21.極刑
アブマンは移送先で、厳しい取り調べを受けた。「取り調べ」とは名ばかりで、ほとんどその内容は拷問に近かった。東ではまだこういったことが平然とまかり通っているのだ。ただし、このことはどんな方法をとっても「自白」という決定的証拠をつかむ警察の常套手段であった。そのため、このこと自体が、裁判の中で争点となることはない。ただ、被告人が「自白」を曲げただとか、翻したとか、心証を悪くするだけだった。
アブマンの場合、顔に傷がつくとそれを裁判官から問われることも考えられたので、精神的苦痛と生活的な苦痛を与えられた。要するに、寝せてもらえない上に飲食も極度に制限され、罵倒されながら尋問されたのだ。
「ほら、さっさと逃げたブローカーの居場所と、顧客の名前を吐くんだ。そうすれば、楽になれるぞ。想像してみろ。温かい布団、冷たい飲み物、腹いっぱいの食事。いいだろう?」
いかにも人を虐げるのに慣れている鉤鼻の男は、アブマンの耳元で言った。この気持ち悪さも手の内なのかと思いながら、アブマンは笑った。
「そんな子供だましに、付き合うとでも思っているんですか?」
警察官がアブマンの腹を力任せに蹴り上げる。椅子ごとアブマンは冷たいコンクリートの床に倒れ込んだ。さすがのアブマンもせき込んだ。眼鏡はもはや役に立たないほど変形して、床に置き去りにされていた。アブマンは弱視ではあったが、乱視ではなかったので眼鏡がなくても十分に物を見ることができた。ただ、視界はぼやけている。眼鏡のないアブマンの顔は、ますます女性にしか見えなくなった。
「ちょっと、体には駄目ですって」
まだ蹴ろうとする鉤鼻の警察官を、眉の太い筆記役の警察官が止めに入る。
「いいんだよ、顔や手なんかは駄目だろうけど、服で隠れる分には問題ないだろう」
「でも、もしも、ということがありましたら……」
「そうですよ。人間の中身とは不思議なもので、一つ取っても平気なものと、それが潰れたり破れたりすると死んでしまうものがあるんです。だから、服の下なら大丈夫だなんて言えません。気を付けてください」
「ほ、ほら、やっぱり」
太い眉毛がアブマンに加勢する。鉤鼻の警官はじろりと太い眉毛の景観をにらんで、「どっちの味方なんだ?」とすごまれていた。眉毛がりりしい割に気が小さいのだな、とアブマンはぼんやり考える。そして、まだ自分がそんなことを考える余裕があることに感謝する。
こんなやり取りが十日間くらい続いた。ほとんどの人間が三日間の内に「自白」するといわれたこの鉤鼻の「尋問」に、ここまで耐えたのはアブマンだけで、警察の中でもこの異常なアブマンの粘り強さが噂になるくらいだった。しかも、睡眠や食事を与えられていないというのに、アブマンは清潔さを保ち、疲れた様子も全く見せなかった。肌などはまだ血色がいいといってもいいほどだ。
先に折れたのは鉤鼻だった。むしろ鉤鼻の方が、疲れを見せていた。アブマンはいつも通り笑顔で挨拶をした。
「おはようございます。今日も早いですね。でも、こんなに毎日僕に朝から晩まで付き合ってしまって、ご家庭は大丈夫ですか?」
鉤鼻はアブマンを睨みつけて椅子に深く腰掛けた。そして、アブマンが予期していないことを口にした。
「お前、司法取引と言うのを知っているか?」
「はい」
いつも通りにこやかにアブマンは答える。さすがは歩く百科事典だ。
「上の命令で、これ以上時間がかけられなくなった。ブローカーの行方と、顧客の情報を出せば、極刑は免れるそうだ」
「嫌です」
アブマンは笑いながら即答した。
「僕、極刑になりたいんですよ。水牢の刑が良いんです。ですから、頑張って下さいよ」
まるで肩でも軽く叩くような口調と言葉に、鉤鼻男は血管を額に浮き上がらせた。悪い冗談にしか聞こえなかったからだ。この国での極刑は死刑だ。中でも恐れられているのは、水牢の刑だった。呼吸ができなくなって最後まで苦しむ上に、死体がこれまた最悪だったからだ。水分を含んでぶよぶよになるだけならまだいい。その上に魚などにあちこち食われて、見るも無残な姿になるのは死んでからでも嫌だろう。よりによってその刑を、自ら望むとは国や自分の死を軽視しているとしか思えなかった。
「貴様、何故そんなことを。死ぬってのがどんなことなのか分かってねぇのか?」
「分かっています。水牢の刑が極刑の中でも嫌われ、時には死体を引き上げることすら忌避されていることも。何もかも。生きてきた長さが違いますからね、他の人とは」
「なんだと?」
明らかにアブマンよりも年上の鉤鼻は、自分が馬鹿にされたと思い、声を荒げた。しかしそうやって相手の体力を奪うのがアブマンのやり方なのだと知り、鉤鼻はついに口を閉ざした。
「何でもありませんよ」
アブマンは一日目と同じように笑う。勝ち誇ったような、まるで他人を相手にしていないような、笑い声を立てて。「黙秘殺し」とまで呼ばれた鉤鼻警官に、敗北を知らしめ、赤子同然に扱うアブマンを、警察官たちは不気味に思うようになっていた。
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