3.案内人
クランデーロはそう口早に言って踵を返した。そんなクランデーロの前に、二人の青年が立ちふさがった。
「女性二人のエスコートを無下にするなんて、紳士の行いに反しますね」
眼鏡を掛けて黒い髪の毛を束ねた青年は、女性のような顔立ちをしていた。肩幅さえなければ、女性と見間違えただろう。眼鏡が必需品なのか、眼鏡に紐をつけていた。
「よろしければ、私たちが案内しますよ」
青年は柔和な表情を浮かべた。手慣れている、とアスコラクはシャクヤをかばう。現在のマスは、一大観光地として有名になっている。それを加味すれば、青年が明らかに初めてのマスハに浮足立っているシャクヤを、放っておけないことも分かる。しかし、アスコラクはこの青年が何故か気にくわなかった。
「私はアブマンと申します。そしてこちらが……」
アブマンの後ろに隠れるようにしていた背の低い青年は、「ジェイコです」と自己紹介した。ジェイコは緊張した面持ちで、一礼した。アブマンが黒髪で黒い双眸をしているのに対して、ジェイコはくすんだ金髪に青い目、顔にはそばかすが目立つ。アブマンの方が背が高く、堂々としているのに対して、ジェイコは背が低く、そのせいか卑屈に見える。まるでジェイコがアブマンの引き立て役になっている印象を与える。そしてジェイコはマスハの出自であるのに対して、アブマンはマスハ以外の出自であるということに気付く。
「まあ、本当? 案内してくださるの? 嬉しい。私はシャクヤ。よろしくね。この人がクランデーロ。そしてこの人が」
シャクヤがアスコラクを追いやって、アブマンとジェイコと軽く握手する。
「シャクヤ」
アスコラクはシャクヤを、今度こそ苛立ってたしなめた。アスコラクは面倒事や標的以外の人物とかかわるのがあまり好きではない。
「いいじゃない。二人に失礼だわ」
シャクヤは口をとげて反論する。こうした行為は、シャクヤを本当に無垢な幼女に見せる。
「そういう問題ではない」
「分かったわよ」
首を振るアスコラクに、シャクヤは口をとげたままうなずいた。
「シャクヤ」
「はい」
「私たちでしたら、構いませんよ」
見かねたアブマンが助け船を出してくれる。アスコラクはそこにおとなしく乗ることにした。シャクヤと一緒だとアスコラクのペースが乱れがちだ。アスコラクの耳の後ろに隠れている蝶が、笑いをこらえている。
「フェルズ=ジェムールキを見られる美術館ならこちらですよ」
「フェルズ?」
その名前に反応したのは、クランデーロだった。はじかれたように顔を上げ、双眸は見開かれ、頬は上気している。ジェイコはその反応に「無知」を読み取ったらしく、嫌そうな顔をした。何も知らない観光客が、歴史ロマンだとかミステリーだとか勝手なことを言って、絵の本質を見ようとしない態度が、地元の美術大学の学生には不快だったのだ。
「正式名は『時の女王‐カーミュ・デ・コーメニ』ですが、数年前の事件以来、フェルズ=ジェムールキが外国人には有名になってしまいました」
アブマンも何かの間違いを訂正するように言った。
「事件?」
そう聞き返したアスコラクに、アブマンは心底意外そうな顔をした。
「ご存じなくいらっしゃったのですか?」
「ああ」
「時の女王、つまりフェルズに生きた人間が、石にされてしまうという事件ですよ」
アブマンは笑顔で恐ろしいことを口にする。
「石に?」
口を手で覆ったシャクヤが青い顔をするのを見て、アブマンは声を立てて笑った。
「尾ひれがついてそんな噂になりました。でも臆病な人の狂言に決まっていますよ。確かに一時期は時の女王を目にした人々が、こん睡するということがありました。しかし私の見立てでは、噂による先入観がもたらした幻覚と眠気ですよ。だって、深夜にしか事件は起きていないんです。人は眠気が溜まると、幻覚を見やすいんですよ」
隣のジェイコが必死にうなづく。
「なるほど。しかし、女性の青ざめた顔を見るのも、紳士の行いか?」
アスコラクは少し批判めいた口調になった。それはアスコラクにとって珍しいことだった。このアブマンの冗談に気分を害したのがシャクヤでなかったら、ここまで言うことはなかったのだろう。
「いえ、すみません」
アブマンが頭を下げたのを見て、ジェイコも慌てて頭を下げる。
「いいのよ。気にしないで。教えてくれてありがとう」
シャクヤは笑いながら言ったが、無理をしているのは明らかだった。
アブマンは今度は目を細め、優しい声音で重ねて「時の女王」の解説をした。ジェイコはそんなアブマンを目を輝かせて見つめていた。クランデーロは全身に汗をかきはじめた。今やクランデーロの前身は心音に支配されていた。
(まさか)
クランデーロはその話を聞くや否や、エル国立美術館に目指して足早に去って行った。アスコラクは自分の耳の後ろに隠れていた蝶に、小声で命じた。
「奴を監視しろ」
「了解」
そう答えると、薄紅色の蝶はクランデーロの後を追った。
「では、私たちはゆっくり参りましょうか」
アブマンは自分の失態を取り戻すかのように、微笑んで道を示した。
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