黒エルフ④
「それでどうなったんです?」
二〇〇七年一〇月三日。
アトランタのちょっとパリッとした南部料理レストラン。
対面に座ったヴィクトリアさんに、俺はポークチョップ・ディッシュをつつきながら尋ねた。
相棒のレイザーことエリザベートはインフルエンザで倒れて、キャンプレジューンの隊舎で寝込んでいる。
周りからはさっさとキャンプの外のアパートを借りろと言われるが、ほとんど外地で勤務してるのに余計なお世話だ。
しかしイラクからようやく帰ってきて最初の休暇がこれだからどうしたもんかと思っていたら、ヴィクトリアさんからメールでお呼び出し。親父さんのリドリー・ファースタンバーグ上院議員にはまだ会わせてもらえないものの、ヴィクトリアさんはリドリー上院議員の名代として、ちょくちょく俺とレイザーに会ってくれていた。
で、今回はアトランタに用事があるからちょっとそこまで来てくれないかということだった。
まぁアトランタなら日帰りできるかと思って、エリザベートをキャンプの医師に任せてジャクソンヴィルでボンバルディアに飛び乗ったのが朝の一〇三〇時。
アトランタ空港の国内線出口で執事さんに首根っこをつかまれ、70年型プリムス・ロードランナーの後部座席に押し込まれたのが一一三〇時。
今までもヴィクトリアさんと会う度にこの爺様の運転する車に押し込まれているんだが、どうもこの人の車の趣味、海兵の大先輩で俺の義兄弟のサムとよく似ている。
若者向けの安価なマッスルカ―が売りだった2ドアクーペのロードランナーだが、内装はやたらラグジュアリーで後席の乗り心地は尋常じゃなく良い。聞けばエンジンは426ヘミユニット、ミッションは五速レーシングミッションに換装、ボディに全面的な補強を入れ、リアはリジッド=リーフ式だったのをマルチリンクと油気圧ダンパーに改造したそうだ。偉いさんを乗せてのクルージングからワインディングでの公道レースまでなんでもござれのウルトラマシーンだ。
ちなみに初めてヴィクトリアさんに会ったときは、ビカビカに磨き上げられた69年型ダッヂ・チャージャー500だった。こいつもヴィンテージ・マッスルカ―の大傑作。だがチャージャー500はレース寄りのセッティングなだけあって、狭いわサスが硬くてケツが痛くなるわで大変だった。でも俺は乗れただけで大満足。レイザーはだいぶ不機嫌になってたけどな。
話がそれた。どうもクルマとレイザーのことになると見境がなくなっちまう。
そう、つまり激昂したレイザーはどうなったかってことだ。
野獣のようなレイザーとは好対照、まさに深窓のご令嬢という印象のヴィクトリアさんは、ティーカップを置いて存外はすっぱな口調で答えた。
「そうね。あの子は夜の山に逃げ込んで、私は思わずあとを追いかけた。心臓と肺は焼け付くように痛んだけど、ワトゥーガダムの
その時俺はどれだけ驚いたんだろうな?
対面のヴィクトリアさんは大いに相好を崩し、口を覆って爆笑あそばされた。
「すごいわ、そんなに大きな目になるのね、スライムの方って! 漫画みたい」
「いやいや、笑い事じゃないですよ、ヴィクトリアさん。あいつが、その、」
「自殺未遂をって? もちろん。長い人生、誰にでも一度や二度はあるはずよ。そうではなくって?」
慌てた俺を覗き込んで、彼女はゆっくりと、刻み込むようにそう言った。
笑顔のままで? いいや。口元はほころび、目元はいっそ優し気ですらあったけれど、瞳は闇よりも深い色をしていた。
俺はおぞ気を振るった。
長い人生。俺には想像もつかない、長い人生。
考えてみればレイザー、エリザベートは俺よりもずっと年上だ。
だが、さんざんアイスマンにガキみたいだと茶化された俺から見ても、子供のようなところがある。
それはなぜだ。
「いい? ジョニー。あの子はとても孤独だわ。もちろんあの夜、あのグローリー・ホールの上で私たちは仲直りしたし、私も父もあの子の孤独を理解した。でも周りはそうじゃない。男たちからは女男と罵られたし、あの子の性嗜好が男性相手だとわかったらレズビアンからも馬鹿にされた。そもそもテネシーの山奥に逃げ場なんてない。あの子が四〇歳のとき、あの子の猟場にひどい落書きがされていたのよ。あの子が海兵になったのだって、軍にはLGBTの部隊があるとか、
ヴィクトリアさんはことさらゆっくりと言葉を紡いだ。
それはエリザベートの、心の闇の
俺にそれを見せたのは、つまり。
俺は深呼吸を一つしてから、口を開いた。
「この間のイラク出征のとき」
ヴィクトリアさんは静かに頷いた。
俺は頷きを返してから言葉をつなげる。
「俺の新兵同期が、仕掛け爆弾にやられました。
グラスの水を少し舐める。
水面は細かく揺れている。
野戦病院で見たロボの脚は片方が短くて、血の滲んだ包帯が巻かれていた。
「俺は、周りに勧められるまま海兵になって。何となくちやほやされて、一端の海兵気取りで。放り出されかけて。エリザベートやあなたや少佐に救われて、海兵に戻れた。俺の家は海兵隊で、俺は国と海兵隊のために戦います。でも、戻る場所はエリザベートのそばです。それは、あいつが俺を見つけて、選んでくれたから。だから、俺はあいつを守ります。絶対に」
俺はつっかえつっかえ、そうやって答えた。
お世辞にも良い答えだったとは思えない。
俺の頭の悪い言葉は、ヴィクトリアさんに理解されただろうか?
ヴィクトリアさんは何も言わない。
緊張のあまり、周囲の喧騒がくぐもって聞こえ始めた。
それからようやっと、ヴィクトリアさんは次の質問をしてくれた。
「なるほど。ところでジョニー。スライムの人たちは、成人してからも性転換することがあるって聞いたことがあるけれど、ほんとう?」
俺は思わず顔を上げた。
ヴィクトリアさんはなにか面白いものを見つけたような顔をしている。
まるでネズミをいたぶる猫のよう。
受けて立とうじゃないか。
「うちのお婆ちゃんが言うには、俺のひいひい婆ちゃんがそうだったようです。独立戦争の頃にだったのかな。ブリテン側のドイツ傭兵でワーウルフのひいひい爺ちゃん、彼が仲間に裏切られたのを助けたのがきっかけで知り合って。世話してやってるうちに自分が女になっちゃったから、戦争が終わったら彼をさらって連れ帰ってきたそうです」
目を丸くするのはヴィクトリアさんの番だった。
「だからまぁ、俺があいつの尻に敷かれっぱなしなのは、ひいひい爺ちゃんの遺伝なのかなって思ってます」
ヴィクトリアさんはついに吹き出した。
やったぜ。
だがそこは核心じゃなかった。
「私としては、あなたがひいひいお婆さんの遺伝もきちんと受け継いでくれているといいと思うのだけど?」
「……なかなか難しい質問ですね……もしエリザベートが男で、俺に惚れてくれたとしても、断らない自信はないですよ。結局今の俺はストレートだから」
と、言葉を切ると、ヴィクトリアさんの笑みが期待で大きくなった。
「でもたまに俺って実はホモなんじゃ、って思うときありますよ。俺らスライムの性別は有ってないようなもんだし。それに、あいつが男物の
と、俺がデジカメを取り出そうとすると、ヴィクトリアさんは満足そうにニヤニヤしながら、結構よ、と仕草で示した。
俺はその時気づいてなかったが、この時点でヴィクトリアさんの今日の作戦は終了していたのだ。
囮を使って敵を誘引、主力を迂回包囲して撃滅するのは合衆国軍のお家芸だが、ヴィクトリアさんもそうだったってわけで、彼女こそは我が海兵隊遠征軍司令官にふさわしい。
つまり何がどうなったか、というとだ。
「エリー、聞いてた? もしほんとに男でも愛してくれるって!」
と、俺の後ろに向かってヴィクトリアさん。
「うえっ?」
と振り返る俺。
視線の先にはマスクとサングラスで顔を覆った黒エルフの女の子、もとい我が相棒。
インフルエンザで寝込んでたんじゃ、と、思うまもなく抱きついてきた。
あ、やっぱり熱っぽい。っていうかめっちゃ熱い。
鼻水ズルズル言わせながらあーうーうめいてもいる。
サングラスを外させたら、真っ赤に充血した目が潤んでいた。
「ジョニーさぁ、出征中、海兵仕事ばっかりでエリーのことあんまりかまってなかったでしょ。ここ三ヶ月ほど、メールの内容やばかったんだからね。バディ組んでて不安にさせるって、相当才能あるよ、キミ。例の横恋慕ちゃんとも仲良くしてたんでしょ?」
どきーん。
いや、どきーんじゃないよ俺。
エリザベートは言動が粗暴な割には言葉数が少なくて、ずいぶん回りくどいところがある。
それにかまけてほったらかして、不安にさせたのはこの俺だ。
おまけに例の横恋慕ちゃんとも仲良くしてりゃ、一芝居打って真意確認したくもなるだろう。ただの友達付き合いだったとしてもだ。
本当に済まないことをした。
反省した俺は、エリザベートの頭をできるだけ優しくなでてやった。
そんな俺達の様子を見て、ヴィクトリアさんは肩の荷をおろしたような表情をしてみせる。
「ごめんね、重たい話ししちゃって。そんな重たい女は嫌です、なんていう男の子じゃないとも思ってたけどね」
「そりゃどうも」
「でもま、思った通りの子で安心したのも本当よ。じゃあ、エリーのこと、あとはよろしく頼みます」
そう言うとヴィクトリアさんは席を立ち、俺に向かってお辞儀した。
いやそんな、と遠慮しようとしたところ、耳元で囁いて曰く。
「性転換や半陰陽の秘法が試したかったら言ってね? たまには面白いかもよ」
あっけにとられる俺たちを尻目に、優雅に立ち去るヴィクトリアさん。
俺は鼻水ズビズバの相棒を抱きかかえ直し、あの人の旦那になる人は苦労しそうだなぁエロんな意味で、とかなんとかそんな事を考えた。
まぁいいや。
レイザーの風邪が治ったら、二人で車を買いに行こう。
ポンティアックかシェルビー・コブラか、マッハ1とかそのあたり。いやひょっとしたら、現行のスバルあたりでもいいかもしれない。なんにせよエリザベートにも相談しなくちゃ。
通りを走るシボレー・アストロから、ベースの効いたサザンラップが鳴り響いている。
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