2.旧都

 マスハの大きな広場から東の大通りを行く。案内板には「大学通り」とあった。そこには、様々な店が軒を連ねていた。どの店も赤レンガで壁が統一されており、店の出入り口には二大大国期の名残である商業者マークが、おしゃれにデザインされて掲げられていた。アンティークの家具屋に、画材屋、洋服店。街は活気に満ちていた。その喧騒の中を、長く波打つ黒髪の女がどこか落ち着かない様子で歩いていく。灰色の双眸はきょろきょろとして定まらない。時々、黒の上下を着た若者とすれ違う。その服を着ているのは青年だけだということにアスコラクは気付いていたが、気にも留めていなかった。


「信じられない。ここが本当に東の国だなんて」


女は周囲を見回しながら、呆然と呟いた。その女のすぐ隣を、銀髪の女が歩いていた。黒髪の女の豊満な体からは色香が漂う。一方、銀髪の女は全く色気というものは感じさせず、固く冷たい空気を身にまとっていた。そんな印象の異なる二人の美女の後ろには、一人の白髪交じりの猫背の老人がゆっくりと歩いて来ていた。


「まるで噂に聞く西の街のよう」


黒髪の女は、石畳を足でなぞり、色彩豊かな店の壁に触れた。シャクヤが生前見たのは、夜の暗闇に沈むマスハの町並みだった。だから、こんなにもマスハが美しいことに驚いていたのだ。ただ、石でできたものであっても、人が長年使えばすり減るだろうし、この街を築いた女王が処刑されたことに伴い、首都も移された。女王の息子の治世となったが、間もなく東が敗北する形で東西二大大国期が終わりを告げている。敗戦国の旧都ということもあり、荒廃した時期もあっただろうが、よく修繕され、保存状態も良好だ。この町の人々がこの街を大切にしてきた証だ。唯一大きく変わったのは、街路樹だった。かつての街路樹は巡礼者や貧しい者のために、可食の実のなる木が植えてあったが、今はない。現在は観賞用の花や紅葉を楽しむための物に変わっている。


「シャクヤ」


銀髪の女は自分の前を行く女の名前を呼んだ。シャクヤは濡れたような黒髪を揺らして振り返った。シャクヤはこのマスハの町を築いた女王の実の姉である。しかしシャクヤは女王のことを常に気にかけていたのに対して、妹の女王はシャクヤの存在を知らない。それでいいのだ、とシャクヤは思う。シャクヤは約三000年前、女王の身代わりになって「魔女」として処刑されるところを、守護天使であるアスコラクに首を狩られることで救われ、今に至る。


「あら、ごめんなさい。うるさかったかしら?」


いや、と銀髪の女は首を振った。シャクヤはこの東の国の出身だ。しかし彼女が銀髪の女・アスコラクに首を刈られたときには、彼女自身も彼女がいた場所も、もっと暗い印象しかなかった。アスコラクは今は人間の姿をしているが、実は天使である。しかも「首狩天使」という唯一無二の存在だ。天の命を受け、天に仇名す存在を罰する。アスコラクに首を狩られた人々は、アスコラクの従者として労働の義務を負うことになっている。

 そんな二人の後ろから歩いてくる猫背の老人は、顔を上げて眩しそうに青空を見上げた。老人の肌は浅黒く、頬骨が出っ張っている。この老人もまた、腰の部分でしぼられた黒いワンピースを着ているため、この街に一番なじんでいる。ただし、この黒い服を着てるのは皆、若い男だけだったので、数人はすれ違いざまに老人を訝しげに振り返った。


「ここは一代きり、西の街を模して造られたからな。他の東の土地と違っていて当然だ」


老人・クランデーロは愛惜を感じていた。クランデーロは西の大国において「西の蛇」と呼ばれるほどの呪医師だった。それももう、三000年前の話である。クランデーロは自らに術を施し、半不死となり、三000年を生きてきたのだ。そのためアスコラクに首を狩られ、今に至る。三〇〇〇年の間、西の国を渡り歩いてきたクランデーロだが、東の国にも何か関係しているのだろうか。


「詳しいのか?」


アスコラクはクランデーロを責めるように言った。このクランデーロがアスコラクの首狩りに同行を申し込んでくるのは珍しい事だった。何か他に目的があったのではと、アスコラクは不審に思っていた。


「少々な」


アスコラクに目を合わせることなく答えたクランデーロの言葉には、わずかに自嘲の色が浮かんでいた。アスコラクはそんなクランデーロをにらんだ。そんな剣呑な二人のやり取りを気にも留めず、シャクヤは目を輝かせた。少しでもこの街のことが知りたいシャクヤは、クランデーロの前で両手を組んだ。


「まあ、少しだけでもご教示下さいます?」


クランデーロは面倒だと言いたげにため息をついてそっぽを向いた。シャクヤは、クランデーロにとって忌むべき存在だった。顔はクランデーロの師に似ているのに、全く性格は似ていない。しかも元高級娼婦だったと言うではないか。ただそれだけで、クランデーロはシャクヤが憎くて仕方がなかった。クランデーロの師は、穢れを知らない唯一無二の孤高の存在。シャクヤはそれを穢していると思えた。シャクヤは師の身代わりとなり、アスコラクに仕える身となったことは、重々承知している。もしもシャクヤが身代わりにならなければ、師とクランデーロは出会うことはなかった。だから、憎いと思う一方で、恩人であることには変わりがない。だからクランデーロは、なるべくシャクヤを無視していたかった。心の隅にも、視界の隅にも入れたくない。いっそいなくなってくれればいいが、アスコラクが許さないだろう。だからクランデーロは、ここで店の窓から時計を確認したのだ。そして顔を歪めて焦燥をあらわにした。



「悪いが、わしは別行動をとらせてもらうよ」

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