目で、あれやこれやと世間話をするところだが、その前にグリンベレーの連中を紹介する。


「お久しぶりです、ミズ」

「あらあらまぁまぁ、お久しぶりね、シンクレアさん」


 そう言って微笑んだサハラン部長。その笑顔に屈託はない。

 だが俺はある匂いに気づいたし、俺が気づくってことは相棒だって気づくに決まってる。

 案の定、俺は隣で休めの姿勢で立っているレイザーにケツをつねられた。



 その日はクルディスタン代表部に始まり、シーア派、スンニ派、警察、イラク軍を順繰りに表敬訪問して終わった。

 イスラーム社会ではメンツがことのほか大事だから、後回しになったところには前もってハミルトン曹長たちが挨拶回りに言ってくれていた。

 おかげさまで新顔たるグリンベレーの面通しは嫌味の一つもなく、滞りなく終了した。


「おかしすぎる」


 モスル空港の西隣、イラク軍駐屯地に間借りしている大隊本管中隊のキャンプで解散したあと、食堂でレイザーが最初につぶやいたのがそれだった。

 俺は素早く周囲を確認し、士官殿やグリンベレーが居ないのを確認した。

 状況はグリーン。だが周りの海兵が変なうわさ話を広めちまう可能性がある。


「おかしいって何が。グリンベレーの指揮下に入ることがか?」


 俺は鼻くそでもほじりかねん態度でそう言った。

 レイザーは不満そうに鼻息一つ漏らす、と向かいのアイシャに水を向ける。

 

「二等軍曹はどう思います?」

「別に? おかしいって言うならファルージャやラマーディーから遠く離れたここに遠征大隊MEUを送り込む遠征旅団MOB本部がそもそも、って話じゃない?」


 合衆国人の味覚に合うよう味付けされた肉飯を掻きこむアイシャ。

 口の周りには米粒がいくつかついていた。

 見るに見かねてレイザーが米粒をとってやり、そのまま口の中に放り込む。

 その間アイシャは猫のように目を細めてなされるがままだ。

 俺たちも周りの連中も微笑ましくそれを眺めていたが、俺は机の下でもう二本手を作り、レイザーとアイシャの膝の上にそっと伸ばした。

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