あの日②
あの日を境に俺たちの世界は一変した。
俺たちは禁足を命じられ、訓練も出来ないまま宿舎に閉じ込められたきりだった。
それは再度のテロ攻撃を警戒してのことだったが、俺たちにはそんなこともわかりゃしない。
禁足は一週間も続いた。
その間、鬱憤は溜まる一方で、他の小隊ではずいぶんといじめが横行することになった。あとからホクサイに聞いたところによれば、俺たちの訓練中隊百二十名の脱落者三十四名のうち、実に一二名がこのたった一週間のうちに居なくなっている。原因は希望除隊と不名誉除隊だ。
無理もない。テロ攻撃に家族が巻き込まれて訓練どころじゃなくなったやつ、単純に怖気づいたやつ、ストレスで自分の攻撃性をコントロールできなくなったやつ。いろいろだ。
どこの訓練部隊も似たようなもんで、陸軍も空軍も海軍も、もちろん沿岸警備隊も、この時期に訓練を受けていた連中の卒業人数は他と比べて少しだけ、だが有意に少ない。
俺たち四〇八四中隊はそんなことはなかった。
俺らとヴァニラ・アイスたちの反目は、なんとなくだが役に立った。
決して褒められることじゃない。
海兵隊は海兵隊だ。白人だの黒人だのぶよぶよだのぬめぬめだの、マッチョもガリも、毛むくじゃらも耳長もいっさいがっさい価値なんてない。
海兵隊が海兵隊なのは、海兵隊だからだ。
俺たちはそれを目指してあの丘を登るんだ。
そういう意味では俺たちは落第だった。
だが、俺たち同士の種族差別的反目が、小隊の規律と練度を維持する方に働いたのは、奇妙な話だった。
つまり、「奴らには負けねえ」、その一念だけで俺たちは立っていた。
ベッドメイク、よし! どうだ白人。
トランク整理、よし! 見たかぶよぶよ。
一事が万事この調子。
どうしても殴り合いがしたくなったら、見張りを立たせて、
その時の経験で、俺は擦り傷やちょっとした切り傷なら治癒させる方法を身に着けた。衛生学校に入ってから外傷止血が妙にうまいってんで、変な勘ぐりをされたっけ。
最後の方になってくると俺たち訓練兵だけじゃつまらないんもんだから、なんでもいいから外に出なくても出来る訓練をしてくれって、訓練教官に泣きついたりもした。
訓練教官たちも気を紛らわせたかったんだろう。
お馴染みの基礎動作やP.T.のほか、の合衆国や海兵隊の歴史、自分が参加した実戦の話をよくしてくれた。いつもずっと怖い怖い存在だったが、怖いのは怖いなりに俺たちを末の兄弟みたいに扱ってくれていた。
そうしている間に俺たちの中、っていうのはつまり訓練中隊の中ってことだけど、そのうちの何人かが憲兵とFBIに連れて行かれた。
種族的な共通点は何もなく、これに俺たちはすっかり参ってしまった。
落ち着いていたのはマークワンとヴァニラ・アイスだけ。俺はそんなに落ち着けていなかったように思う。
六日目の夜、俺はどうにも辛抱堪らなくなって、ヴァニラ・アイスと連れションした。
俺たちの間柄は相変わらずギスギスしていたが、しょうもない冗談を口にしあう程度には相手のことを理解し始めていた。
好きなAV女優とか好きな音楽とか、そんな話さ。女の趣味はからきし合わなかったが、音楽だと妙なところで気があった。つまり、ヒップホップ、ミクスチュア、メロディック・パンク、デジタルハードコア、その周辺だ。
笑っちまったのはヤツ自身、本物のヴァニラ・アイス本人はワックだと思っていたことだった。つまるところトッド・ヒルビリーも、自分に与えられたアダ名の呪いを乗り越えたいと努力している最中だったわけ。
じゃあ今度からエミネムとかスリムって名乗れよって言ったら、めちゃくちゃ呆れた顔をされた。ミーハーがすぎるってさ。
「で? したい話はそんなんじゃないだろう。なんの話をしたいんだ」
「ああ、その……FBIに連れて行かれた連中についてなんだが……」
俺がもにょもにょと答えると、ヴァニラ・アイスことトッドは盛大にため息をついて首を振った。
「その話か……止めといたほうがいい、ひどい目にあうぞ」
「なにか知ってるんだな?」
「いいや、何も知らない……だからこれは単なる予想だ……だが、種族差別よりひどい話になる」
「構わん。どうなろうとも覚悟はしときたい」
「馬鹿野郎め、他人には絶対に漏らすなよ」
ヴァニラ・アイスによれば、これは宗教が関連しているんじゃないか、ということだった。
連れて行かれた連中は、イスラム教かマニ教を信仰している、または信仰しているやつが血縁者にいる。
その時には例のテロは中東出身者がやらかしたことだと知られていたから、FBIが乗り込んできた理由の状況証拠としては完璧だ。
だがだとすると、宗教戦争がおっぱじまりかねないってことになる。
「なんだそれ、ハチャメチャにやばいネタじゃないか」
「そうだ。俺はお前らぶよぬめが嫌いだが、別に居なくなれなんて思っちゃいない。少なくともカトリックなら。けどプロテスタントやカトリックには、俺たちヒトしか存在を認めないなんて連中がごまんといる。イスラムにだっているだろうし、マニ教やゾロアスター教に至っては『この世界は間違っている』だ。そんで、カンのいいやつはイスラム教徒とマニ教徒ばかりが連れて行かれたことに気がついてる」
ヴァニラ・アイス、いや、トッド・ヒルビリーは沈痛な表情でつぶやいた。
その時、やつは本当にまともな海兵になりたいんだと気が付かされた。
まともな海兵はいつだって仲間のことを真っ先に心配するもんだ。
感心した俺はわざとのんびりした声を出してやった。
「参ったな、俺はスライム祖霊信仰なんだが、とばっちりを食らいそうだ」
「どんな教義だよ」
「今日も明日もあさっても、ぶよぶよ平和に生きられますように。ぶよ」
それを聞いて、厳しい表情だったヴァニラ・アイスはブハッと吹き出した。
「とにかくみんなが動揺しないように、気を引き締めさせよう」
「それしかできんしな。二等軍曹殿には俺から報告を上げる。お前のことは好かんが、今後とも頼む、ゴッドスピード」
「まったく、俺たちに幸運あれ、だ」
◇
俺たち四〇八四小隊は、五~六人ばかりがFBIに連れて行かれて、全員が戻ってきた。だが他の小隊では戻ってこなかったやつもいると聞く。
そんでもって俺たちは胃をキリキリさせるだけで終わった。
実際はあいつをなだめ、そいつを慰め、まぁまぁ忙しくはしていたと思う。
それですんで幸せだった。
その後はその一週間ほどが嘘だったように順調に進み、俺たちはちょっと予定からおくれたものの、無事ブートキャンプを卒業した。
マークワンは誰もの予想通り特級射手章を手にした。歩兵の鏡みたいなやつだったもんな。
ロボとヘルシングは格闘技徽章を手中にし、ポッターは海兵隊魔法訓練学校への切符を手にした。
そしてホクサイは希望通り航空学校へ配属され、俺は衛生学校送りが決定した。
いまいちまとまりを欠いたままの四〇八四小隊だったが、最後の最後でなんとかなった。
海兵隊ブートキャンプ卒業の儀式、二日間かけて行われる訓練の総仕上げ、その最後を締めるのが、完全装備で駆け上る二十三キロメートルの坂道。
ここまで来て足をくじいたり捻挫したり、脱水症状でリタイアするやつも少なくない、成人の儀式。
この坂を登って俺たちは海兵になる。
そこで俺は足をくじいたヴァニラ・アイスに肩を貸し、十五キロほど一緒に走って、一緒にゴールした。最後の方は目が霞んで、二本足の形態を保てていたかどうか覚えちゃいなかったが、とにかく俺はやり遂げた。
振り返ると俺たちの後ろの連中も似たようなもんだった。
肌の色だの耳の長さだの、全く、完全に、平等に、価値がなかった。
いささか出来すぎじゃねぇかな、と思いながらへたばっていると、仰向けでぶっ倒れていたヴァニラ・アイスが笑いだした。
頭でも打ったのかと思ったが、その笑いはまず俺に伝染し、まっさきにゴールして後続者に水を配ってまわってたマークワンにも伝染した。
俺たちはわけもわからんままゲラゲラと笑い転げ、心臓破りの丘の上で、朝日を浴びながら大の字になってへたばった。
そうして俺たちは、海兵隊になったんだ。
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