24.追跡

アブマンは濡れた服を乾かし、身体を休めるため、野営の準備をしていた。もうすっかり夜だ。夏のマスハは暖かく乾燥しているが、夜になると冷え込みが厳しい。あらかじめ蝋に浸した布で巻いた「時の女王」を横に立てかけ、火を起こすために木をこすり合わせた。火が付くとそこに細い方から順番に木の枝をくべていく。これで一安心とばかりに、アブマンが座ろうとした、その時、後ろから聞き覚えのある声がした。


「やっと追いついたぞ」


そこにはアスコラクとシャクヤ、一匹の蝶がいた。


「何故、あなた方がここに? その蝶は、あの時の?」


アブマンは警戒の色を濃くした。何故、生きていることがばれたのか。いや、その前にどうやってここまで追って来られたのか。アブマンは自分のミスを思い出そうとしたが、計画は完璧だった。そうなれば、考えられることは一つしかない。アスコラク達が、自分より何枚も上手だということだ。


「全て、お見通しということですか」


アスコラクは丸めた紙くずをアブマンに投げつけた。水分を含んだそれは、アブマンの足元でぐしゃっと音を立てた。


「パンの鎖とは考えたな。パン屋の店主が言っていたように、手先が器用なだけはある。しかも、水に溶けやすい小麦粉に着色した跡がある。美大生ならではの技術か?」

「パンの鎖? 無理ですよ。本物の鎖は鉄でできています。処刑人が持てばすぐにばれてしまいます」

「小麦粉、だろ?」

「え?」

「小麦粉と蜂蜜だけを使って作った生地を焼くと、非常に硬いビスケットのようなパンができる。鎖はこれを組み合わせた後、錆の着色を施されたものだ。この普通に食べれば歯が折れるほど固いビスケットは、鎖のような音を立てる。そして、自分の手元には普通のパンでできた物とすり替える。それに、直接鎖を引く執行人の役人には、金を握らせたのだろう?」


マスハから洞窟がある山岳地帯までは、かなりの距離がある。よって、マスハの役人から何人か交代で洞窟まで移送されてくるはずだ。パンでできた拘束具では、金属音よりも軽い音しかが出ないため、一番近くにいる執行人たちには、鎖が金属製でないことがばれてしまう。アブマンはこれを金で解決したのだ。顔の割には大胆でしたたかだ。水面の白濁は、鎖の名残であり、アブマンが沈められたところだけ白濁していたのは、小麦粉が水に溶けだしていたからだ。


「さらに言えば、お前の父親は山岳地帯の先住民出身だ。お前は父親から青の洞窟の秘密を聞かされていた。だから水牢の刑を選んだ。何せ水牢の刑は死体を引き上げることすら、忌避されていたからな」

「一体何者なんです?」


アブマンは絵をかばうようにして尋ねた。


「先刻、追加の指令が下された。リョート及び、アブマンの首を狩れと。私は首狩天使・アスコラク。貴様、リョートの術によってその姿から時間が止まっているそうではないか。それは大罪である。よって私は貴様とリョートの首をここで狩る」


つまりリョートは絵の中で生きるようになっても研究と実験を繰り返し、アブマンを利用した実験でその研究を成功させていたのである。他の生きた人間から時間を奪わなければ老いてしまうものの、半不老不死の技術をリョートもまた手にしていたのである。

アスコラクは大鎌をアブマンに突き付けた。シャクヤがアブマンの退路に立ちふさがった。アブマンはあきらめたように地面に座り込み、絵を包んでいた布を剥がし始めた。絵の中で、リョートの胸像が優しく微笑している。


「フェルズ、貴女を逃がせるのも、ここまでになりそうだ。ただ、貴女と共に逝けることを僥倖と思う」


アスコラクはアブマンの首を一閃にした。アブマンの体と頭は砂となって消えた。そしてアスコラクはリョートの絵に向き直った。シャクヤはその後ろで祈るように手を組んだ。たった一人の家族である妹が、おとなしく罪を償ってくれることを、祈っていたのだ。


(さっさと出てこい。クランデーロ)


アスコラクは苛立ちを抑えて、絵をにらみ続けた。

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