10. 先輩

 アスコラクは店の奥に山積みにされた木材に目をやった。椅子の部品であったであろう曲線のものから、ほとんど家具の原型をとどめていない、ただの板のような物まであった。「あれは……」とアブマンが言いよどむと、ジェイコがそれを助けるように「そうです」と頷いた。


「僕は貧しく、カンバスにかけるお金がありません。だから、売り物にならなくなった家具の板から、手頃なものを見繕って、ただで分けてもらっているんです」


ジェイコは自分の境遇を誇るかのように言った。確かに、画家の卵なら自分で材料を調達する技術も問われてくるのだろう。どうやら二階の作業所に収まり切らない材料や、その他の粗大ごみは一階の奥の人目につかないところに置いてあったようだ。大学が近い分、ジェイコのような需要もあるのだろう。

ジェイコは今、「僕の家は」ではなく「僕は」と言った。つまりジェイコには家がないことになる。それは自立して一時的に家がないと言うよりも、初めから家族を想定した「家」がないということだ。それだけで、ジェイコが苦学生だということが分かる。そしてそれと同時に、ジェイコが何故このような高級な店に通っていたのかという疑問も解消する。


「ジェイコ」


アブマンは控えめにその名を呼んだ。ジェイコは「いいんです」と笑ってアブマンの心配をはねのけた。


「僕は絵の評価も悪く、クラスの中では落ちこぼれでした。でもそんな僕にアブマンさんは手を差し伸べてくれました。僕の絵を評価して、売り歩いてくれて、貧しい僕にその全額を渡して学費に充てられるようにしてくれました。それでも足りない時には、自身がパン屋で働いてくれて……」

「ジェイコ、私情に走り過ぎだ。お客さんが迷惑しているよ」


アブマンは怒りや照れくささを通り越して呆れ顔だ。どうやらアブマンは自分やジェイコのことについてあまり語りたくないようだ。絵画については終始冗舌だったアブマンが、まるで別人のように口数を減らしている。まるで自らの素性を隠すような態度を、アスコラクは訝しんだ。


「あ、すみません」


慌てて謝るジェイコだったが、シャクヤはその話に感動を覚えたらしかった。


「いい先輩ね」


シャクヤはアブマンとジェイコを交互に見ながら微笑した。二人は顔を赤くしながら鼻や頭を掻いていた。アスコラクは、壊れ、解体中の机を見つめていた。


(大国期の遺産、か)


「シャクヤ、そろそろ宿に戻ろう」

「まあ、もうこんな時間?」

 

 シャクヤは時計を見ずに、夕暮れに沈む街並みを見た。シャクヤが普通の人間として生きていた時代、時計は装飾品の一部であり、王侯貴族たちの物だった。階級社会の底辺に生きてきたシャクヤにとって、時計は馴染みのないものだったのだ。


「では、私共もここで」


アブマンとジェイコは頭を下げて帰って行った。シャクヤは二人にいつまでも「ありがとう」と言って手を振っていた。聞けば、二人とも大学の寮に住んでいるらしい。アスコラクは不意に合点がいった。ジェイコにとって「家」は大学の寮であり、そこで暮らし、自分を認めてくれるアブマンはジェイコにとって初めての「家族」なのだろう。では、アブマンにとってのジェイコはどのような存在なのか、とアスコラクは考える。自分を慕ってくれる後輩はけして不快な存在ではないだろう。ただ、そんな後輩や自分のことを極端に話さないアブマンには、何か裏があるように感じられた。

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