私はフリーダム
容原静
私はフリーダム
「これがバーチャルyoutuberってやつか。上手くできているなぁ。まるで人間じゃないか」
今日という日はどれほどの災難が私の元に降りかかれば気がすむというのか。後ろのおじさんはいたって普通の黒服少女である私を太古に流行った文化と勘違いしているようだ。馬鹿野郎にもほどがある。そもそもバーチャルyoutuberはネットの中で呼吸する存在であるというのに。
「どれ。君。正体はおじさんかね。喋ってみなさい。どうせどす黒い汚らしい声が出るんだろ。ええっ」
「汚らしいのはあなたですわ。何ですかその髭は。由緒正しい可愛い素敵な私に喋りかける権利はあなたにございませんことよ」
「おおっ。これはびっくり失礼。なんだ企業案件ってやつかね。こんな美人な素体に幼女っぽい声。なんだか感情が高ぶってしまう」
そうしておじさんは私の頬を触れたのです。おじさんの手にはタバコが握られており、私の頬にタバコが触れた。それはまだ冷めていなくて、私は思わず飛び跳ねた。恥ずかしい。
「おおっ。最近のバーチャルyoutuberというのは触れるのか。君は幸せものだ。自分の肉体を帯びずしてハッスルできる。さすが金持ちは違う。私なんてねあっちの方は随分ご無沙汰でね。なにしろビョウキしちゃっているからさぁ」
「あなたって本当に人でなしですのね。ああどうしましょう。嫁入り前の体に傷がつきましたわ。殺してやる。死ね。死ね」
よせばいいのに。お父さま、ごめんなさい。私こそ人でなしです。親不孝ものです。期待に添えられません。しかしこんなハレンチ男を見逃す私でいたならば、お父様。あなたは私を育てていませんよね。確信してるから、私はお父様から預かった大事な薔薇模様のバックのファスナーを開けて黒く危うい物を取り出した。数少ない荒れ果てた北の大地への片道電車に乗り込んだ数少ない乗客は私たちの様子を伺っていた。陰鬱な死の香りを帯びた電車内は静かだった。これからは騒がしくなる。だって、私はこれから片道電車の女王になるのだから。
「何を持っているんだ。冗談だろう。拳銃。君。私を殺してなんの得があるというのだ。心得が足りないよ。私は君たちにとって必要な人物になる男だ。君たちは誰一人、北の大地の言葉を習得していないだろう。私は君たちの通訳を頼まれた一般人。こんなところで死ぬ私ではないのだよ。さぁお嬢さん。落ち着きなさい。そんな物騒なもの、鞄に収めて、お遊戯、そうだ。お遊戯でもしようじゃないか。僕も付き合うし、ほら。そこの君。君は不倫役にぴったりだ」
そうして男は背後で私たちの様子を伺っていたふしだらな賢者を引き寄せた。賢者は巻き込まれたことに落胆し、涙を流す。
「私は、今日、朝、かき氷を食べました。いちご味でした。今日の晩ごはんは何だろう。あなたは知っていますか。私は鯖焼きを食べたい」
「かわいそうに。君みたいな言葉を失調してしまった人間にこそ私みたいな通訳が必要なのだ。君みたいな人間のために、私は全生命を尽くしてこれから先の苦難をすべて取り除こう。ところでお嬢さん。早く引っ込めなさい。トランプゲームには必要ないだろう。それとも、晩ごはんはトマト鍋がいいのかい。全く贅沢だなぁ」
私は引き金を引いた。男の頭を狙った。見事に銃弾は男の額を貫いた。男の額から派手に血が吹き出す。私の服は飛沫を浴びて、汚れてしまった。隣の返り血を浴びた男は叫んだ。
「ああ。どうしていつもこうなるのであろうか。私の人生はもう続いていかないことを示唆しているのであろうか。あの時、私は泳いでしまった。そして、それから、全てが狂ってしまった。救いはどこにあるのでしょうか。私に教えてください」
私は赤く変色した服の着替えを所持していないから、そのまま汚れを気にせず自分の座席に座った。周りの数少ない人間は私を異形として見つめる。この人間たちは皆弱すぎて私にどうすることもできない哀れなものばかり。
一人のひげ剃りを持ったモジャ男が叫んだ。
「鉄道警察だ。鉄道警察を呼べ」
「そんな高尚なもの、この電車にはいませんわ。この電車は運転手も存在しない。終電まで一直線。皆さま自覚が足りていないんではありませんこと。私たちにはもう死しか残っていませんのよ。これ以上ないほどの罪悪を残してきた自覚が足りませんわ。私たちには警察が入る余地はありません。死。罪は裁かれ、後はいつ死ぬか。それでしかありませんのよ」
私の言葉を聞きながら、どいつもこいつも小さくなっていく。怯えているようだ。これから先自分がどうなっていくかを想像して、どうしようもない現状を思い出して、震えている。
どうせならば、救済をやろう。私は立ち上がった。皆が私を見つめる。
「君たちを救う。死にたい奴は私の前に来なさい。どうせ死ぬなら美人に殺されたい。殺してやる。私の前へ来い」
皆はそれぞれに顔を見合わせて、逡巡しながらゆっくりと膝を伸ばす。唾を飲み込む。目が覚めたのか。生きていく青春を思い出したのか私の前へ足を進めるもの多数。さあ、殺してやろう。
「最後の言葉、聞いてやる」
「セックスしたい人生だった」
殺す。殺した。
「俺は倒産した。人が死んだ。俺を殺してくれ」
殺す。殺した。
「お姉ちゃん。ボク死にたくない」
殺す。殺した。
「最後にキスぐらいさせてよ」
殺す。殺した。
どいつもこいつも殺していく。死ね。
たった一車両。全員が死を望み、実際に死んだ。生き残ったのは私だけ。お父さまはそのときが来るまで目立たないように、隠密にと要求しましたけれどごめんなさい。無理な相談でしたわ。
私は薔薇模様のカバンに拳銃を収めた。お父さまの生首。氷足りなかったみたいだわ。腐り始めている。
「切符拝見します」
「あら。車掌さん乗っていたんですね。あなたも地獄まで行くつもり」
私が差し出した切符に判子を押しながら
「電車に車掌がいないと、泣くんですね。仕事柄仕方ありませんよ」
そして車掌は死体を蹴りながら廊下を進んでいき、リターンし車両から出て行った。
私は一人になった。まだ旅は始まったばかりだ。幸先の良いスタート。私は座席横に置いていた小説を一瞥する。斜陽。父に嬲られ腹だけ残して消えた母親の愛読書。私にとってのラッキーアイテム。私は窓を開けて、それを捨てた。ついでに薔薇柄のカバンも捨てた。
「これから先、何があろうと、私は自由なのだ」
私は足を伸ばし、ハミングする。少女19歳。人生はこれからである。
私はフリーダム 容原静 @katachi0
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