青春の蹉跌②
「ともあれ、今の俺は海兵に興味なんてありません。戻ってこいって言うなら、しかるべき筋の人に頭を下げてほしいですね。どっかの上院議員とか」
俺がつっけんどんにそういうと、そっぽを向いたままのレイザーがびくりと背を振るわせた。
少佐殿が金色の目を細め、呆れた声を出す。
「ジョニー、ゴッドスピード。そりゃ誰に対する当てこすりだ?」
「どうとでも」
「伍長、お前少佐殿に向かってなんて口の利き方を」
俺が肩をすくませながら返すと、少佐殿は鼻息一つ漏らし、上級曹長が鋭い声を出した。
俺はなんだか何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
「再契約意思確認票どころか年金通知票さえもらってないんだ、こっちは。こんなみじめな海兵がほかにいますか!」
傷病除隊ならまだいい、とは言わない。俺たちぶよぶよは手足を失うってことがないから、手足を失って除隊した連中の本当の気持ちはわからない。
だがこんな中途半端で意味不明な、宙ぶらりんの状況よりはきっとマシだ。
「今日の今日までほったらかしにされて、謝罪もなしにアイアイマム、とはイカンでしょうが。さっさとクビにしてもらったほうがまだマシだ。上等兵、どうだ、面白い見世物だったろう? 先輩面して肩で風切ってた衛生伍長様がこのザマだ。上院議員のパパによろしくな」
俺が吐き捨てると、レイザーはようやくこちらを向いて、俺をきつくきつく睨みつけた。
その長いまつ毛と瞳ははふるふると揺れていて、俺はそれに一瞬心を奪われそうになった。
「お前の海兵復帰には上等兵も努力したんだぞ。昇進に不利になるのを承知で自分も海兵を休んで、毎日親父さんを説得し続けたんだ」
「知ったことか」
とにかくその時の俺は、何かワケのわからん怒りに包まれていたのは確かだ。
マークワンやアイスマン、ポッターやロボやヘルシング、たくさんの海兵の兄弟たちがアフガニスタンやイラクや、その他合衆国を守るために地球上の何処かで戦っているのに、俺ときたら実家の手伝いで時間を潰すだけ。
惨めだった。
その惨めさが俺にあんな愚かな振る舞いをさせたのか?
だが本当に惨めになるのはそれからだった。
本当ならな。
「話にならん!上級曹長!上等兵!帰るぞ!」
少佐殿は勢いよく立ち上がり、玄関へ向かった。
上級曹長は盛大に溜息をついてから、レイザーはもう一度俺を睨みつけてから少佐殿に従った。
少佐殿は玄関の内扉を開いてから、一旦こちらを振り返った。
「貴様には失望したぞ、伍長。そこまでガキだとは思ってもみなかった」
それだけ言い残して彼女は立ち去ろうと前に向き直り、
「ピャッ!?」
とそれまでの渋い声からは想像できない、可愛らしい声を挙げて硬直した。
何が起こったんだと思ったが、その原因は間もなくわかった。
「お? なんだ、懐かしいのが居るじゃあないか。少尉、ちょっとはでかくなったか? やぁ二等軍曹。ひさしぶりだなぁ」
玄関ポーチで陽気な声を出しているその男の名は、サミュエル・ホーキンズ。
お向かいさんにして俺の義兄弟、そして元海兵隊
ちょっとばかり年をとって、人の良さそうなアニキから人の良さそうなおじさんにクラスチェンジしていた。
「ジョニー、バーベキューやろうぜバーベキュー。あとスイカ喰わね? 今年はいいの出来たんだよ」
サムのこういう呑気なとこが、俺は大好きだった。
◆
その日の夕飯は、早々に仕事を切り上げたうちの家族ともどもバーベーキューにご相伴と相成った。
といっても、サムが提供したのは場所とバーベキューグリル・ピットトレーラーとスイカとビールと、近所で獲ったマガモとキジ。あとのほとんどの食材はウチが提供した。
役場の仕事から返ってきた母さんや、二本足の姿を保てなくなってたおばあちゃんは堕天使様が居るってんで大興奮。大興奮したのは兄貴の嫁と娘たちも同じで、ウチの女衆は全員少佐殿を崇めて説法をせがみだした。堕天使と戦女神は同義語だし、俺たち
そんな感じで少佐殿、二〇年ぶりに出会ったサムと話をしたいんだけれど女衆が離してくれなくて、ずいぶん困ってた。
ちょっとかわいそうだったけど、面白かった。
俺がいない三年の間に、サムと兄貴や親父はずいぶん仲良くなっていた。
肉を焼きながら作物の育て方や農機具の修理のことや、インターネット直販のこと、スーパーボウルのことなんかを話していた。
普通バーベキューってのは
そこにバート先任曹長も加わり、肉の焼き方のことで一悶着起きる。
ここいらのバーベキューは遠火のグリルステーキが中心だ。あまりスモーキーさは求めないし、なんなら味付けは岩塩と胡椒だけのシンプルなもの。
ところがテキサス出身のバート上級曹長にとって、バーベキューとは濃厚な味わいのソースを使った低温で長時間じっくり調理する燻製料理だ。あれこれ口出しし始めたところを、「郷に入らずんば郷に従えっていうだろ」ってサムに窘められ、「こればっかりは無理です中尉殿」なんて言い返してた。
で、親父ときたら、じゃああんたのやり方も見せてくれなんて言っちゃったもんだから大変さ! サムにもう一台バーベキューグリルを用意させたバート上級曹長は、ウチの肉とありあわせの調味料を使って、なんだかやたらこだわったことをやりはじめた。
こりゃあずいぶん時間がかかるなと、兄貴達は苦笑した。
で、俺とレイザーことエリザベート・ファースタンバーグは、なんとなく手持ち無沙汰になっちまった。
その頃になると俺もさっきまでの刺々しい気分は消え失せ、どうにかみんなに謝りたくて仕方なくなった。
というかまずはレイザーだ。
俺の手当が下手くそで、後遺症が残ってなきゃいいが。
俺はビールの缶と自家製ジンジャーエールのピッチャーを持って、「暇ならあっちで飲まないか」と誘った。後ろ手で指し示した方は、地面が五フィートぐらい、ちょっと盛り上がったところがある。そのてっぺんにはベンチ代わりの丸太が一つ。
レイザーは無表情に俺とそっちを見比べていたが、さわさわと風が芝生を揺らしたのを見て、目をやわらかく細めた。
◇
「その、さ。怪我の具合はどうだ?」
丸太に座り、ジンジャーエールのグラスを抱えたレイザーは薄く微笑んで、ふるふると首を振った。
「そうか。良かった。手荒な処置ですまなかった。……それと、さっきは済まなかった。あんなことを言うつもりじゃなかったんだ。本当に、ごめん」
そうして俺はかかとを揃え、頭を下げた。
……どうして俺はあのときあんなに意固地になったんだろうな?
あんなにも海兵への復帰を熱望し、あとになってやっぱり海兵が天職だったと達観した俺が? 従容として運命を受け入れ、合衆国と市民を守るべき俺が、海兵の兄弟にどうしてあんな真似を。
レイザーは何も言わず、俺は頭を下げ続けた。
それしかできなかった。
またさわさわと芝生が風にそよぎ、それからふふふと誰かが笑った。
「いいよ、ゴッドスピード伍長。頭を上げてくれよ」
言われて上げた視線の先で、レイザーは花のように笑っていた。
◇
「少佐殿も言ってたけど、意外と子供だったんだな、伍長って」
クスクスと笑いながらレイザー。
「……悪かったよ」
「ははは。お返しさ。だからこれで恨みっこなし」
彼女は声を上げて笑ってから、ジンジャーエールを軽く一口。びっくりした顔をしてもう一口。
「すごいな、美味しい」
「母さんの自慢の一品だ」
俺はレイザーの前の地面にどっこらせと腰を下ろすと、バドワイザーの缶を開けた。
「もう婆ちゃんには作れないけど、ウチの伝統の味ってやつ」
「そうか。良い家族だな」
「どうかな。兄貴達にはずいぶんいじめられもしたけれど」
「恨んでる?」
「いいや。俺が海兵に入りたいって言ったとき、他の兄弟が冷やかすのを止めてくれたのは、俺を一番いじめてたあの兄貴だったんだ。だからもういい」
レイザーはもう一度、「良い家族だ」と言ってからグラスを空けた。
俺もビールを流し込んだ。
「ありがとう。それで、本当にもう傷はいいのか?」
「ああ。あんたの処置のおかげでなんともなかった。バグラム空軍基地の病院には高度医療魔法が使える先生もいたから、後遺症もないよ」
「傷跡とかは」
「大丈夫だって! なんなら見るか?」
と言って黒エルフが服をめくろうとするのを、俺は慌てて押さえた。
「おいおい、やめろって! 周りじゅうから丸見えなんだから」
「俺は気にしないのに」
「俺が気にするんだよ!」
レイザーは艶かしく微笑んだ。
「てかもう全部見たじゃん」
「うぐっ」
「お腹の中にまで入ってきてさ」
「言い方ェ……」
「初めてだったのに、あんなに激しくされちゃ、さ。壊れるかと思ったよ」
「あのなぁ!あれは医療行為で」
「その医療行為が、ウチのバカ親父を怒らせたんだぜ?」
俺がハッとして動きを止めると、彼女は俺のバドワイザーを掠め取り、んくんくと喉を鳴らして飲み干した。
「まぁちょっと聞いてくれよ」
そうしてレイザーは身の上を語り始めた。
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