23.青の洞窟

ジェイコとその父親の心温まるエピソードよりも、アスコラクが気になったのはアブマンの処刑方法だった。裁判所でアブマンが言い渡されたのは水牢の刑。これは極刑の中の一つだ。アブマンはこの判決を聞いて満足そうな顔をしていた。その表情がアスコラクの頭から離れない。傍聴席の片隅で、アスコラクは顔を曇らせていた。


(まだ、何か裏があるというのか?)


アスコラクは「時の女王」の前に立って考えていた。冷たい微笑とバラのような雰囲気。この女とシャクヤが入れ替わったとは、今でも信じきれない。3000年前の王宮の役人たちは、シャクヤとこのリョートの区別がつかないほど、愚鈍だったのか。それともリョートの姉であるシャクヤにも、女王の素質が隠れていたのか。

(クランデーロ、お前は何をしようとしている?)

ふと、アスコラクは絵を見ていてある考えが浮かんだ。


(贋作の天才。もしもこの絵が偽物だとしたら?)


「シャクヤ、アブマンの処刑地は?」

「山岳地帯にある青の洞窟と呼ばれる所よ」

「行くぞ」


アスコラクはそう言って踵を返した。巨大な国・エルは北に永久凍土、南に砂漠と山岳地帯があって、国土の割に人が住める場所は少ない。刑場はそんな人が住めない所で行われていた。山脈地帯は太古の昔、海底が隆起してできたもので、その洞窟の中にはまだ多くの海水が溜まっている。その太古の湖は青く輝くため、青の洞窟と呼ばれていた。その美しい名前に似合わず、そこでは多くの罪人が溺死させられてきたのだが。


「ちょっと待ってよ、アスコラク。一体何があったの?」


イネイはアスコラクの耳から顔を出す。


「美術館の絵は偽物だ。本物はアブマンが持っている」


イネイは「えぇ⁉」と思わず叫び、シャクヤも驚きの表情を隠せなかった。それでもアスコラクの歩みにシャクヤは遅れをとらないのだから、さすがと言うべきか。


「まあ、ではリョートはアブマンと一緒なのね?」

「そうだ。おそらくリョートは絵から完全に抜け出すことは出来ない。だからアブマンは絵ごとリョートを逃がすつもりだろう」


アブマンの処刑は今日の日没。まだ日は高かったが、何せ世界一の国土を持つエルの端だ。


(間に合わない)


アスコラクは咄嗟に路地裏に入り、剣を抜き放って大鎌へと変じさせた。


「直接山岳地帯の洞窟に出る」

「了解よ」

「あら、そう」


アスコラクは鎌で空間を一薙ぎした。アスコラクは天使であるため翼を持っているが、本人いわく、翼は力を遣い過ぎるのである。翼を使うのは、天界へ帰る時などだ。そのため人間界同士での普段の遠くへの移動手段は、空間同士をつなげて行う。それを可能にするのがアスコラクを象徴するこの大きな鎌である。町はずれの道に突如出現した空間の裂け目からは、岩肌がのぞいている。三人はその裂け目をくぐった。すると、その裂け目はマスハから遠く離れた山岳地帯の洞窟の前につながっていた。三人が洞窟の中に駆けこむと、空間の裂け目はあっという間に消えていた。山岳地帯の洞窟の手前に、三人は姿を現した。灰色の岩肌はごつごつして、洞窟の周りには木々が生い茂っている。湿気が多く、マスハとは大違いだ。これでも一国の領土内なのだから、エルの国土の広さを思い知るには十分だろう。洞窟の入り口はこの湿気で滑りやすくなっており、ここで転べば大きな傷を負うことになるだろう。アスコラク達は濡れた洞窟の壁に手を置きながら、慎重に歩を進めた。そのたびに、徐々に洞窟内は暗くなっていく。

完全に外の光が洞窟内に届かなくなった頃、暗闇の中に、青く揺らめく光が大小いくつも浮かび上がった。洞窟の中には青い湖があったのだ。光の届かない洞窟の中で、その湖だけは青く発光していた。一番大きい場所が、水牢の刑に使用されているのだろう。


「まあ、美しい」


シャクヤはうっとりとその透き通る青い色に溜息をもらした。


「燃える氷の光に似ているわ」


湖に息をのむ二人の従者にわき目を振らず、アスコラクは水牢の中を探った。しかし中には誰もいなかった。ただ、水面に紙の切れ端のような物がばらばらになって浮かんでいた。そして、他の水面よりも白く濁っていた。もう、処刑人は役目を終えて、裁判所に報告に向かった後の様だ。もしかしたら、アブマンを水に入れてすぐに、引き返したのかもしれない。処刑人は罪人が死ぬまで見届けることが通例となっているが、水牢の刑となった極悪人と二人きりでこの暗い道程を進むということを、放棄したくなるのも分かる気がした。


(この白濁は、まさか)


「逃げられたか」


アスコラクは悔しそうにつぶやいて、紙の切れ端を握った。

 外の光が届かない暗闇の中で発光する水面。洞窟にはこの湖しか光源がない。では、そもそもこの暗い洞窟で、どうしてこの水面はこんなにも美しい青い光を放っていられるのか。アスコラクは辺りを見回して、考え込むような顔つきになる。どう考えても、この湖が自家光源となるのは無理がある。つまりどこかに光源があり、そこから光が差し込み、その光が湖底に反射してこの青の洞窟を生み出しているのだ。そうなると、この湖はどこか外へと通じているということになる。アブマンはそれを知っていて刑に応じたのだろう。そうでなければあの満足げな笑顔の説明がつかない。アブマンは自ら水牢の刑を選んだ。それは水牢に使われるこの「青の洞窟」ならば、逃げられるということを知っていたからに他ならない。初めからアブマンは、死刑になることなど考えていなかったのだ。


「行くぞ」


「どこへ?」と二人が声をそろえた瞬間、アスコラクは湖の中に飛び込んでいた。アスコラクは水中でも呼吸ができる。無論、その従者もその例外ではない。


「アスコラク?」


揺れる水面にシャクヤとイネイが顔を合わせる。アスコラクの命令は絶対だ。シャクヤは一息ついてから湖の中へと消えた。イネイは羽が邪魔になるが、人間のまま水泳できる自信はなく、仕方なく蝶の姿で湖へと飛び込んだ。水の中でも呼吸ができると分かっていても、イネイは怖くて目が開けられなかった。我慢していた呼吸が限界を迎え、水が口と鼻に中に流れ込む。溺れる、と思った瞬間、呼吸が楽になった。恐る恐る目を開けると湖の透明度が高いことがわかる。しかも通常なら、深く潜れば潜るほど暗くなるはずの湖の底は、光で溢れていた。どこからか差し込んだ光が、湖底で反射して辺りは光に包まれていた。アスコラクもシャクヤも光源を目指して泳いでいく。イネイも苦労はしたが、二人に何とか追いついた。普通なら水の重みを感じるはずだが、アスコラク達は水圧を感じことはなく、地上と同じように湖底を歩いた。そして、光が差し込む方へ、浮上していく。三人が泳ぎ着いたのは、森の中の湖だった。湖といっても洞窟の湖よりも狭く、沼という方が合っていそうな大きさだ。


「まあ、こんな所に続いていたなんて」

「どうやら、この湖が光源のようだな。ここに差し込んだ光が太陽の向きなどがそろった時に湖底に反射し、青の洞窟を作り出していたんだ」


湖の底を泳いできたはずの三人は、全く水にぬれた形跡はなかった。水中を長く泳いだという様子は全くなかった。アスコラクの従者になると本当に様々なことに驚くことが多い、とイネイは思った。


「まだアブマンは近くにいるはずだ。探せ」


アスコラクの厳しい声に、シャクヤは笑った。


「あら、アスコラク、大丈夫みたいよ。少しは自分の従者を信用してあげれば?」


暗い森の中で、点々と燃える氷の灯が続いていた。イネイの町で使用されていた「燃える氷」は揮発性が高く、着火しやすい。そして一度火がつけば、青白い炎を揺らめかせて燃える。青白い小さな炎を辿って行けば、確実にアブマンに続いているはずだ。いや、「時の女王」へと言った方が正しいだろうか。



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