敵の影

 レイザーことエリザベート・ファースタンバーグが初の実戦をくぐり抜けた次の日、第三小隊は宿営地内待機となった。

 第二小隊は昨日行った村落とは別の、すでに安全が確立された集落へ水道工事や道路工事の手伝いをしにいった。ショックを受けた連中には仕事を与えて、考える暇を与えさせないほうがいい。

 武器小隊──迫撃砲や対戦車火器を持ったイカス連中──も宿営地内待機だったから、俺は武器小隊第二分隊で分隊魔法士をやってるポッターを自分の診療所兼宿舎コンテナに呼び出し、暇つぶしにやってきたアイスマンやマークワンとくだらない話をしていた。

 自分たちが童貞を捨てたときを思い出し、なんともいえない嫌な気持ちをもてあましていると、外から何台かの四輪駆動車ハンヴィーが停車する音が聞こえてきた。

 窓からそっちを見ると、俺たちが使っている肩当つきのボディーアーマーじゃなくて、もう少し簡素なつくりのプレートキャリアを着込んだ一団が続々と降車し始めていた。

 俺たちはそのうちの一人に見覚えがあって、みんなで連れ立って外に出た。


「ロボ!」


 呼びかけるとそいつは振り向いて、嬉しさに歯をむき出しにすると四足で駆け寄ってきた。


「ゴッド・スピード!」

「よう、久しぶぐぇッ!!」


 俺は久しぶりに聞いた声に身を躱すのを忘れ、そいつが腹に頭から飛び込んできたのをまともに受け止めた。

 そいつの字名ホーリーネームはロボ。懐かしの体力強化小隊ポークチョッププラトゥーンで、俺とホクサイの後ろをちょろちょろしていたかわいい野郎だ。

 あんなにヒョロヒョロだったのに、しばらく見ないうちにどこに出しても恥ずかしくない、立派なワーウルフに変貌していた。

 だがしかし、これじゃワーウルフっていうより大型犬だ、誰かちゃんと躾しろ。

 てな事を思っていたら、誰かが俺にじゃれつくロボの首根っこを掴んで持ち上げた。ありがたい。


「こら、ロボ上等兵。何やってる」

「えへへ、すんません、大尉殿」


 頭上から降ってきたのは全く落ち着いた女性の声。

 見上げると、そこには紫色の肌と金色の瞳、立派な羊角とイヌワシの翼を持ち、頬には派手な傷跡がある完全装備の女将校が立っていた。

 間違いない。純粋悪魔族でも最上位の存在、堕天使だ。エリザベート・ファースタンバーグ上等兵に負けず劣らず、綺麗な人だった。


「大丈夫か? 伍長」

「はい、大丈夫です大尉殿。ありがとうございます」


 大尉殿はロボを掴み上げたまま左手を差し出し、俺を引っ張り起こしてくれた。その力強さと言ったら!

 立ち上がってみると、大尉殿は俺よりもずっとずっと小さかった。

 二本足形態の俺が身長百八十八センチ、体重八十四キログラムだったんだが、大尉殿は身長百五十四センチぐらい。プレートキャリア防弾ベストに締め付けられた胸が苦しそうだった。

 おっと。いかんいかん、真面目にせにゃ。


「伍長、中隊本部はあっちでいいのかな」

「はい、大尉殿。ご案内しましょうか?」

「ありがとう。それには及ばない。見たところ君たち、上等兵とは旧知の仲らしいな? 再会を楽しみたまえ。曹長!ついてこい!では、ごきげんよう」


 まったく鮮やかなものだった。アレが淑女ってやつなんだろうな。

 大尉殿──事情があるから名は伏せる──は身長二百十センチはあろうかというオーガーの曹長を引き連れて立ち去った。


「彼女は?」

第三偵察大隊3Rec武装偵察中隊フォース・リーコン。俺は第三歩兵大隊偵察目標補足小隊STAだけどさ。いま共同作戦やってんの。リーコンだけじゃ手が足りないって」

「へぇ、すごいじゃないか」


 俺たちは大尉殿の後ろ姿を見ながら言葉をかわした。

 フォース・リーコンは何度か述べたが、海兵隊実戦部隊のエリート中のエリートだ。海兵隊は偵察部隊をいくつもいくつも持っているけれど、フォース・リーコンはその頂点とでもいうべき存在だ。空挺降下から水中侵入まで何でもござれ、全員が一騎当千の強者ばかりだ。

 一方でSTAはミニ・リーコンとでもいうべき存在で、フォース・リーコンほどハードじゃないが、任務の内容は似たようなものだった。実際リーコンに入るには、STAでの勤務経験は必須のものと看做されていた。

 アイスマンがちょっと悔しそうな顔をしている。


「ちょっと待っててよ、荷物おろしたら今日は非番だからさ」

「わかった。二〇分後にそこの中隊食堂で集合だ。俺たちは待機だから酒は飲めんが、積もる話をしちゃいかんてことはないだろう」

「アイアイ、小隊伍長!」



 その日は結局、何事もなく一日が終わった。

 夕食後、俺たちはまた俺の診療所兼宿舎コンテナに集まり、アイスマンの持ってきた携帯オーディオからパンクロックをガンガンに流しながら、ビールをちびちびやって談笑していた。

 あんなことがあった、こんなことがあったという話がひと段落したところで、ロボが秘密めかして声を抑えて言った。


「これはアレなんだけどさ」


 指を一本鼻面の前に立てるしぐさ。

 俺たちは全員うなずいた。


「リーコンがここに来たのは、例のクソ野郎の尻尾を掴んだからなんだ」


 俺たちは声を出さずに色めきたち、お互い顔を見合わせた。

 例のクソ野郎、すなわち二〇〇一年九月のテロを主導したターバンぐるぐる野郎は、これまで陸軍特殊部隊デルタ分遣隊や海軍特殊部隊シールズが懸命に追い回していたにもかかわらず、一向にその尻尾を捕まえられないでいた。

 一説にはパキスタン国境の向こう側に逃げ込んだ、とも言われていて、それはほぼ確実なものと思われていた。

 ここカンダハルはパキスタン国境に近いから、確かに捜索して悪いってことはない。だが。


「それならデルタなりシールズなりグリンベレーなり、特殊部隊の出番なんじゃないのか?」


 アイスマンが俺たちの疑問を代弁した。

 しかしロボは静かに首を横に振った。


「彼らは別の領域を探索してる。手が足りない。他に隠密行動ができる部隊と言ったらリーコンしかない。それでも手が足りないってんで、STAウチにも声がかかったんだ」

「そうか、くそっ。俺も偵察特技か狙撃特技取ってSTA入ればよかったぜ。て言うか俺と替わってくれ、ロボ」


 アイスマンはロボの返事を聞くと、バシッと右拳を左掌に打ち付けた。

 顔面に悔しさがあふれている。


「けどさ、それじゃおかしいよ。例のクソ野郎はパキスタンのトライバル・エリアから追い出された、ってことになるんじゃないの?」


 相変わらずちんちくりんのポッターが疑問を口にした。まったく然り。

 この辺りの連中が国境線より部族のつながりや面子を大事にするのは、当時すでに有名な事実だった。


「そこがわかんないんだ。でもたぶん、リーコンは、って言うより大尉殿は、その謎を解明する手がかりを掴んでると思う。もう四週間も引っ張り回されてるのにSTAウチの小隊長が文句を言わないのは、それを知ってるからだ」

「そりゃなんだべか」

「俺にはまだわかんないよ、マークワン。けど、こんなことがあった」


 ロボの話はまったくおぞましいものだった。

 すでに四週間フォース・リーコンと行動をともにしている彼らだが、つい十日ほど前、カンダハルの北東二十キロメートル付近の山中で、ある洞窟陣地を制圧した。例のテロ組織が立てこもっているという情報を聞きつけたからだ。

 しかし、制圧した、というのは表向きの表現だった。

 彼らが到着したときにはすでに生存者は一人も居らず、何体かの食屍鬼グールがうろついているだけだった。

 周辺を念入りに「消毒」してから現場検証を行うと、リーコンの連中は奇妙なことに気がついた。


食屍鬼グールの連中には妙な刺青が入っていた?」

「そうなんだよ、ゴッディ。イスラームの連中にとって刺青は禁じられたものハーラムだ。神に頂いた体を傷つけることになる。アフガニスタンじゃ死罪に値する行為なんだよ。事実、グールに喰い殺されてたイスラーム聖戦士ムジャヒディーンの死体には、刺青なんか入ってやしなかった」

「それで、その刺青はどんなんだったんだよ」


 眉をしかめさせながら、アイスマンが聞いた。


「絶対に他に言うなよ」

 

 一段と声を潜めてロボは答え、それからコピー用紙にボールペンでひとつづりの、ギーク受けしそうな言葉を書いた。


 Anony-mani-sys。


 次の日の朝、俺は起きてすぐにその紙を灰皿の上で燃やした。

 猛烈に嫌な予感がし始めていた。

 まるで二〇〇一年九月のあの日のように。

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