ブートキャンプ③

 ブートキャンプの思い出で、体力強化小隊フィジカルコンディショナルプラトゥーンでのことより心に残ったことはあまりない。

 あるとすればせいぜい二、三の出来事と、忘れようたって忘れもしない、あの日のことだけだ。

 だからあの日のことを話す前に、「せいぜい二、三の出来事」について触れようと思う。


 体力強化小隊フィジカルコンディショナルプラトゥーンから四〇八四訓練小隊に戻ってから気がついたんだが、ポッターとマークワン、それにヘルシングは元から同じ小隊だった。

 寝台ラックも隣同士で(体力強化小隊P.C.P.から最後に帰ってきたから当たり前、とか言わない)、ちょっと安心した。


 さて、俺たちが四〇八四訓練小隊に戻ったのは夕食前だった。

 味はともかく量だけはたっぷりある夕飯をかき込み、夕食後の課業と入浴を終えたあと、二〇〇〇時からは自由時間だ。

 俺たちは荷物を解き、あるいはトランクに整理しなおし、またあるいは先に戻っていた元ポークチョップと挨拶してすごしていた。

 

 そこにすっと影が差し、何だと見上げると背のでかい白人、スケこましヅラの白エルフ、筋肉ムキムキの変態マッチョワーウルフがいた。


「よう、ハズブロー。調子はどうだい」

よう、兄弟ハイ、ブロー。ぼちぼちさ。俺はゴッドスピード。ジョニー・ジャクスンだ」


 ニヤニヤと歯を剥き出しにして白人が声をかけてきたが、俺は勤めてフレンドリーに接してやった。

 やつはちょっと拍子抜けしたような顔をして、それからもう一段ニヤつきを強くすると右手を差し出してきた。


「俺はヴァニラ・アイス。トッド・ヒルビリーだ。よろしくな、ハズブロー」

「よろしく、トゥーパック。ところで俺はゴッドスピードだ」


 俺がスカした態度で力強く握手してやると、ヴァニラ・アイスはこめかみに青筋を立てやがった。俺の隣でポッターがやれやれという感じで首を振り、マークワンはベッドの上でお経を読みながらニヤついていた。


 わかんねぇやつに一応説明すると、ヴァニラ・アイスってのはヒップホップが流行りはじめた時期に現れた白人ラッパーだ。甘いマスク、頑健な体、きらびやかな衣装。だまされんな。それらは全部フェイクだ。ワックMCとはやつのためにある言葉だと思うね。

 対してトゥーパック、2PACはバチバチの黒人ギャング上がりのギャングスタラッパーだった。全てがリアル。死に様までもがギャングスタ。俺は別にギャングたちの生き様をリスペクトしちゃいないが、2PACも、彼と対立していたノトーリアスBIG、通称ビギーたちの音楽は大好きだった。サムの店でさんざん聞いてたんだ。

 2PACとビギーの、この辺の事情は当時もかなり有名な話だった。なんせ2PACが死んだのが九六年、ビギーが死んだのが九七年、俺たちがブートキャンプに入ったのは二〇〇一年。ハイスクールで悪ぶってるやつやブラック・ミュージックが好きな連中で知らないやつはいない話だ。


 で、ヴァニラ・アイスなんて名づけられて喜んでるやつは訓練教官のありがたい預言、「白人も黒人もイタ公も耳長も毛むくじゃらもぶよぶよもぬめぬめも、いっさいがっさい価値がない」を忘れたか、それともわざと忘れているワック野郎のどっちかだ。

 俺はワック野郎に張った。見事ビンゴ。黒人呼ばわりされて喜ぶワック野郎なんざ見たことないし、その記録は更新された。

 こめかみに青筋たててんのはヴァニラ・アイスの連れの二人も一緒だった。へへ、ワンパック、ツーパック、スリーパック、ってか。

 だが連中も、ここで騒ぎを起こすほど馬鹿じゃあない。

 

「そうかい、ハズブロー。ところでお前、明日の夜は空いてるか」

「夜警の当番はあさってだ。だいたい、クラブもなけりゃゲーセンもないのに、予定もくそもあるもんか」

「そうか。なら、俺らとお前らで便所掃除をしようじゃねぇか」

「明日の晩?」

「明日の晩」

「アイアイ、訓練兵」


 それでようやっと俺たちは手を離し、ヴァニラ・アイスどもは立ち去った。

 ポッターがばかだなぁと言って俺のピンクの太ももを軽く蹴る。

 俺はお返しに、うるせぇな、お前も来いよと頭をぐりぐりとつかんでゆすってやると、やつはちょっとうれしそうに目を細めた。

 向かいの寝台のそばに置いたトランクに腰掛け、ブーツを磨いていたヘルシングが手を休めて、めがねを直しながらこちらにたずねてくる。


「ところで、気を悪くしたら悪いんですが、ハズブローって?」

「差別用語だよ。俺たちぶよぶよの大人はこんなピンク色してるだろ? それがハズブロー社のプラスチックの兵隊おもちゃみたいに見えるんだとさ」


 俺の答えを聞いてヘルシングは鼻で笑い、それから少しだけ真剣な目つきで俺の目を見た。


「あんな馬鹿どもがまだあんな馬鹿のままだなんて、信じられません。普通は種族差別なんて考えてる暇ないのに」

「なに、俺たちがポークチョップ上がりだから、足をひっぱんじゃねぇぞって脅しに来てんのさ。だが、やつの態度は種族差別主義と捕らえられてもおかしくない」


 それで俺たち四人は頭を振った。種族のるつぼの海兵隊で種族差別?

 ばかばかしくて声もないが、表沙汰になんてしちゃいけない。

 そいつは海兵隊の根幹にかかわる問題だし、どうかすると訓練教官たち全員が処分されちまう。それはいやだ。少なくとも俺は、俺たちの世話を焼いてくれた体力強化小隊の教官たちにだけは、迷惑をかけたくなかった。 

 そんなことを考えてると、ブーツを置いたヘルシングがちょっと背筋を伸ばしてこう言った。


「小隊伍長。明日は私も混ぜてくれませんか」

「いいよ。期待してる」

「ありがたい」


 まったく、持つべきものは友達だね。



 次の日の夜二〇三〇時、俺たちは予定通り便所掃除に集まった。三対三。

 ぶよぶよ、ちんちく、なよなよ。

 ワンパック、トゥーパック、スリーパック。

 俺たちのほかには誰もいない。

 ヴァニラ・アイスが進み出て俺を見下ろし、にらみつけてきた。


「ルールは」

「顔面や見えてる箇所は無し。喧嘩したのがばれたら、小隊全体でPTだ」

「じゃあ、当てていいのはボディだけ。目つき金的、骨折技は無し」

「お前にそれができるもんか、ヴァニラ・アイス」

「言ってろ、ハズブロー」


 それから俺たちはいったん離れ、向き合ってお互い殴りかかろうとして──ヴァニラ・アイスたちの動きが止まった。

 やつらは俺たちの後ろを凝視してる。

 何だと振り返ると、そこには一番端っこの便器で小用を足そうとされているブリッキンリッジ二等軍曹スタッフサージャントが居られた。

 俺たちは誰一人気がつかなかった。気がついたらそこに居られたんだ。


 俺がびしっと背筋を伸ばして気をつけ、と言おうとすると、二等軍曹は歌うような調子でそれをお止めになられた。


「気にするな。俺は小便をしている。俺は小便の邪魔をされるのが嫌いだ。だから気をつけも何も無し」

「サー?」

「気にするなといったぞ、訓練兵。だから俺も、小便をしている間は周りのことを気にしない」


 フィッシャー一等軍曹とはずいぶん違う指導方針だと面食らったが、ちらとこっちを見た二等軍曹の目は真剣そのものだった。

 貴様がなめられるってことは海兵隊全体があほどもになめられるんだぜ、とでも言いたそうな視線。

 俺たち阿呆で間抜けな訓練兵たちは互いに視線を交わしあい、ルールの変更を声に出さずに確認しあった。

 ブリッキンリッジ二等軍曹の便所はとにかく短い。一撃、寸止め。以上。

 二等軍曹の立てる水音が開始のゴング。


 勝負は一瞬でついた。

 俺はヴァニラ・アイスの突き出そうとした腕を極め、のど元にひじを軽く押し当て、ひざは金的を狙って止まっていた。

 ポッターは耳長の懐に一瞬でもぐりこんで、いい角度のアッパーを金的に寸止め。

 ヘルシングが一番すごかった。夜になって能力の上がっているワーウルフ、そいつが踏み出した左足のサンダルをさっと取り去るとボディーブローをかわし、そのサンダルをやつの鼻先一インチでひらひらさせていやがった。

 と、水音が止まる。

 ジッパーをあげながらこちらを振り向いた二等軍曹は、一瞬感心したような表情を見せたが、次の瞬間、とさかを真っ赤にさせてありがたいご宣託をのたまった。


「おい、役立たずども! いつまで遊んでる! 掃除遅延の罰として、二人一組で朝昼晩三日間、交代でトイレ掃除!! 二度はないぞ!! わかったか!!」


 俺たちはそれに従い、三日間交代でトイレ掃除を行った。

 その間にヴァニラ・アイスと俺たちは不干渉協定を結んで、この話はそれで終わりになった。

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