無貌の教祖
「レイザー!おい!エリザベート・ファースタンバーグ上等兵!」
俺が肩を掴んで揺さぶると、彼女はゆっくりと顔を上げ、ぼんやりした目で俺を見つめた。
四×三メートルほどの部屋の中には、グールの腐臭と倒れた海兵の新鮮な血のにおいが漂っている。
「その子は大丈夫だ、ゴッドスピード。乱戦になって倒れた拍子に頭を打って、気絶したんだ。そのせいかグールに見向きもされなかった」
マークワンに肩を借りたビンカウスキ二等軍曹が、忌々しそうに唾を吐き捨てる。
「とんだラッキーガールだ」
そこへ大尉殿が戻ってきた。
廊下の奥の方ではまだ銃声が鳴り響いている。手榴弾の炸裂音も。
どうやら大詰めらしい。
「二等軍曹、いけるか。右足はどうした」
「はい、大尉殿。軽い捻挫です。肩を借りれば」
「一等兵、君は大丈夫そうだな。二等軍曹に肩をかせ」
「……アイアイ、マム」
スチュワート一等兵はほんのちょっとの不満を露わにしながら、ビンカウスキ二等軍曹に肩を貸した。
俺はその間にレイザーに外傷はないか、グールの呪いに感染していないかを確認した。その間、彼女はなされるがままだった。
「伍長、どうだ」
「血まみれなのは全部他人の血ですね。脈拍、呼吸、体温正常。瞳孔反応もあります。外傷は……ありません」
そこまで確認して、俺はほぅっと息を吐いた。
くそったれ、心配させやがって。
「ただ、まだちょっと混乱してるみたいです」
「フン。
激烈な感染症の病原体に触れた場合、俺達ぶよぶよは触れた個所とその周囲を即座に破棄することができる。俺たちぶよぶよにはリンパ腺なんていう免疫専門の器官は存在しないから、そういう免疫反応を示すようになった、らしい。
「はぁ、もちろん」
「用心しろよ。間違ってグールの血を飲んじまったやつが、化ける事例がある」
俺はぎょっとしながらレイザーのヘルメットを脱がせ、腰の水筒を外して頭からぶっかけて顔を洗ってやる。こういうとき、上を向かせて顔にかけてはならない。目や鼻や口の粘膜に病原菌が入ったらどうする?
そんなこんなでようやく、彼女の目に光が戻ってきた。
周りの状況を見て呆然とするのはまぁわかるが、俺の顔を見てもろに嫌悪感を示したのにはちょっとばかり傷ついた。
俺がもう一度ため息をつくと、レイザーの顔はますますこわばっていく。彼女の視線は俺の後ろに注がれていた。
複数のうめき声と濡れたモップを落としたような音。
「上等兵、上等兵!」
後ろで何が起きているかは言われずともわかることだ。
俺はレイザーに強く呼びかけた。
「俺の目を見ろ。あっちは見るな。怖けりゃ目を閉じていろ」
レイザーはすがるように俺の胸元に顔をうずめた。
ガスっ、バンバン。
重量のある刃物で何かを断ち切った音と、5.56mmの発砲音複数。
「……ドッグタグを回収しろ。くそったれ」
大尉殿は吐き捨て、壁を鑓斧でぶん殴って部屋を出ていった。
◇
廊下に出ると、目に染みるような腐臭が漂っていた。
俺は即座に嗅覚刺激を遮断した。
具体的に言うと体表面の組織がセルロースの膜を張り、匂いのもととなる化学物質に対して、刺激の受容を拒んだということになる。
マークワンが目を白黒させて吐き気に耐えていると、いつの間にかガスマスクとブーツカバー、分厚いゴム手袋を付けた秋津洲の連中が、丈夫そうなビニール袋を二つ抱えて暗がりから戻ってきた。
彼らは屋敷の奥の地下室に潜っていたそうだ。
グールのうめき声は、もう外からしか聞こえない。
「終わったか」
「ああ。証拠品になりそうなのはこれだけだ」
コマツがビニール袋とメモリースティックを一つ、大尉殿に手渡した。
彼らはガスマスクとブーツカバーをそっと外していく。
「頭と右手だ。あとはグールに喰われて、どうにも。顔面の柔らかいところは残ってないから、骨格屋に復元してもらうしかない。これが証拠回収時のムービーデータだ。死んでから喰われたみたいで、まぁクリーンだ、比較的」
「
「知らんよ。教祖になったのか、それとも宣教師の一人でしかなかったのか」
「ともあれ、協力に感謝する。そちらの袋は?」
「押収書類の、うちがもらう分だ。こいつがないと次の予算が降りないんだ」
大尉殿は鼻をフンと鳴らすと唇を捻じ曲げた。
「ほかの写真やムービーデータも貰えるんだろうな?」
「今コピーできる分はそれに入ってる」
「了解。下はどんなだった?」
「どろどろのぐちゃぐちゃ。浄化槽の中のほうがまだマシだ。あんな狭いところにどうやって三〇〇体もグールを隠したんだか。たぶん、腕のいいネクロマンサーがいたんだろうな」
「だがそいつはいない?」
「影も形も。舐められたもんだ。ここは燃やそう。テルミットはたんまり持ってきたから、跡形もなく消毒できる」
「同意する。海兵の生き残りを回収して、撤退しよう」
俺たちは可能な限り迅速かつ丁寧に、テルミット焼夷弾を設置して回った。
「
二七〇〇度に及ぶテルミットの熱が、
罪なき者も、罪のある者も、せめて等しく呪縛から逃れられますように。
◇
「ジュリエットHQ、ジュリエットHQ、こちらウッドペッカー。そっちの武器小隊はどうしてる!?」
『今ようやく空港を飛び立ったところだ。空港の周りは聖戦士だらけだ。今空軍の火竜が焼いて回ってる。そっちはどうだ?』
「結構やばい、かな? そっちにグールは?」
『未確認だが、南東方面が怪しい。市内は大丈夫そうだ。何を持って大丈夫というかはわからんが』
大尉殿が無線でJ中隊と大声でやり取りしている。
その頭上をピュンピュンと、流れ弾が掠めて飛ぶ。
ズバン、と大きな爆発音。村の建物がまた一つ吹き飛んだ。
「くそったれ、軍閥の奴ら、こっちがグールを始末したんで色気出してきやがった」
「どうせ出すなら、もっと早くに出してほしかったですな」
「まったくだ。手間も減っただろうにな!」
大尉殿と曹長は軽口を叩きながら、トラックの残骸の影から向こうを覗き見た。
村の南北を貫く大通り、その南からイスラーム聖戦士が侵攻してきていた。他の正面も南からの攻撃をうまく援護していた。
動きがいい。
正規軍としての訓練を受けていたというのは、どうやら本当らしい。
俺たちは村長宅を『消毒』したあと、グールの残りを掃討しつつ、生き残りの海兵を集めて回った。
まだ動くトラックがあったからそれに乗って帰ろうともしたが、村を包囲するイスラーム聖戦士の数は増えていた。
村の東に小高い丘陵地帯があって、敵の増援と迫撃砲弾はそこから来ていた。
リーコンはヘリに包囲網への攻撃を何度も要請していたが、敵は分散して行動していたため、効果が薄い。
そうこうしているうちに、ヘリは全機が全弾を射耗しちまった。
シェラ・パパ・スリーに展開したリーコンの迫撃砲チームは非常に積極的に攻撃していたが、そちらも弾切れが近いらしい。
俺たちは最初の屋敷と、そのすぐそばで横倒しになっていたトラックの影に負傷兵を運び込んで、手当たり次第に治療した。
規定数の倍持ち込んでいた医療用品はあっという間に底をつく。
くそったれ、手が足りないぜと俺がぼやくと、隣で治療に当たっていたリーコンの衛生兵──階級は一等軍曹で、スライムだった──が手本を見せてくれた。
「坊や、覚えとけ。俺達ぶよぶよは、所詮ぶよぶよなんだ」
彼はそう言うと戦闘服とプレートキャリアを脱いで、上半身だけ人の形を無くした。
目も手もいっぱいの、海兵になるときに忘れろと言われた、俺たちの本当の姿。
彼はものすごい勢いで怪我人を手当てしていった。
俺も何とか拙いながら、精いっぱい真似をした。
少し離れたところで、レイザーがぼんやり子供の死体を見ていた。
周りに流れ弾が着弾する。
俺は腕の一本を伸ばして、彼女を物陰に引っ張りこんだ。
「あれは俺が成仏させた。お前じゃない。だが、俺たちがお前たちと同じ目にあっていたら、あの子を成仏させたのはお前だったかもな」
そう言うと彼女は俺を殺気とともに睨み付けた。
殺気を出せるようになりゃ上等だ。
「……人でなしめ。いつか殺してやる」
「ああ、お前さんなら大歓迎だ。首を伸ばして待ってやる。だが今はやめろ。俺は海兵で、お前も海兵だ。海兵らしく戦え、上等兵」
「ファックユー・サー!」
それでようやくレイザーは戦列に戻り、俺は前にも増して忙しく負傷兵の手当てを行った。
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