ポークチョップたち②

 体力強化小隊は、体力検査をクリアしないと出られない。

 さらに小隊伍長に任ぜられたものは、小隊全員がもとの訓練小隊に戻るかリタイアするまで出られない。

 つまり二人して小隊伍長に任じられた俺とホクサイはポッター、ヘルシング、ロボ、マークワンの四人を卒業させないと、この小隊から出られない。


 体力不足で体力強化小隊に送り込まれた新兵たちが適切な指導によって続々と卒業していくなか、四人と二ぶよぬめはなかなかいい具合に焼き上がらなかった。


 ポッターとマークワンは心配なかった。

 あと一日か二日、慎重かつ丁寧アンドみっちりやれば総合テストをクリアするのは目に見えていた。

 一方でなよなよヴァンパイアのヘルシングとひょろひょろワーウルフのロボは記録を伸ばしあぐねていた。個々のテスト項目はいずれもクリアするのだが、通してやると最後の十五キロメートル走のゴール手前で勢いがポッキリ折れてしまうのだ。

 そしてその二人にホクサイは明らかに苛ついていた。

 正直言えば俺もだ。


 そんな三週間と半分が過ぎた夜、ホクサイは俺をトイレ掃除に連れ出した。

 基本誰もやりたがらない上に点数稼ぎもできる、トイレ掃除は内緒話にうってつけだった。


「けどよう実際どうすンでぇ。今週末に間に合わなかったら、アイツラよぅ」


 床を磨きながらホクサイことエミリオ・バンデス。

 思ったとおりキューバ系だったが、実家はノーフォークにあるそうだ。

 なんで海軍を志願しなかったと聞いたら、ぬめぬめは戦闘機乗りになれねぇって言われた、海兵隊は戦車だろが戦闘機だろが載せてくれるって聞いてよ、ってことらしい。


「そうは言ってもなぁ。ヘルシングとロボがな」

 

 二本足の体勢のまま便器を磨いていた俺がスカして答えると、ホクサイは声を荒げた。


「なンでぇてめェ! ずいぶん余裕があるじゃあねぇかよ!」

「ばか、声がでかい。ガニーが来ちまう」


 俺はデッキブラシを持ち上げかけたホクサイの口を慌てて抑える。

 一等軍曹のことを持ち出したのは効果があったようで、彼は一瞬でおとなしくなった。

 それでもつぶらな瞳をぎょろりとさせると、低い声で俺に突っかかってくる。


「ゴッディよう、わかってンのかよ、あァ? アイツラのせいで俺たちァ兵隊になりそこねてンだぞ?」

「わかってるさ。実際いらついてもいる……問題はやつらの昼間のパフォーマンスなんだ。あいつら夜行性だからな。夜警は元気いっぱいだったろう? マウスの脱走騒ぎを防いだのは奴らだぞ」


 俺達より先に卒業したポークチョップでマウスってやつが居た。

 ネズミ野郎と思うなかれ、そいつはフィッシャー一等軍曹よりも大きなふとっちょのオーガーだった。

 身長二二〇センチ、体重二〇〇キロ近い奴が脱走を企てたのはもう十日前。

 そいつを体重七〇キロあるかないかのヘルシングとロボが取り押さえて、大事になる前に連れ戻したんだ。

 改心したマウスは無事、五日後に卒業した。


「ばっけろぅ、海兵マリーンに昼も夜もあるもンけぇ! それでできねぇなンざ、言い訳にもならねぇってモンよ」


 鼻白んだホクサイの言うことも全く然り。

 俺たち魔族デモニアは独立戦争やその前のインディアン戦争のころから昼も夜もなく戦い続けてきた。

 それこそが魔王の統治せる連邦合衆国ユナイテッド・ステイツ・オブ・デモンズの軍隊を世界最強の存在へと押し上げた原動力だ。

 そしてヘルシングとロボが判っていないはずはない。ヴァンパイアもワーウルフも独立戦争では多大な犠牲を払いながら戦い続けてきた歴史がある。それは民族の誇りのはずだ。

 しかしそれを判っていてなお、ゴール手前で折れるということは、だ。


「あいつらさ、自信がないんだよ、ちゃんとやり遂げられるっていう自信がさ」

「カーッ! 俺だってそンなもンねぇよ。ガニーに睨まれたら足から力が抜けっちまう」

「ああ、俺もさ。でも俺やお前やポッターやマークワンは、自信はなくてもやってやる、って気持ちがあるだろ」

「あいつらにはそれがねぇってか?」

「無いわけじゃない。たぶん。けど、今までろくにいいことがなかったんだろう、どうせ俺は、って考えに染められちまってると思うんだ。逃げたほうが楽だっていうさ」

「そいつぁ……」


 ホクサイの細かな触腕の中に顔が引き込まれ、くしゃっとなった。

 顔をしかめたんだ。

 俺も似たような顔をしたに違いない。

 俺たちぶよぬめはマイノリティだ。

 自由の国とは言ったって、差別が亡くならないわけじゃないし、ましてやガキの頃はみんな遠慮がない。

 いじめや差別を受けたことによる自己否定の気持ちは、ぶよぬめなら誰だって覚えがある。


「わかるだろ、俺達はどこかでうまいことそれから逃れられた。どこかでそれまでの悪いことに帳尻をつけることが出来た」

「ああ」

「そしてあいつらは」


 そこまで話して俺たちは黙り込んじまった。

 どうにもいい考えが思いつかなかったからだ。

 ややあって、とりあえずポッターとマークワンにも手伝わせることにして、ひとまず掃除を終わらせることにした。

 掃除時間はかっきり一五分。

 だが掃除完了の報告をトイレの前の主任訓練教官室で寝泊まりしている一等軍曹に行うと、彼は「いやに時間がかかったな」と言って──驚くなかれ、俺達にウインクしてくださったんだ。

 そしてそれっきりお咎め無し。

 どういうことだと思いながら、俺はまんじりともせず、その日は寝た。



 その次の日は全員流す程度に筋トレを行って、敬礼や木銃を使っての動作練習を行った。

 体力検定本番となったのは金曜日のことだった。

 これでだめならヘルシングとロボは海兵をやめちまう。

 そんな気がした俺は、ダメ元でもう一度ペテンを使ってみることにした。


 訓練教官達D.I.の声を背に、体力検定は滞り無く進んでいった。

 懸垂二〇回、腹筋を一〇〇回二分以内、スクワット五〇回をかっきり二分で。

 さらに俺とホクサイは、肘直角ぶら下がり二分が課せられた。

 全員ここまでは調子よくクリアしたが──ヘルシングとロボはあごを出し始めていた。

 折しも時間は午後二時。八月のサウスカロライナは地獄の蒸し暑さだ。

 十五キロコースのスタートラインに並ばされるその時、俺は一等軍曹の厳しい牛顔をちらりとのぞき見た。

 彼はほんの僅か──よほど注意しなければわからないほどごく僅かにうなずいた。その目はこう言っていた。好きなようにやってみせろって。

 俺はそれを暗黙の命令として受け取り、そうした。


 行け、行け、行け。

 セルトドス二等軍曹の合図とともに俺たちは一斉に駆け出した。

 いくらもいかないうちにさっさとトレイン縦列を組み始める。先頭の奴が風除けになり、後続の連中の負担を減らす陣形だ。

 他ではどうか知らないが、海兵隊の体力強化小隊ではマラソンの際のトレイン形成はむしろ推奨されていた。かばい合うこと、タイミングよく先頭を入れ替えることが習慣になるからだそうだ。

 そのトレインを組むとき、俺はホクサイに、というより、付き添いで走っている一等軍曹も含めた全員に聞こえるように、こう言った。


「ホクサイ! ペース確認は俺がする!」


 ホクサイとマークワンは怪訝な顔をした。ポッターはすぐに何かを悟った顔。

 ヘルシングとロボは陰鬱な表情。

 そして一等軍曹は、厳しい顔を崩さなかった。


 ともあれ俺たちは走り慣れたマラソンコースをひた走った。

 俺は一分走るごとに時間をカウントしていった。

 実際は五十五秒とか五十三秒とか、それぐらいだ。

 時計も見ずに正確に時間を図れるなんざ、ガブリエルの旦那かメフィストフェレスの野郎ぐらいにしか出来ないこったろ?

 何秒かのズレは仕方ない。


 だから、そう、十五キロを一八分以内で走り抜けなきゃいけないのに、残り時間はあと三分で、見慣れた風景からしてあと一キロ以上もあるっていう段になって、俺とポッターと一等軍曹以外はパニックになりかけた。

 ホクサイがぎゃあぎゃあわめき出し、マークワンは歯を食いしばり、ヘルシングとロボが肩を落として止まりかけたその時、俺はさっと前に走り出た。


「注目! 注目!」


 全員が俺に注目した。ホクサイなんぞは俺を殺しそうな目で睨んでいたが、俺がウインクすると一瞬唖然とし、それから苦虫を噛み潰したような顔をしてから無表情になった。俺がなにかしでかしたのに気がついたからだ


「全員落ち着け、息が上がってる。深呼吸しろ、三〇秒休憩だ」

「だども小隊伍長、立ち止まってちゃあ」


 と、マークワンがお国言葉丸出しで意見してきた。

 だがこれは判ってて聞いてきているはずだ。やつの目を見ろ。俺たち自慢の一等マシな海兵の目を。そうとも、やつは理解していやがった。これが俺の、二等兵としては一世一代のペテンだってことを。


「だまれ訓練兵。急がば回れ、ゆっくりは素早いだ。深呼吸!……もう一度!」


 それが終わってから俺は威厳たっぷりにこう言った。


「よし。いいか。結果なんか気にするな。ここからはとにかく死ぬ気で走れ。その準備は今やった。俺たちなら出来る。ヘルシング、ロボ、お前らなら出来る。出来なかったら何度でも付き合ってやる。けど、しないうちからあきらめるな。俺の目を見ろ。俺の目を見ろ!やっても無駄だなんて思うな。どうせ、なんて思うな。それでも諦めっちまうんなら、いいさ、ヤケでいいから最後に全力出してからくたばりやがれ。いいか? どうなってもいい、とにかく走れ……いいな。行くぞ! ポークチョップ・プラトゥーン! センパーファイ!」

「フーア!!」


 そう叫ぶとやけになった連中は、横一線になって無我夢中で走り出した。

 多分ギリギリなんとかなるだろう。


 そう、俺はあとみんなをペテンにかけた。実際にはみんなは普段よりもいいペースで走っていて、あと三分以下しか無いどころか、実際にはあと五分もあり、しかも残り一キロで休憩を入れた。仮に間に合わなかったとしても、次こそ絶対に試験に受かるんだっていう希望が持てる。


 ポッターがニヤリと笑って俺を肘で小突いてから走り始め、俺もその後を追った。いかんいかん、この調子だと俺が落第しかねない。

 頭を振って走り始めた俺の隣に、すっと一等軍曹が近寄ってきた。おっソロしい低い声が俺の左側から聞こえてくる。


「訓練兵、あまり調子にのるなよ」


 うっと息詰まるような思いとともに一等軍曹を見ると、彼は、その、今でも信じられないんだが、確かに笑っていた。いつも怒ったように厳しかったその顔には、笑いじわと細くなった目しかなかったんだ。


「そら、走れ訓練兵! さっさと行け!!」

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