ホモ・アレクシス・プロテウス

◇生物史的概要

 ホモ・アレクシス・プロテウス、いわゆるスライム族がどこから来て、どうやって知性を獲得したかはいまだにわかっていない。

 彼らの遺伝子はヒトをはじめとした二足歩行種族と、それ以外の生物のゲノムを多数含んでおり、染色体数もゲノム長も二足歩行種族より大幅に多い。

 にもかかわらずほぼ全ての二足歩行種族と交雑可能であり、交雑時における遺伝子交換機序は謎に満ちている。


 彼らのゲノム情報には、先に述べたように非常に多くの生物のゲノムが分断された状態で含まれている。二足歩行種族、各種の動物、粘菌類はもとより、部族によっては野草や樹木の遺伝子までも含まれる場合が多々あるという。

 ジョン・M・フーバー・ミスカトニック大学生物学教授の論文(04-11-2002、「スライム遺伝子歴史学序論」)によれば、スライム族のこれらのゲノムは「進化の足跡」ではなく、有史はるか以前、神々がまだ地上に御座した時代に非知的生命体であった彼らが食事の際に取り込んだものではないかと推測されるとの報告がなされている。

 これらは任意のタイミング、任意の箇所に発現させることが可能であり、合衆国海兵隊所属のJ氏の場合、0.2秒以内に十六個のネコ様眼球を身体各所に増設することができた。同氏によれば、生命の危機にさらされたときの体細胞の再配置と組織再構成は「もう一桁」早く可能だとのことである。

 

 柳田邦雄・皇国大学文化人類学教授の研究(15-06-1959、「口承歴史から見るスライム諸族の足跡」)およびカルメンシータ・イヴァネス・イスパニア大学歴史学部教授の研究(23-02-1999「獣人諸族歴史概観」)によれば、スライム族の祖は紀元前11千年紀のおわりごろ現在のベラルーシからリトアニアにまたがる地域で生まれたと仮説することができる。

 その後、紀元前四千年紀にはクルガン文化の拡散にともない、ポーランド、黒海沿岸部、フィンランドへと三つに分かれて移動した。彼らが対乾燥性を獲得したのはこれより前のことだと考えられている。

 ポーランドへ移動したグループはケルト人、ゲール人、エルフ諸族と争いつつ共存して今日「陸スライム族」と呼ばれる人種に至る。

 黒海沿岸部へ移動したグループはフン族およびゴート族の移動にともない、紀元前二〇〇〇年までに人類史から姿を消すこととなった。

 フィンランドへ移動したグループはスカンジナビア諸族と合流しつつ、紀元前一〇〇〇年までにはブリテン諸島へ到達、その後ウェールズとアイルランドに生活の中心を移している。またその際に強い耐塩性を獲得しており、今日「海スライム族」と呼ばれる人種へと至った。

 さらに、スライム諸族が繁殖適期である第二次性徴~老年期まで二足歩行諸族の形態を取るようになったのは、種族発生初期には捕食活動のため、クルガン文化との接触以後は繁殖可能性拡大のためと考えられる。


 多種族との交雑と旺盛な繁殖欲求については、古代から中世にかけての多くの叙事詩・神話・民話に伝えられるとおりである。

 彼らとの交雑によって生まれた人種も当然ながら存在する。

 ポーランドに移動したグループの一部はフン族の移動とローマ帝国崩壊過程においてスラブ地方へと移動し、そこで北欧系白エルフおよび古スラブ人と交雑し、ルサールカ族となったと一般には思われている。だが、ミトコンドリアDNA追跡によればルサールカ族の発生は紀元前二世紀までには完了していると考えざるを得ない(アレクサンドル・リマンスキー、30-08-1993「遺伝子分化学から見るスラブ諸族」)。


 中世においては「水辺の邪霊」などとして度々討伐の対象とされていたが、一方で里を追われた魔女にスライムの妙薬を授けたり(柳田・編「ヨーロッパ民話三巻『シュバルツシルトの魔女』、一九五八)、国を追われた王族を助ける(リトアニア民話「ヴァイシュヴィルガス大公の帰還」)など、困窮者に対して手を差し伸べる姿もまた多く残されている。


◇身体的特徴

 内臓は未分化で、表皮も粘膜様組織である。

 幼児期・老齢期においては半透明のぶよぶよとしたゲル状・半球である。

 思春期~中高年においては多くの二本足種族同様、頭部・胴体・一対ずつの手足をもつ姿になる。

 スライム自身が曰く、「すべてが筋肉で、全てが胃と腸で、全てが耳と鼻と目で、全てが脳」であるという。先に書いた多臓器の任意の箇所への発現はその象徴である。

 そのためか、他種族に見られる脳梁タキオン器官、いわゆる魔力回路を持つ個人は少なく、魔法を使える一族が僅かに存在するのみである。


◇生活史

 旺盛な繁殖意欲と独特の外見、遺伝子受容性の広さから、人類史の早期に「まつわろぬもの」として差別対象にされたスライム族であるが、その生活史もまた独特なものである。


 スライム族はほかの多くの人種と同じく、有性生殖で胎生である。

 妊娠期間は約一八〇日、約二~三kg前後で生まれる

 母体から産まれたスライム幼児は、ヒトでいう第二次性徴期までは丸くてぶよぶよとした、薄水色の半透明で可塑性の高いゲル状の姿である。当然ながら、幼児期は家族以外には(外見的には)見分けがほぼつかない。

 多くの幼児は生まれたときから広角レンズの眼球一つと発声・食事用の口腔を形成できるが、これは五歳までに複数個同時に形成・運用できるようになる。触腕・腹足も同様であり、個人によっては十数本の触腕を同時に運用することも可能である。

 表面組織は幼児期は脆弱であるが、成長に従い次第に強靭な構造を取るようになる。また、強い殺菌作用と抗ウイルス能力を持ち、魔法感応性は低い。このため、血液や分泌物を介する呪いや感染症に対してはほぼ鉄壁の防御力を有している。


 第二次性徴を迎え性分化が進行すると、二足歩行形態を取るようになる。体内には仮骨で形成された骨格を持ち、強靭な体表組織や疑似筋肉と併せてヒト並みの筋力を発揮することが可能になる。

 この時点で多くの成人スライムが幼児期に獲得していた感覚器や接触器の複数個同時形成・運用能力を忘却するが、訓練や精神的ショックによってそれを取り戻すことも多い。特に消防・軍・医療関係に従事するスライムには、そのための訓練を課すことが見受けられる。

 体表色は第二次性徴を迎えると男性はピンク、女性は水色となる。透明度は低く、体内に取り込まれた食物の消化過程は外部からは観察できない。体表色は意識的・無意識的に変化し、コミュニケーション手段としても有効である。

 生殖器は多くの二足歩行種族と同様の形態を取るが、外見の模倣にとどまることが多く、機能的にはかなり異なる。卵子・精子である遊走子に機能的差異はなく、男性でも妊娠可能なことから言って、すべてのスライムが事実上の完全雌雄同体である。したがってスライムにおける男性・女性の区分けは、単にホルモンバランスによる既定外見の設定と思考の方向性に過ぎないとみなすことができる。

 また、第二次性徴が完了し性成熟を迎えると「スライムパッチ」として知られる麻酔作用と鎮静作用をもつ粘液状物質を分泌できるようになることが知られているが、これは無核かつ使用対象の細胞膜表面構造を真似た細胞体多数で作成される。低アレルギー性、ほぼ絶対的な殺菌能力、高い生体親和性を持つことから、体内止血や火傷の初期治療に多用されるが、医療業務従事許可証を持たない者が他者に対して分泌・使用すると違法医療行為となる場合がある。


 おおよそ六〇歳~七〇歳代までは二足歩行形態で過ごすことになるが、その後身体機能の低下にともない、幼児期の姿へと戻っていく。

 八〇~九〇歳代に入り幼児退行が顕著になると身体機能の統制が失われ、身体各所への触腕や口腔、生殖器の発現を制御出来なくなる。思考は千々に乱れ、人格は散逸し、酸素と栄養は身体にいきわたらなくなり、体細胞は壊死し、やがて乾燥して死に至る。


 葬儀のあり方は宗派によって異なるが、中世では水葬が主流であった。

 現代では火葬もしくは土葬が主流となっている。


◇人種分布および人口

 世界全体での人口は約八千万人強とみられる。

 東西ヨーロッパおよび北米大陸に居住するものが半数を占め、ブリテン連合の旧植民地領域にも広がりを見せている。

 合衆国におけるスライム族の人口は三千万人程度とみられる。

 そのうちポーランド系陸スライムは千九百万人前後と予想されるが、八割以上の家系が海スライムと混血しているため、正しいところは定かではない。


◇言語

 スラブ語、ポーランド語、英語話者がその人口の八割を占める。


◇文化

 二足歩行種族とともに生活圏を築いていたスライム族は一般に文化受容性が高く、生活史に基づく慣習以外には独自の文化というものをほぼ持たない。特に北米大陸などに移民した者たちは強い耐乾性を持つうえ、文化的には完全に現地の生活に溶け込んでいるため、現代でもルサールカ族が持つような湿地や水辺での生活への執着を持たない。

 ただし幼児や老年者の生活においては、その身体の可塑性の高さから、風呂桶や大きなたらいを寝床にすることが多い。また、第二次成長が始まるまでは性的に未分化であることが多いため、男女どちらにでも取れる名前をつけたり、一二歳頃に改めて名前をつけ直すこともある。

 ほか、その強い耐塩性から塩湖周辺で生活する海スライムも近代以降は現れている。

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