ブートキャンプ②
大音声とともに入ってきた訓練教官は、これまでに見たこともないようなバカでかいミノタウルスだった。身長二百十五センチ、体重は目測で百四十キロかそこら。もっとあったかも。
しかし何より印象的だったのは、そのムッツリとした顔がとんでもなく恐ろしかったことだ。あれに比べれば東ルルイエの触手連中の、おぞましいフェイスペイントをした民族派民兵ですらかわいいコボルトの赤ん坊みたいなもんだ。マジだって。あとで仲良くなった当の東ルルイエ出身の
もちろん俺たちはぼんやり突っ立って彼を見つめてたわけじゃない。
頭の何処かで自分たちの四人班に戻るべきだとは感じたが、どっちみち怒鳴りつけられるのは間違いがなかった。だから自分たちの四人班に戻らなかった、といえば格好がいいが、そうじゃない。
俺たちの体が勝手にそういう反応を示しただけの事だ。
つまり例のミノタウルスの声にはそれだけの強制力があったってこと。
彼は他に二名の訓練教官を引き連れ、部屋の真ん中で、ずん、とばかりに仁王立ちした。
腕を組んであたりをぎろりとにらみつけると、俺たちポークチョップ十六名は震え上がって伸ばした背筋をさらに伸ばした。
「諸君!俺はマイク・フィッシャー・ジュニア
それでも俺たちはなんとか根性を振り絞って声を張り上げた。
「イエッサー!」
「聞こえんぞ腐肉ども!」
「イエッサー!!」
「聞こえんといった!!」
「イエッサー!!!」
「貴様らの声に比べればパナマの森林で腐肉にたかるハエ一匹の羽音のほうがまだデカイ。根性出せ!それともションベンもらしたか!声出せ!!」
「イエッサー!!!!」
「声が小さいといっとるんだ阿呆ども!!貴様ら本当に海兵になりたいのか!!」
「イエッサー!!!!!」
「もう一度!!」
「イエッサー!!!!!!!」
そこまでやって、彼はようやく怒鳴るのをやめた。
俺たちはたったこれだけで疲労根煤、ぜぇぜぇと肩で息をし始めるやつが出た。俺が手伝おうとしていた四人班のなよなよしていたヴァンパイアに至っては、何とか泣き出すまいと肩を震わせていたほどだ。俺も大声を出す為に急造したエアタンクと発声器官がびりびりしていたから、二本足どもはさぞかし喉が痛かろうと思った。
一等軍曹はもう一度俺たちをじろりと見回すと、くるりと振り返って後ろに控えていた二等軍曹たちに尋ねた。
「お前たち、聞こえたか?」
「はい、一等軍曹。自分は聞こえました」と、筋骨隆々のワーウルフ。
「はい、自分も聞こえました。塹壕では通じませんが、訓練場では通用します」と、これは小柄ながら引き絞られた強弓のような印象のヒト。
それを聞くと一等軍曹は軽くうなずき、またくるりと振り返って俺たちを睥睨した。
「よかろう……貴様ら、二等軍曹たちに深く感謝しろ。いまのところはこれで勘弁してやる。ありがとうございます!!二等軍曹!!復唱!!」
「ありがとうございます!!!!二等軍曹!!!!」
「甘ったれるな!!声が小さい!!もう一度!!!」
軍隊は無理無茶理不尽がスクラムを組んで銃剣突撃してくるところ。
でもこれぐらいの理不尽は、砂糖のたっぷりかかったおばあちゃんのオールドファッション・ドーナッツみたいなもんだった。
軍曹たちの挨拶が終わると、俺たちはケツを蹴り上げられながらまたキャンプの周りを五km走。
俺と磯紫くんをはじめとしたぶよぬめ兄弟、それにちっちゃな例のヒトは最後に兵舎を追い出され、先行した連中のなかから脱落しかけている連中を担いで走る役を仰せつかった。
どうにかこうにかゴールしたときは全員汗みずくのどろっどろ。はしっこでげぇげぇやってるやつもいれば、ぶっ倒れてるやつもいた。
かくいう俺も太っちょのオークと、オークかと思ったらオーガーだった太っちょを二人も抱えて走ったせいで分解寸前だった。磯紫くんもちっちゃなヒトの子も似たようなもの。
そこに二等軍曹がやってきて、二パイントの水が入ったペットボトルを俺たちにぶん投げながら「休憩五分、飲んだら兵舎に走ってもどれ。二五分くれてやる」との有りがたいお慈悲を下さった。アーメンハレルヤピーナツバター。ゴール地点から兵舎まで、まさに五kmの距離がある。五分ばかりの休憩でまた五kmを二五分で走れるようになるか? 俺たちぶよぬめ兄弟でも、さすがにそれはちょっときつい。
それで俺はちょっとずるをした。
◇
どうにか俺たちは二五分ぴったりで全員が兵舎に戻ることができた。
二等軍曹たちはへぇと感心した顔をして見せたが、一等軍曹は仏頂面のままだった。
俺たちは兵舎の前で二列に分かれて、向かい合って立つよう命じられ、そのようにした。
一等軍曹が俺たちの間を黙って、のし、のし、とゆっくり歩き、俺たちは棒を飲み込んだような姿勢をとっている。
やがて一等軍曹は俺の前に立ち止まり、俺を頭(っぽいところ)から運動靴のつま先までたっぷり一分もかけてとっくりと観察してくださった。
もちろん俺はブルッてた。ずるの首謀者は俺だったからだ。
彼はなんとかまだ造形を保っている俺の二本足のハンサムな顔、その鼻先一センチにおっそろしいゴツゴツした顔を近づけて、地獄の極卒よりも怖い、低い声で俺に問いを発して下さった。
「
「ありがとうございます、サー!!自分はジョニー・ジャクスン訓練兵であります、サー!!!」
「ジョニー・ジャクスン訓練兵。貴様はぶよぶよのろのろ動くのか?」
「イエッサー!そうではありません、サー!!」
「どんなもんだが。まぁいい。お前はこれからゴッド・スピードだ。文句はあるか?」
「イエッサー!ありません、サー!!」
「ございません、だ。ばかもの」
「ご指摘ありがとうございます!肝に銘じます!サー!」
とまぁここまでは比較的穏やかに進んだものだから、俺はちょっと安心しかけた。もちろんそれは油断以外の何者でもない。
「時にゴッドスピード。貴様、見るまでもなくスライムだな。祖先は中部ポーランドの出、陸スライムの正統氏族だ。違うか?」
「イエッサー!まことにその通りであります!サー!」
「そしてこっちの磯紫。お前ら二人とも、麻酔成分と覚せい成分を分泌できるな?」
俺は恐ろしくて一等軍曹の顔を見ることができなかった。
そうとも兄弟、俺たちは俺たちの祖先が女騎士やエルフ娘とねんごろになるために使っていた能力をいまだに引き継いでいる。
それをこのポークチョップどもが渡された水に、ほんのちょっぴり使ってやったんだ。
効果てきめん、ポークチョップどもは疲労を忘れ、割りといい気持ちで帰りの道も走ってこれたってわけ。
一等軍曹はニヤリと嗤った。その顔のまた恐ろしいこと!!俺はマジにちびった。幸い、漏らしたのは体内のことだったから外には漏らさずにはすんだけれど。
「貴様ら!貴様ら腐肉にゴッドスピードとホクサイがくれてやった
ワン・ツー・スリー・フォー、アイラブ、マリンコ。
そうとも、ここが出発点だ。
ファイブ・シックス・セブン・エイト、ユナイテッド・ステイツ、マリンコ。
◇
ところで言うまでもないが、ホクサイに決まった磯紫くんのあだ名。
他の連中は腕立て伏せのときに一等軍曹が吠え立てながら決めていったものだが、磯紫くんだけは何にも言われずにナチュラルにそう決まっていた。
何でホクサイなんだ、と当の本人に聞くと、やつは器用にも腕立て伏せしながらすらすらと超有名なウキヨエを地面に描いて見せたんだ。
ああ、こりゃたしかにホクサイだと俺たちは笑って、二人でまた海兵隊に五〇回、腕立て伏せを捧げた。
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