ウォー・アンダーグラウンド①

 今からする話は、どこにも記録は残っちゃいない。

 だからいい加減ガタの来た、海兵おじさんのつまらん繰り言だと笑い飛ばしてもいい。

 だが俺たちは覚えている。

 あの朗らかな日差しに包まれたモスル、その地下で何があったのかを。



 次の日、夜も開けないうちから偵察目標捕捉STA小隊は全員ひっそりと大隊本部に集合させられていた。

 集合場所は会議室ですらない。

 車両整備用の大型ガレージ、その砂まみれのコンクリートの床に、俺たちは三々五々に集まって座った。


「諸君おはよう、でかい声はいらんぞ。静かに聞け」


 全員が揃ったことを確認したハミルトン曹長の、低くよく通る声がガレージの中に響いた。

 彼女の背後には大隊長フォスター少佐殿と情報幕僚に運用幕僚、それにグリンベレーの”シンクレア大尉”とダンテ准尉。


「先週より二班がグリンベレーODA666の指揮下に入り、情報収集任務の手伝いをしていることはみな知っているだろう。今後は、全く異例ながら、偵察目標補足STA小隊すべてがODA666の指揮下に入り、大隊がこれを援護する。表向きには情報収集任務の拡大だが、実際にはテロリスト掃討作戦だ。敵は」


 ハミルトン曹長が言葉を切り、俺たちはしわぶきひとつ立てずに続きを待った。


「アノニマニシス。”イラクのアノニマニシス”とか言うワナビ連中じゃないぞ。本家本元、アフガニスタン直輸入、殉教者旅団の連中より数段気合の入った自殺志願者どもだ」


 俺はそれを前の晩に聞いていたにもかかわらず、めまいと吐き気を覚えた。

 横を覗き見るとレイザーは顔面蒼白、目を大きく見開いて呼吸を荒げていた。

 畜生め。

 こうなることがわかっていて俺たちを2/5大隊ツー・ファイブ・マリーンに配置したのなら、あの”堕天使少佐閣下”を恨んじまうぞ。



「マジですか?」


 と思わず俺が聞き返したのは、ペルシアがアノニマニシスの領内通過を手引した、と”シンクレア大尉”ことハミルトン少佐に聞かされたからだ。


 ペルシアは──俺も良くは知らんが──一九七〇年代初頭までは合衆国とブリテンの同盟国だったが、国外追放していた宗教指導者を国王に次ぐ地位に置く宗教改革を行ってからはイスラームの盟主を目指すようになっていた。

 オスマン帝国崩壊後、失われたカリフの座を巡ってイスラム国家、宗教家、テロリストやらなんやらかんやらが暗闘を繰り広げているのが中近東の現実だ。

 そこにペルシアがいっちょ噛みするのは、不思議でもなんでも無い。


「ああ。ペルシアはイラクにはずっと混乱していてもらいたいらしい。シーア派を誘導して属国化出来る可能性が高まるからな。ペルシアに浸透しているクルディスタンの諜報員によれば、アノニの戦闘員はクルディスタンへの越境前に分散、一部はトルコ経由で越境していたそうだ。だがどこに火種を蒔くつもりかがわからなかった。それが確定したのが一〇日前。それで二〇〇三年にここを制圧した俺たちが、もう一度派遣されてきたというわけだ。個人的な約束もあったし」


 九〇リットル容量の小さな冷蔵庫に腰掛けたハミルトン少佐は、黄色いクマのぬいぐるみを思わせる可愛らしい身振りを交えながら説明してくれた。


「個人的な約束?」

「みんな憎み合わないでくれ。戦争をせずに、みんなでこの街を盛りたててくれ。その代わり、この地に危機が迫ったその時は、何が何でも知らせに来る、ってな」


 ちょうど四年前、旧イラク政権崩壊に乗じてここを暴力的にクルディスタンに併合しよう、あるいはここからクルド人とシーア派を排除しようという動きを、ハミルトン少佐はその言葉だけで抑え込んだというのだ。


「そいつぁまたなんとも。ほうぼうから怒られたでしょうに」

「そりゃあもう! だがお前も知ってるだろう、坊や。イスラームの連中は”個人的な約束”にめっぽう弱い」


 彼の大きな苦笑いに俺も釣られた。

 確かにそのとおりで、アフガン時代の俺にも二つ三つ心当たりがある。


「けどそれを言ったら、俺たち合衆国人も似たようなもんでしょう」

「ああ。名誉と尊厳に関わる問題だからな」

「けどそれって男連中の意地とメンツの問題ってだけじゃないの?」


 イスラーム社会って男尊女卑だし、とハミルトン曹長。


「女はすぐにそう考えたがるが、案外そうでもないさ。アマゾネスの文献を読むと、戦士階級は生産階級よりも名誉と尊厳を重視した事がはっきりわかってる。お前だって海兵であることを否定されたらキレるだろう?」


 夫君の言葉に、曹長は嫌に色っぽい仕草で肩をすくめ、それを見て俺たちはまた苦笑い。


「ともあれ、今回のアノニマニシス排除作戦は、秘密裏に行う必要がある。モスルの人間は、モスルを一種の中立都市、クルディスタンとイラクその他における不可侵地域にしたいと考えている。この街がどの勢力からも独立しているように見えるのは、この街の住人すべての努力によるものだ。だがペルシアやイラク中央政府、クルディスタン自体もそうは考えていない」


 ここがアノニマニシスに大々的に襲われれば、イラク政府もクルディスタンも、救援を名目に堂々とここを自勢力に組み込むことが出来る。

 そういう理屈らしい。


「だが合衆国とイラクのスンニ派社会にとってそれは困る。スンニ派は今でこそファルージャとラマーディーで大いにイラク政府と戦っているが、最悪逃げ込める地域としてのキルクークとモスルは平穏であってほしい。合衆国おれたちの立場は……まぁ言うまでもないよな」


 ハミルトン少佐はそう言いながら、ちょっと尻を浮かして取り出したものを俺に差し出しす。

 ちょっと生暖かいそれは、二〇〇五年にリリースされたカナダのパンクロックバンドの、アルバムCDだった。

 ただし。


「アフガニスタン製の海賊版。最近アフガニスタンから逃れてきた難民が地下で流通させているものだ。統合特殊戦司令部JSOCはそいつが流通してる地域に敵が潜んでると予想しているが……」


 少佐は言葉を切って、俺をじっと見た。


「俺は違いますね。これの二曲目は典型的な反戦パンクだけど、歌詞の内容と曲調はむしろ軍歌マーチにも聞こえる」


 俺はその曲の一節を吟じてみせる。

 ”俺たちみんな逝っちまったら誰がケツ持つってんだ”


「全体的なメッセージは”決して諦めるな”です。自分たちの絶望に世界を巻き込んで集団自殺に持っていきたいアノニマニシスとは、思想が異なる。だいたいこれ、この街じゃ若い世俗的な連中には宗派や人種関係なく大人気ですからね。昨日もスンニ派の重鎮のアブドゥルさんとこの若い連中と、このバンドの所属してるレーベルの話で盛り上がりましたもん。むしろ流通業者に泥投げる連中に注目したほうがいいと思います」


 ハミルトン夫妻は揃ってピュウと口笛を吹いた。

 俺だってまさかパンクロックの知識がこんなところで役に立つなんて、思っても見なかったさ!

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