2-1. ハードデイズ チグリスのほとりで ~イラク2006~2007

ぶよぶよ衛生兵、海兵隊に戻る①

 二〇〇六年八月二八日。

 木々の葉の合間から見える青い空。

 それに薄ぼんやりとかかる、マウナケアの噴煙。

 湿度も温度も高いものの、吹き渡る風のおかげで不快さはない。


 ここが海兵隊の訓練施設でさえなければ。


「で、あるからして、ここに残っている諸君、喜べ。君たちは見事、我が海兵偵察狙撃学校を卒業できる運びとなったわけだ」


 俺たち海兵たちは、スカした態度で長広舌を披露するちんちくりんのゴブリンの大佐、つい一昨年までイラクにいた現役の偵察狙撃兵を、地面に座ったままぼんやりと見上げていた。

 それが一〇ヶ月にもおよぶ”魔王の統治せる魔族連邦合衆国海兵隊U.S.Marine Corps”偵察狙撃学校修了のお知らせだった、というのは今思い出しても実感がない。

 なにしろ、


「たーだーし。ジョニー・ジャクスン三等軍曹!」

「イエッサー」

「貴様は、多数の海兵偵察狙撃兵の中でも、歴代最低の点数での卒業生となる。その意味をしっかり噛み締めて、精勤しろ。いいな?」


 というのが実情だったから。

 ほんと、我ながらよく卒業できたもんだと関心する。

 一〇ヶ月前に入学したものは八〇人。

 それが今やたったの二八人しか残っていない。

 俺はその二八人目の卒業生として、ハワイの海兵隊訓練キャンプで、特殊技能MOSスカウト・スナイパー0317を取得したってわけ。

 


 俺が海兵偵察狙撃学校を奇跡的に卒業できたことがどれだけありえないことかについては、一応説明しておく必要があると思う。


 海兵偵察狙撃学校はその名のとおり、「見どころのある海兵を、一人前の偵察狙撃兵に仕立て上げる」のが目的だ。

 海兵隊は合衆国の殴り込み専門部隊だ。一朝事あらば強襲上陸やヘリボーンで敵地に向かい、合衆国の意思を見せつけるのがその任務。それに従事する偵察部隊がゴミだったら? ろくになことにならないのは中学生でもわかるだろう。だから海兵隊は偵察部隊の育成と能力向上に腐心している。

 だから、本来なら所属大隊の偵察小隊か捜索目標捕捉STA小隊に勤務し、そこにいる狙撃兵に偵察と狙撃の初歩をみっちり教わり、それをモノにした人材にこそ、偵察狙撃学校への入校資格があるわけだ。

 例外はブートキャンプ前期教育歩兵戦闘学校後期教育で特級射撃章と体力検定トップを維持し続け、配属当初から分隊選抜射手に選ばれ、実際に戦果を挙げたような奴。こういうのは大隊か連隊の偵察狙撃兵がどこかから観察してて、スカウトしにやってくる。ブートキャンプとアフガニスタンで一緒に戦った、マークワンことオークのニコラス・オニールがそうだった。

 だから本当は俺みたいな、アフガニスタンでたった数回、武装偵察中隊フォース・リーコンと行動を共にしたぶよぶよ野郎スライムの衛生兵が来るところじゃない。

 そう、俺に地獄の一丁目をチラ見させてくれたリーコンの少佐殿との共同行動は、グールの沸いて出てくる村に突っ込んだあの日だけの話じゃなかった。

 だがあんなにテンパった日はついぞ無かったし、アフガニスタンにいたころは「俺が偵察狙撃学校に? そんなアホな」って思ってたのが本当の話。


 でも少佐殿に道を示されたとき、偵察狙撃学校に入ることも至極当然に受け止められたのも、これまた本当の話だ。



 あの日助けた黒エルフのカッコカワイイ俺の相棒、レイザーことエリザベート・ファースタンバーグを巡るごたごたで仰せつかった一年の強制休業──実際は一年半も続いたまんじりともしない日々のおかげで、俺の体は軍隊向けの細胞配置を半分忘れちまっていた。

 だもんで少佐殿と曹長殿、それにレイザーが俺を迎えに来てくれた次の次の日からは、再訓練で地獄を味わった。

 少佐殿ご一行はわざわざ俺なんかのために、二週間も休みを取ってくれていた。

 再契約・再配属までの間、俺は曹長に怒鳴られながら実家の周りを荷物担いで走ったり、かと思えばレイザーと曹長にケツひっぱたかれながら近所の射撃レンジで狙撃の練習したり。

 義兄弟のサムやその友達の退役海兵の兄貴たち、それからもちろん少佐殿にも散々かわいがってもらった。模擬戦闘訓練でうちの実家の農場の、牛や豚がひりだしたありがたい茶色の半固体の中に一晩中隠れざるを得なかったときは、匂いで頭がどうにかなるかと思った。

 いや、俺はスライムだから脳みそなんて無いんだけどさ。


 正式に海兵に復帰したら少佐殿ゆかりの師団直轄偵察大隊に回され、ブートキャンプでお世話になった訓練教官たちの同期だっていう曹長たち直々に、ハードな訓練を課せられた。

 それが訓練だっていうのに、アフガニスタンでの実戦よりよっぽどしんどいような内容でさ。三~四日は演習場から宿舎に戻れないことはざらにあった。

 意外なことかもしれないが、実戦で二〇時間も三〇時間も戦闘状況のまま緊張しっぱなし、ていうことは案外少ない。というか無いに等しい。

 特殊部隊や山岳師団でもなきゃそんなことにはならないってのは、アフガン帰りもイラク帰りも意見の一致するところだった。どんなに激しい戦闘でも、どこかで一息つけるタイミングがあるってもんだ。


 ところが再配属された大隊は、名目上は普通の偵察歩兵大隊なのに、訓練の内容がマジで異常でさ。陸軍七五レンジャー連隊や一〇山岳師団とまともにやりあえそうな濃度の訓練をやっていた。

 配属される兵隊も、ほかの連隊ならなんもせんでもいきなり三等軍曹が務まるような奴らばかりだった。下士官と将校連中に至っては、偵察特技MOS0321を持ってるのは当たり前、曹長や大尉が偵察狙撃特技MOS0317持ってるのは義務で、二等軍曹は爆破や無線の特技MOSを持ってなかったら笑われるっていう場所だった。

 大隊長は少佐殿に負けず劣らずの大ベテランの悪魔デーモンで、なんと太平洋戦争でイオージマの戦いにも加わったことさえあるという。大隊の訓練方針はその彼の経験から「かくあるべし」と定められたものだったわけだ。

 俺とレイザーは、そのスパルタ大隊とロッキー山脈裏手の海兵隊山岳戦演習場で二カ月ばかりを過ごした。おかげで俺たちのカンとなまった体はすっかり元に戻り、その頃にはどんな戦場に送りこまれても大丈夫だっていう自信がついていた。


 ま、それがとんでもない勘違いだったっていうのは、もはやお約束なんだけどな。



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