黒エルフ②
その晩の夕食はえらいことになった。
J中隊は中隊長ホプキンス大尉殿の方針で、毎週金曜の夜は兵隊も将校も全員同じホールに集まって、班や分隊も無視して好きなように座って好きなように食事することになっていた。
で、そこで新入りのとびきり美人の黒エルフともうひとりの可愛こちゃん、ケイティ・スチュワート一等兵が紹介された。
女日照りのひどい俺達だ、女の多い第二小隊以外の連中は大盛り上がりさ!
場を収めるために中隊曹長が何度か怒鳴らなきゃならなかったし、最後にゃ第二小隊長、マザー・ビリーことビリー・ワイルダー中尉殿がいつもの優しいオネエ言葉を捨てて、訓練軍曹とタメを張るような恐ろしい声で訓示を垂れなきゃならなかった。
マザー・ビリーの話は短く簡潔だった。
男性生殖器とブーツの関係性についての、ありがたい預言だった。
海兵隊は紳士淑女の集まりで、将校殿は特にそれを求められるが、マザー・ビリーは群を抜いていた。まるで聖母マリアだ。彼が低い声で何か預言を下されるとき、俺たちは即座におとなしくなったもんだ。ハレルヤ。
とまれケイティ・スチュワート一等兵ちゃんは筋肉も柔らかいところもプリッとした、柔らかい印象の笑顔が素敵な、素晴らしいオークの女性兵士だった。優しい女戦士って感じでさ。
オスの兵隊連中はまるで火にあぶられたバターみたいにデロデロになっちまったが、俺とアイスマン=トッドは彼女が自己紹介で「情報科です」と言ったのを聞き逃さなかった。情報科の女は下手に手を出すとMPがすっ飛んできかねない、地雷みたいなもんだ。
とすると、ケイティ=ボンドガール=一等兵ちゃんは、見た目通りの
やれやれと首を振りながら周りを見渡すと、マークワンの野郎、あごが地面にくっつきそうなほど開いてて、瞳キラキラ、生のプレイメイトを見た中学生みたいだった。
あの堅物のマークワンがだぜ!俺とアイスマン=トッドは大爆笑だ!
騒ぎを聞きつけた連中が振り向いて笑いだし、中隊曹長とマザー・ビリーまでもが下を向いて肩を震わせ始めたところで、マークワンはようやく正気に戻った。
その様子のおっかしいこと!!中隊はまたもや爆笑の渦に巻き込まれた。ケイティ・スチュワート一等兵も可愛らしく笑ってた。
面白くない顔をしてたのは、第二小隊小隊軍曹で「ちょっといかついが頼れるヒトの姉御」サーシャ・ビンカウスキ二等軍曹と、例の黒エルフぐらいのもんだった。
ビンカウスキ二等軍曹とスチュワート一等兵、マークワンの面白おかしい恋の鞘当については、いつか機会があれば語りたいところだ。
が、そんなことすると狙撃されちまいそうだから、もうやめよっかこの話。
一通り盛り上がったところで、例の黒エルフの番になった。これが中世騎士物語の騎士の自己紹介みたいな調子でさ。
曰く、こんな感じ。
「ファースタンバーグ家、リドリー・ファースタンバーグが一女、エリザベートと申します。階級は上等兵、字名は
中隊の反応は様々だった。
今どき珍しい礼儀を知るやつだと関心する奴、リドリー・ファースタンバーグ上院議員の娘と知って背筋を伸ばす奴、どうにか取り入ろうと考える奴、その容姿を見ていかがわしいことを考える奴。
ともあれさっきまでの騒がしい空気は一変して、みんな大人しくなっちまった。
俺か? 俺はしびれちまって身動きできなかった。
もしあいつが将校様になるのなら、俺はその隣で怒鳴り散らす先任下士官になりたいなとか、そんなことを考えていた。
そういうのってやっぱり顔に出るもんでさ、俺は即座にマークワンにやり返された。
「
だってさ!
それを聞いたアイスマンが俺の肩をバシッとやって、それで気を取り直した俺たちは新入りたちを席に座らせ、ようやく楽しい食事が始まったってわけ。
◇
三日後の夜。
その日は第二小隊が民生支援の準備に赴いた村落でちょっとした銃撃戦があって、第二小隊の連中はみんな気落ちしていた。
アフガニスタンにしろイラクにしろ、こういうときは本当にきつかった。
俺も第二小隊の男性兵士相手のカウンセリングに引っ張り出され、それもひと段落してから俺の診療所兼宿舎コンテナを出た。
たぶん二十一時ぐらいだったかと思う。
空に満ちる光は全て星。
宿営地の外に広がるオアシスと、その向こうの砂の大海原。
空港近くの街から漂ってくる微かな喧噪。
どこかの分隊宿舎コンテナの中から響いてくる音楽。
獣の糞のにおい。
そういうものを感じながら煙草を吹かし、ぶらぶらしていると、第二小隊と第三小隊の境界付近の物資コンテナの脇で、ばったりレイザーと出会ったんだ。
彼女の目は赤く腫れあがっていたが、俺を見るとさっと顔を背けた。
そんな態度を取られたら、衛生兵として声をかけないわけにはいかなかった。
「ああ……どうしたんだ? 上等兵」
「……」
無しの礫。
「黙ってちゃわからん。それとも誰か呼ぼうか?」
「……いいえ、失礼いたしました……その、伍長殿」
あいつは俺の襟章を見て、ようやくそれだけ答えた。
「すまんな、気になったもんで。俺はジョニー・ジャクスン伍長。第三小隊の衛生兵だ。今日、戦闘があったんだろ? 吐き出したいことがあるなら聞いてやるが」
まただんまり。
鉄の結束を誇る第二小隊なのに、彼女のつき添いが見当たらないのが気になった。
「なぁ、上等兵」
「いえ……その。空はこんなにきれいなのに、どうして助けたい人々と撃ちあいをしなければならないのかと」
強張った声で答える彼女。
それで俺は察した。
彼女は今日初めて、ひとを殺したんだと。
何をどうしても、一人になりたかったんだと。
「私に銃をむけたあの女性は、どんな思いで引き金を引こうとしたのか、私は──おれは、わからない。なぁ、伍長、教えてくれ。アンタたち外の人間はみんなそうなのか? わけもわからず殺し合いをするのか?」
彼女は淡々と問いを発した。
俺の顔は見ていない。
俺も無感情にこう答えた。
「そうだとも、上等兵。俺たちはわけもわからずに殺し合いができる、腐った肉片だ」
なんでそんなことが言えたのかって?
俺はその時すでに派遣三ヶ月目、確認殺害戦果は十名に及ぼうとしていた。
昼の間に虫歯を治してやった男を、夕方には殺していたことさえある。
くそったれ。
だがこれが兵隊の宿命だ。
俺の答えを聞いて彼女は始めて俺の顔をちゃんと見た。
彼女の美しい顔は、ショックでひどく歪んでいた。
「汚らわしいスライムめ……貴様には人倫というものがないのか、恥知らずめ」
こんなことなら森の外に出るんじゃなかった、と小さく続けて、彼女は走り去った。
◇
次の日、朝食の場。
彼女の分隊の列の次に、俺とマークワン、アイスマンは並んだ。
彼女は俺の姿を認めると、憎々しげに俺を一睨みして、大股で歩み去った。
「ヘイ、ゴッディ。どうしたんだ? あいつとなんかあったのか」
アイスマンがにやけ半分困惑半分の表情で俺にささやいた。
「別に。あいつは昨日童貞を失ったんだ。それでちょっとな」
それを聞いてアイスマンとマークワンは、沈痛な表情でため息をこぼした。
通らずに済むなら通らずに済ませたかった道。
俺たちはそれを通過し、童貞を失った。
ペニスはライフル、精子は銃弾。
冗談じゃない。
胸を張って通りを歩く、立派な海兵に俺たちはあこがれた。
弱きを助け強きを挫く、その英雄の名は海兵なり。
だが実際にはどうだ?
俺たちが成ったものは、わけもわからずに殺し合える腐った肉片。
朝には慈悲を、昼には裁きを、そして夜には鉄槌を?
くそったれめ、俺たちゃただの海兵だ。
なんだってこんな天使や悪魔の仕事をやってるんだ。
畜生め。
そんな風に、俺たちは訳が分からなくなりつつあったんだと思う。
森から出たばかりで感受性の高かったレイザーは、それを映し出す鏡だった。
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