20.計画

 アブマンは突然、学長室に呼び出された。警察からの要請で、大学はアブマンの周辺を調査していたと聞いた時、アブマンは驚くことも、悲しむことも、悔しがることもなかった。ただ、やっと気付いたのか、とあきれてしまった。教育現場の人間はどうしてこうも成績優秀者に甘いのだろうと思ったほどだ。教師たちは成績優秀者に対して、大きな信頼を向ける。アブマンが良い例だった。その代り、成績不振者には全く信用を置かない。まるで、大学の成績がそのままその人間の本質であるかのような扱いだ。それをいいことに、今まで気付かれずに詐欺を働き、好き勝手していたのはアブマン自身だったので、アブマンは文句がなかった。

学長室には警察と思しき二人の男がいた。


「ジェイコのことも調べたのですか?」


アブマンは落ち着き払ってそうきいた。学長はそんなアブマンに腹を立てたのか、眉間に皺を寄せて怒気をはらんだ口調で答えた。


「ジェイコも警察に参考人として調査に協力している」


まるで、勝手に預けた信頼を裏切られたかのように、学長は怒りをあらわにしている。アブマンは頼んだ覚えもない信頼に応える責任はないと思った。


「協力、ですか」


物は言いよう、とはよく言ったものだ。アブマンは人のよさそうな笑顔で学長の話を聞いていた。反省の色がないことを指摘されたが、「協力者」が反省することもないだろうと思った。学長は警察官二人に「お願いします」と頭を下げた。その時の学長の顔は茹でたタコのように真っ赤だった。ああ、なるほど、とアブマンは納得した。学長は地位の高い自分の顔に泥がついたことに腹を立てていたのだ。学生のことは二の次なのだ。

 「協力者」のアブマンは、何故か青いロープで胴や手を結ばれ、雑に扱われて警察署に連れて行かれた。マスハは景観を損なわないように、どの建物も赤レンガで建物を造る決まりになっている。警察署も例外ではない。しかし警察署の中は一変して、コンクリート打ちっぱなしの殺風景なものだった。この建物自体が、警察の性質を表わしているようで、アブマンは不快に思う。しかしアブマンは何の抵抗も見せず、素直に警察官に従った。個室で聞き取り調査を受けた時も、まじめに質問に答えた。嘘や脚色は全くなかった。そうしなければ、ジェイコに迷惑がかかる。アブマンは本当に自分を慕ってくれるジェイコが人として好きだった。もちろん、ジェイコが描く絵も大好きだった。


「はい、全て私の提案です。学費や生活費は結構かかるもので」


アブマンはそう言って自嘲した。すると、聞き取りをしていた男がいきなりアブマンの頬を殴った。かけていた眼鏡が床を滑った。アブマンがつながれていた椅子ごと吹っ飛ばされるくらいの強さだった。


「へらへらしてんじゃねえよ。女みたいな顔しやがって」

「めっそうもない」


アブマンは口の中にサビの臭いが広がるのを感じながら答えた。


「とにかく、私の後輩が言っているのは嘘です。彼が本当に共犯なら、もっと早くにこの件は世間に知られていたし、彼だってもっといい生活を送っていられたはずです」


ジェイコが言いそうなことは、最初から分かっていた。ジェイコは自分が黒幕になろうとするはずだ。最低でも、自分が共犯者だったと言うに決まっている。しかしそれではアブマンは困るのだ。アブマンの計画上、ジェイコが有罪になることは想定外のことだったからだ。

 そしてジェイコは、アブマンの予想通りの弁解をしていた。ジェイコは元来、人付き合いが得意な方ではない。不器用と言って良かった。人を利用するのに長けていたアブマンにとって、ジェイコが警察でどのような態度を取り、どのような弁明をするかは、手に取るように分かるのだった。それでもジェイコは、たった一人の家族であり、尊敬する先輩であったアブマンをかばおうと必死だった。不器用で真面目だけが取り柄の青年は、警察を前に自分が犯人だと主張した。まだジェイコの頭の中では、あのアブマンが詐欺師だったということを認められずにいた。きっとアブマンは闇ブローカーに、ずっと騙されて知らない内に、詐欺の片棒を担いでしまったに違いない。ジェイコはアブマンの優しさや雄弁さ、知的さを全く知らない警察が、無能であると思い始めていた。


「だから、僕が持ちかけた計画を、アブマンさんたちが何も知らずに手伝っただけですって!」


ジェイコは苛立って机を叩いた。アブマンを陥れた詐欺師に騙された、無能で無知な警察が、自分やアブマンを、罪に問おうとしていることが気にくわなかった。


「しかし、アブマンの言うとおり、君には動機がない。君の生活は、アブマンたちが君の絵を大量に売っているのに、全くよくなっていないじゃないか!」

「それは、自分の所業を隠すためですよ。こうなった時に……」


絶壁頭の警察官は、笑みを浮かべた。身を乗り出して、臭い息でささやく。


「じゃあ、お前はどこに金を隠し、何に使った?」

「それは……」


ジェイコは言いよどんだ。しかしここに来て金銭目的以外の目的が、ジェイコの脳裏に閃いた。


「君は絵を描かされていただけで、何も得ていない」

「違う。僕が自分で描いた。自分の絵が売れるのが嬉しかった。僕は愉快犯です。だから……」


ジェイコはようやく自分の動機らしい物を主張できて、胸を撫で下ろした。しかし取り調べをしていた部屋に、ノックの音が響いてジェイコの主張は中断された。絶壁頭の警察官のもとにやけに耳が大きい別の警察官がやってきて、耳打ちをする。すると二人の警察官はお互いを見やってうなずき、耳の大きな警察官は部屋の外に出て行った。そして、絶壁頭がジェイコに再び向き合った。そして、鼻で溜息をつき、難儀そうに椅子から立ち上がると、ジェイコの拘束具を外し始めた。


「な、何をするんだ?」

「釈放だ」


面倒臭そうに絶壁頭が手を休めずに言った。


「え?」

「アブマンが自身の罪を全面的に認めたそうだ」


ジェイコは今まで赤くしていた顔を真っ青にした。

嘘は必ずばれる。特に感情に任せてその場しのぎについた嘘ならば、すぐに見破られる。真実には筋が通っているからだ。嘘にはそれがない。また、筋が通り過ぎた話も、計画的な嘘の場合がある。ともかく、これによってジェイコは自由の身となった。アブマンに利用され、絵を描き続けた貧乏でかわいそうな青年として。ジェイコが警察の廊下を、出口に向かって警官と共に歩いている時だった。ちょうど角を曲がった時、アブマンの長い黒髪と制服が翻るのが目に入った。ジェイコは警官を跳ね飛ばし、アブマンと同じように角を曲がった。すぐにジェイコを他の警官が止めに入る。アブマンは犯罪者として、さらに厳しい尋問を受けるため、別室に移送されるところだったのだ。


「アブマンさん! アブマンさん!」


ジェイコの呼びかけに、アブマンは応えなかった。歩みを止めることも、振り返ることもなかった。


「お願いします。アブマンさんは悪くない!」

「はいはい。だったら無罪を信じて、家でおとなしく待っていなさい」


ジェイコは警察所から追い出されている最中だった。ちょうどそこに、偶然にも拘束具をつけたアブマンが左右と後ろを三人の警察に囲まれるようにして、廊下を通り過ぎたのだ。ジェイコはその一瞬を見逃さなかった。


「アブマンさん、アブマンさん!」


声だけは届くと信じて、ジェイコは叫び続けた。警官四人がかりでジェイコを押さえつける。ジェイコは服や靴が脱げそうになるくらいもみくちゃにされながら叫んだ。


「僕はあなたの後輩であることを誇りに思います! あなたを敬愛しています!」


アブマンはただ最後に、一瞥をジェイコに送った。それは優しく微笑む眼差しだった。


「アブマンさん!」


ジェイコの叫びは、結局届かなかった。

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