エピローグ

「ねえ、知ってる?」

 小さな手を頭の高さに掲げた子どもが空を見上げるようにして話しかける。

「何が?」

 ちょうど腕をだらんと伸ばした高さに小さな手を握りしめた大人が聞き返す。

「奪衣婆って言うんだよ。」

 得意げに、子どもが言う。

「だつえば?そんなこと良く知っているねえ。」

 大して気持ちもこもっていない様子で大人が言う。

「神童って呼ばれていたからね。」

 その言葉には少しの自慢がこもっている。

「単に、言葉を多く記憶したかどうかだろう?」

 少しだけ呆れ顔で大人が言う。

「そうさ。物知りだねって言って褒められた。」

 少しだけ誇らしげに子どもが言う。

「褒められるのは、誇らしいことかい?」

 不思議そうに大人が尋ねる。

「そうだね。誇らしいことだよ。」

 楽しそうに子どもが答える。

「誇らしいことは、楽しいことかい?」

 不思議そうに大人が更に尋ねる。

「それは別のことだよ。モノを知ることは、楽しいことさ。」

 更に楽しそうに子どもは答えた。

 二人は、急ぐでもなく怠けるでもなく、普通の速さで淡々と歩いている。

「奪衣婆はね、地獄に行く前に身ぐるみ剥がすのが仕事なんだ。」

 子どもが思い出したように口を開いた。

「ふうん。仕事なのかい。」

 あまり関心が無い様子で大人が答える。

「痩せこけた白髪頭の恐い感じのお婆さんなんだって。」

 そう言いながら、横目で大人の服装を見る。

「それはどうだかね。それはそれぞれだから。」

 心地悪い視線を遮るように子どもの顔を繋いだままの手で窺う。

「金銭を渡して逃れることができるんだって。」

 子どもは繋いでいない方の手のひらを広げて見せる。

「それはそれは、馬鹿だねえ。」

 大人は繋いでいない方の手をブラブラさせる。

「お婆さんはね、脱がせた服をお爺さんに渡すんだ。お爺さんは、木の枝にひっかけて罪の重さを量るんだよ。」

 自由な側の腕を使って子どもは木の枝を表現する。

「罪の重さを量る?それじゃ、そのお爺さんは閻魔さんかい?」

 自由な側の腕を腰に当てて大人はどうやら閻魔様を表したかった様子。

「違うよ。懸(けん)衣(え)翁(おう)だよ。」

 少しだけムキになって子どもが言う。

「どうしてだい?罪を量るって言ったら、閻魔さんだろう。」

 わざと平然と大人が聞き返す。

「それを言い出したらきりがない程、いろいろあるんだよ。」

 少しだけふてくされて子どもが言う。

「いろいろあるさ。そりゃあそうだ。」

 わざと笑って大人が同意する。

「いろいろあるから、脱がせるんだよね?」

 ふと大人びた口調で子どもが言う。

「そうさ。纏ったものは脱ぎ捨てて、鬼に血肉を削ぎ落としてもらうのさ。」

 妙に真面目に大人が言う。

「脱いで、脱いで、また脱いで、削いで、削いで、また削いで。」

 わらべ歌のように子どもが言う。

「落として、落として、また落とす、切り捨て、切り捨て、また切って。」

 同じ調子で大人が言う。

「そうしたらその後、どうなるの?」

 顔を覗き込んで子どもが問う。

「そうしたらその後、核だけ残る。」

 顔を見下ろして大人が答える。

「核だけ残って、どうなるの?」

 顔を前に向けて子どもが問う。

「ゆっくりじっくり実を付けて、そしていつかは芽を生やす。」

 二人はつないだ手を振りながら、唄を歌うようにして普通の速さで歩いている。

 やがて行く先に、松の木が見えた。

 二人は急ぐでもなく怠けるでもなく、普通の速さで淡々と歩いている。

 松の木にやがて近づくかもしれず、いつまでたっても近づかないかもしれず。

 二人はつないだ手を振りながら、普通の速さで淡々と歩いている。

  <終>

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奪衣婆(だつえば) 諏訪 剱 @Tsurugi-SUWA

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