2+1

「どうもあの二人は下士官向きではないように思います、サー」


 俺が意見を口にすると、先任曹長はぎろりと目を向いた。

 それだけで俺ののど元まで俺の中身はせりあがってきて、額には玉の汗が吹き出した。

 へっ、俺もずいぶん二本足の真似がうまくなったもんだと、自分自身に毒づきもした。

 で、なんでそんなことを言ったかというと、下士官学校の在校期間も二週間を過ぎ、あと二週間で結果を出さねばならなくなったところで、先任曹長に例の凸凹コンビの件で呼び出されたからだった。


「なんで貴様がそんな偉そうな口が聞けるんだ、ピンキー・ボーイ」

「少し長くなりますが、よろしくありますか」

「まず簡潔に説明しろ。詳細はそれからだ」


 先任曹長はまったく落ち着いた態度で、地獄の底から聞こえてくるような恐ろしく低い、ひび割れた声で指示を下さった。

 この声にはきっと、地獄につき落とされた7・3分けちょび髭エルフの伍長閣下だって逆らえまい。



 俺が凸凹二人の本音らしきを聞いたのはその前の晩、海兵歩兵操典(II)の課題でどうしてもわからない論述問題いついて、知恵を授けてもらっているときだった。

 その問題はいわゆるトロッコ問題を扱うやつで、正解というものはない。


「なんでそんなに熱心に、って言われても」

「よく考えろよ、坊や。大事なことだぜコイツは。なんでお前さんは『最高の海兵隊員』になんてなりたがってる? それは本当は誰のためなのか? マジに考えたほうがいい」


 いつもスカした態度のウェイラーが、いやに生真面目な視線で俺に説教をたれている。マルティンはその横でうんうんとうなずいていた。

 二人は自分のベッドの上で海兵胡坐をかき、俺は貸してもらったイスを前後逆にして、背もたれに腹を預けていた。

 二人はやる気がないことを除けば、全く気のいい連中だった。


 そう、座学にしろ実技にしろP.T.にしろ、とにかく優秀だった凸凹二人の弱点は、やる気がないことだった。

 それに比べて俺はやる気ばかりが先走り、何をしても空回り。どの授業でもいちばん叱られていたのは俺だった。

 

 俺はチョコレートボールを二、三個口に放り込んでバリバリと噛み砕きながら考えた。噛み砕かれたチョコの塊は、胃を模した穴ぼこへ落ちていき、そこでさらに砕かれ溶かされ、全身に広がっていく。

 俺たちぶよぶよの思考というのもそういうもので、ソナーの探信音がグワーンと水中に響いて、何かあればどこかから反射音が返ってくる。それと同じで全くのんびりしたものだった。


「うーん。俺の実家のすぐ近所に、元偵察リーコン隊員がいたんです。彼はすごく優しくて、俺もその人みたいになれたらなって、今はそう思ってます」

「へぇ。フォース・リーコンか。憧れるのも無理ねぇな」


 俺の答えにマルティンは感心したような声を出した。

 海兵隊偵察中隊フォース・リーコンは海兵の中の海兵ばかりが集められる、最高の部隊だからだ。陸軍のグリン・ベレーやデルタ分遣隊、海軍のシールズにだって引けをとらない。


「でも、一番最初は違ったな。俺、いじめられっこで。ある時、その元リーコンに愚痴ったんです。どっか遠くに行きたいって」

「それで海兵を勧められた?」

「まだエレメンタリー・スクールのときの話ですけどね」


 ウェイラーの合いの手に俺は笑顔で返したけれど、彼はいまいち不満顔だった。

 つばを吐くような態度で彼はこう言った。


「でも俺たち兵隊はよ、結局はチェスのポーンだぜ。どこでどんな風に死ぬか知れたもんじゃねぇ」


 その通り。

 俺たちが下士官学校でヒィコラ言ってる間に、我が合衆国はアフガニスタン内戦に介入していた。

 そもそも当時のアフガニスタンは統一政権が無く、いくつもの軍閥が群雄割拠している土地だ。そこに九月のテロをやらかした連中が潜伏しており、彼らは現地軍閥の庇護下にあった。

 当然、合衆国はテログループの引渡しを要求。

 軍閥側の反応も当初は悪くなかったが、あるときを境に急変し、逆にアフガニスタン全土の掌握と合衆国への敵対的姿勢を鮮明にした。

 痺れを切らした大統領官邸ブラックハウスは、陸海軍特殊部隊および支援部隊として陸軍および海兵隊の緊急展開部隊の派遣を決定。この十月にアフガニスタンへの空爆と侵攻が開始されたばかりだった。


「だったら、上に行くか兵隊稼業を辞めるしかないんじゃないんですかね?」


 別に嫌味で言ったわけじゃない。

 本当にそう思うんだ。

 俺は兵隊稼業が性に合ってる。今でもそう思う。そりゃ女衒やAV男優になっても相当稼げたろうさ。でもそうじゃないんだ。俺はこの道を征くと決めてしまった。だからそうするんだ。

 でもそうじゃない人にはそうじゃないなりに、他の道があるはずだ。

 別に道は一本きりってわけじゃないのは、マディソン郡のクソど田舎で、楽しそうにおんぼろトラックをいじってるサムの後姿が教えてくれた。


 そんな気持ちが通じたのかどうか。

 ウェイラーとマルティンは一瞬あっけにとられた後、深く考え込み始め、俺は自室に戻って海兵歩兵操典の復習を始めた。



 そういったことをすべてすっかり打ち明けてしまうと、先任曹長は立ち上げって目玉をぎょろりと動かした。


「下士官候補生、貴様あいつらにそんなことを言ったのか」

「イ、イエッサー!出すぎたことをしました!!」


 俺はすっかり縮み上がってしまった。

 先任曹長はそこらの悪魔よりも恐ろしい顔で俺をじろじろ眺めていたが、ため息ひとつ付くと、不意に表情を緩めた。

 そして彼の口からこぼれた言葉は、まったく予想だにしなかったものだった。


「馬鹿もんが、勝手なことを……と、言いたいところだが、今回は多めに見てやる……よくやった」

「は?」

「貴様、ワシが朝四時にランニングしとるのは知らんだろう。いや、責めるわけじゃない。今朝起きて走ってたらな、あいつらがワシのケツを追っかけてきてこう言ったのさ。先任曹長殿、将校になるにはどうしたらいいですか、とね」

「はぁ」

「ワシはこういってやった。軍曹を一年務めきったら士官候補生を志願しろ。推薦状は書いてやる、とな。そしたらあいつら、殊勝にも礼を言いやがった。どうしていまさらやる気を出すのか聞いたら、やつらめ、なんといったと思う?」


 表情は厳しいままだが、先任曹長の声音は弾んでいた。

 それほど彼らの身を案じていたのだろう。

 俺はとぼけた調子でこう答えた。


「サー、自分が思うに、スミス下士官候補生とロレンツォ下士官候補生はリーコンになりたくなったのではないかと思います」

その通りエッグザクトリィ!あいつら、どうせ死ぬなら死に場所と死に方ぐらいは自分で決めたいとさ!まったく、ここへ来てクソにまで筋金の入った海兵将校の卵を育て上げる機会に恵まれるとは、人生とはわからんもんだ」


 それから先任曹長は茶目っ気たっぷりにウィンクすると、俺を軽く小突きながらこう言った。


「ま、これで貴様の下士官学校主席卒業はなくなっちまったがな。努力すれば何とかなるかもしれんが、せいぜい頑張ることだ、坊主サン


 その後、俺は反吐を吐きそうなほど叱られつつも、なんとか下士官学校を卒業した。あれだけ叱られたのだからさぞかし順位は低いだろうと思っていたが、意外や意外、俺の卒業席次はなんと第三位だった。

 一位と二位は誰だったかって? 野暮なこと聞くもんじゃないよ。

 だが、今思い出しても気分のいいことのひとつではあるね。

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