5.チケット

「東の大国では長い間、男尊女卑が続いていましたから」


「困ったものだ」とか「お恥ずかしい」とでもいうように、アブマンは目を伏せてゆるゆると首を振った。エル全土から学生を募っている割には、大学として保守的すぎる印象をアスコラクはもったのだが、何も言わないことにした。


「制服の替えは持っていないか?」

「一着だけ。でも、僕の作業着ですから、汚いですよ」

「構わない。貸してくれ」


ジェイコがちらりとアブマンを見ると、アブマンは首肯する。ジェイコはあまり気のりしないながらも、肩掛けバッグから一着の制服を取り出した。確かに絵具がいたるところに飛んでいて、シミになっている。ボタンも取れかけ、裾は擦り切れている。単純に汚れているというよりも、長年使いこまれたという風情があった。


「美術館は誰でも入れますよ。それに制服を着たところで大学には……」

「少し、待っていてくれ」


アスコラクはジェイコの心配をよそに、路地裏に入った。人の目がないことを確認し、瞳を閉じて息を吐く。アスコラクの輪郭がぶれて、男性へと変じた。アスコラクはその存在自体が異端だ。首狩りをおこなうということや、天使でありながら別人格の悪魔と体を共有しているという点においてもそうだ。普段は天使のアスコラクが女、悪魔のアスコラクが男の性をとっている。そもそも男女の性や人間の分類を超越したところに天使はいるのだが、アスコラクに関してはそれを体現したような存在だった。今のアスコラクの変化は天使のアスコラクが悪魔のアスコラクになったわけではない。天使のアスコラクが男になったのだ。

 男になったアスコラクを見て、呆けているアブマンとジェイコをよそに、アスコラクはジェイコの手から制服をさらうように手に取って服の上から制服に袖を通した。黒い上下に銀の留め具がついている。そして大ぶりのボタンもついていた。下に私服を着てその上から着るのが本来の着方らしく、下はスカートのようになっていた。シャクヤは見慣れた光景であったが、いつも白い服を着ている天使のアスコラクが黒い服を着ているのが新鮮だった。ジェイコは口を開けてぽかんとしていた。アブマンは「これは驚いた」と言って苦笑している。


「では、借りていくぞ」


戻ってきたアスコラクを、アブマンとジェイコは不躾なほどまじまじと見て、二人で顔を見合わせ、考え込んだような顔つきになる。アスコラクはそれを無視するように、「行くぞ」と言って通りを歩いていく。シャクヤも笑いをこらえながらそのすぐ後ろを行く。シャクヤはアスコラクが一人分の入場券を惜しんだわけではないことをすぐに理解した。アスコラクはこの後、二人が通う大学に潜入する予定を立てたのだと気付いたが、何も言わないことにした。アブマンとジェイコの二人はふと我に返り、すぐに二人を追いかけた。シャクヤとアスコラクはもう三〇〇〇年以上の付き合いだ。アスコラクがしようとしていることは、シャクヤには筒抜けだった。

四人で入場券売り場人並び、ジェイコが小銭の入った麻袋をあさっていると、横からアブマンが割り込んできてシャクヤ分の入場料を払った。


「アブマンさん、ここは僕が」

「いいんだよ、ジェイコ。二人をエスコートしようと言ったのは僕なんだから」


アブマンはそう言って一人分の入場券を受け取り、シャクヤに渡した。


「まあ、ありがとう」


シャクヤは素直にアブマンから入場券を貰った。少し厚めの薄緑の紙に、今日の日付と番号が書いてあった。これならばこの入場券は当日しか使えない。それに、番号が通し番号なら来館者数も同時にカウントできる。よく考えられた制度があることに、シャクヤは驚いていた。

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