1-4.幼年期の終わり ~合衆国2004

青春の蹉跌①

 二〇〇五年八月。

 俺は実家の手伝いをしていた。

 牛さんモーモー、ブタさんブーブー、ニワトリそこらでコケコッコ。

 ハイパー・ファッキン・クソド田舎、マディソン郡の麗しの我が家。


「ジョニー!」


 俺が牛舎の寝藁を片付けていると、一番上の兄貴が呼びかけてきた。

 この農場は今はもう五年前から彼のもの。

 胸には『スライム印ののんびりミート』のレターとともに、ぶよぶよスライムにもたれて寝ている牛や豚や鶏の絵。

 うちでのんびりのびのび育てた牛や豚は、ロハスだかなんだかいうニッチマーケットにすっぽりはまり、インターネットとブログのおかげで莫大な利益を俺の実家にもたらしていた。ケーブルテレビのメタル回線しかなかった時代に、バカ高い契約料で専用回線引いた兄貴に栄光あれ。

 牛舎は去年建て替えて、鉄筋コンクリートの立派な牛舎に様変わりしている。寝藁片付けも昔みたいに人力だけじゃなくて、四輪駆動のちっちゃなホイールドーザーボブキャットでやっていた。

 これでハエがいなけりゃいいんだが、そんな畜産農家があるならぜひとも見学したいもんだ。

 

「なんだい、兄貴」

「お前に客だ。海兵の人たちだ。シャワー浴びて着替えてこい」


 兄貴の後ろを透かしてみれば、あの冬たしかに世話になった懐かしい顔ぶれ。

 俺はピンク色の顔を、思い切りしかめてみせた。



 シャワーを浴びて臭いを落とし、ラフな格好に着替えた俺は来客に挨拶した。

 NOFXのロゴプリントTシャツにエクストラ・ラージのショートパンツを着た、ピンクのぶよぶよ。とても海兵には見えなかっただろうな。


「お久しぶりです、大尉殿、いや、今は少佐殿でしたか」

「壮健そうで何よりだ、ジョニー」


 新築した母屋には、いっちょ前に応接室なんてものがあった。

 牛や豚のにおいは一切なし。

 北欧製の応接セットに腰かけていたのはあのリーコンの大尉殿。繰り返しになるが、その時には階級が上がって少佐殿だった。

 背中ががっぱり開いたホルターネックのニットに黒いチューブトップ、リーバイ・ストラウスの501ヴィンテージ・ダメージジーンズ。

 そんな格好してると、とても二千ウン百歳には見えやしない。まるでティーンエイジャーだ。

 ちょっと童顔だし。


「そうちょ、上級曹長殿もお元気そうで」


 バート上級曹長はニカっと笑うと「おう」と短く答えてくださった。

 任務中はいかめつらしくて怖いと思っていたが、案外気さくな人だった。

 ナイロンメッシュのライダースに、膝にカップの入った分厚いバイカーデニム、使い込まれたエンジニアブーツ。ジャケットの下の筋肉に押し上げられた黒いTシャツは、ドラゴンフォースとかいうメタルバンドっぽいロゴが見える。

 イメージピッタリすぎて逆に笑えない。とか言ったらぶん殴られそうだけどまぁいいや。

 そして。


「やぁ、調子はどうだいレイザー」


 俺が声をかけると、トロイのコンバットシャツとヨコタ商会のタイガーストライプ迷彩カーゴパンツに身を包んだ黒エルフは、ぷいとそっぽを向いた。



 あの戦闘の最後、狙撃されたレイザーを救うため、俺は


 物陰に引っ張り込み、グールの血を浴びた戦闘服を脱がせ、グールの血に触れた腹側の射出口の断面を多少削ぎ落とし、穿たれた銃創に潜り込み、本能的に生成した麻酔を注入し、銃弾の破片と破壊され汚染された組織を排除し、素早く大血管と神経をつなぎ合わせ──。

 ──衛生学校でやったキッツイ講習の話は覚えてるよな?

 アレを実践した。


 腹腔内に飛び散ったものも、腸管の中のものも、一欠片も残さずだ。

 幸いキャメルバッグの中にまだ水が一リットルぐらいは残ってたし、第三小隊の仲間たちが持ってきてた水もあったから、それを使って高圧洗浄し、俺自身を使ってドレナージしたわけだ。

 それから腸管や小血管をつなぎ合わせ、骨片を可能な限り組み立て、ぶよぶよ特性消毒パッチをすべての患部に貼り付け、そいつを腹膜とステープラーでつなぎ合わせて、無事終了。


 夢中になりすぎて覚えちゃいないが、俺は一〇分そこらでこれらをやり遂げた。リーコンの衛生兵の先輩ですら舌を巻く素早さだったそうだ。


 カンダハルのデポに戻るまでの時間でレイザーがグールに汚染されていないことははっきりしたから、それで俺はようやく安心し、クソうるさいヘリの中ですとんと落ちるように寝ちまった。

 その後レイザーはカンダハル国際空港から空軍の輸送機で、バグラム空軍基地の病院へ移送された。カンダハルの野戦病院は負傷兵でいっぱいだったんだ。



 デポはひどい有様だった。

 あちこちのコンテナや倉庫が壊れて、物資が散乱し、車両が炎上している。

 敵は撃退できていたが、人的被害は甚大で、戦友を失ったのは俺たち合衆国海兵だけじゃなかった。ブリテン、カナダ、リベリオン、タジキスタン、ウクライナ、秋津洲、自由アフガニスタン、インド。あのデポに居た連中で、心に傷を負わなかった奴は一人もいない。

 捕虜になった聖戦士ムジャヒディンによると、アノニマニシスのグール化部隊が二十人ばかり紛れ込んでいたが、作戦の邪魔になるし、他国の連中以上にアッラーの敵であるから攻勢の前に『処理』したとのことだった。

 こういうところでは以心伝心って言うか、似たようなことを考えられるのに、どうして殺し合わなきゃならんのか。それとも似た者同士だからなのか。


 中隊本部に顔を出し帰還した旨報告すると、中隊長は青い顔をしていた。

 そりゃそうだろう。第二小隊は死傷者多数で壊滅状態だ。ショックを受けるなという方が無理がある。

 だが、中隊長殿はもう一つ別の理由で顔を青くしていたんだ。

 壁際におかれたテレビ、そこに映されたCNN。

 そいつのテロップにはこうあった。


「バグダッドで神代兵装による攻撃か」

「イラク派遣有志連合軍に大きな被害」

「アノニマニシスなる組織が犯行声明」


 それに気がついて呆然としたのは俺だけじゃなかった。

 大尉殿たちリーコンや、秋津洲ゼロ・ユニットの面々もだった。



 それでも俺たち第三小隊の面々は特に何事もなく、残りの派遣期間を消化していった。

 俺たちの損害は大して報道されなかった。それよりもイラクで受けた損害のほうがデカかったからだ。

 時々は北部に反攻の拠点を移した軍閥による攻撃の報があったけれど、俺たちに深く関係することはなかった。


 あの日から一カ月ほどして第二小隊は先にクニに帰り、再編されることになった。最後の最後にマークワンのハートを射止めたのは、ビンカウスキ二等軍曹だった。

 レイザーはせっかく退院したのに、次の日にはとんぼ返りだ。何か話せることがあるかと期待したが、その機会はなかった。

 俺たちは春になるまで寒い中、がれきの片づけや上下水道整備、道路舗装に医療支援に携わり、それから合衆国へ戻ることができた。


 ハワイの第三連隊駐屯地に戻った俺を待っていたものは前代未聞、一年間の強制休暇だった。

 事実上の引退宣告。

 そいつを言い渡された第三大隊のオフィスでわけもわからず茫然としていると、なぜかそこにいた大尉殿が事情を説明してくれた。



「さて。やってもいない『戦場での性犯罪』で海兵を追いだされた俺に、今さら何の用ですか?」

「ご挨拶だな、伍長。せっかく約束通り迎えに来てやったのに」


 起訴は免れたとはいえ性的暴行の疑いをかけられたとあっちゃ、この先どうなろうと俺が引退するときに名誉除隊者章をもらうことは絶対にない。

 おまけに四年現役の契約で入営したのに一年間の強制休暇?

 そんな経歴がついちまっちゃ、三等軍曹にだってなれやしない。

 せっかくいろんな人達が俺に期待してくれて面倒を見てくれたのに、俺はその人達が自慢できるような海兵になれなくなっちまった。

 はっきりそうと知ったときの俺の気持ちがわかるか?

 そいつがわかるのは同じようにドロップ・アウトさせられたり、傷病除隊した海兵の兄弟たちだけだ。


「ジョニー、あれは仕方がなかった。海兵隊もお前も救うには、あの方法しかなかったんだ」


 レイザーの負傷は直ちにその親父さん、すなわちリドリー・ファースタンバーグ上院議員の知るところになった。

 彼は海軍予算委員会に多大な影響力を持つ大物議員だったが、娘が負傷したぐらいでオタつくようなタマじゃなかった。

 だが俺がレイザーに何をしたかを知ると、俺を刑事告訴しようとした。

 だがそれは無理筋なのを知っていたんだろう。刑事告訴できないと知れた瞬間、彼は俺を軍法会議にかけ海兵隊から不名誉除隊させようとした。


 海兵隊は死ぬまで海兵隊だ。引退したって「元海兵」じゃない。

 死ぬまで海兵。それが合衆国の槍の穂先、醜の御楯たる俺たち海兵だ。

 ロバート・キネノス大魔王を白昼堂々狙撃したあのイカレだって、死ぬまで海兵として扱われた。


 だが不名誉除隊させられるとそうもいかなくなる。

 ほかの三軍に転属することはできなくなるし、沿岸警備隊や警察、FBI、消防への再就職もできなくなる。

 年金支給はなくなり、大学奨学金も貰えない。

 つまり我らが栄えある海兵隊にケツと魂を捧げることによって、危険と引き換えに得られた様々な特典を失うことになる。


 だが本当に失うのは自分自身、アイデンティティだ。

 海兵隊で過ごした、あの日々だ。

 

 それを阻止してくれたのは、この素敵な堕天使の将校さん。

 彼女は階級こそようやく少佐だが、本来なら上院議会にすら影響を及ぼせる偉大な人物だ。名前は明かせないがね。

 その彼女が俺の将来を買って、なんとか軍法会議送りを防いでくれた。


 そうなると面白くないのはファースタンバーグ上院議員。

 ならばと彼は海軍予算委員会と国防省、海兵隊上層部に、将来の海兵隊解散を視野に入れた予算削減案を提出する用意があるとほのめかした。

 もちろんこいつは政治的に穏当な表現だ。

 実際はかなり露骨なことを言ったらしい。

 こうなるとさすがに海兵隊も「戦功を挙げた優秀な衛生兵だから」と言って俺を庇うことは難しくなり、それで前述の俺の処分が決定したわけだ。


 それでも少佐殿は、なんとか俺の復帰と再契約への道を残しておいてくれた。

 それは全く感謝すべきことで、実際俺は最初のうちは本当にそうしていた。


 だがあっという間に一年が経った。

 待てど暮らせど再契約の意思確認書類は届かず、州の募兵事務所に行っても「連絡なし」。


 俺は海兵隊から見捨てられたんだと強く感じ、そんなわけでそのころの俺は、ちょっぴりやけっぱちになっていた。

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