16話目 Cauchy Stress

「危なかったな.危うく馬鹿な先輩認定される所だった」


 何故やったのかと言われれば勢いでやってしまったと言うしかないのだが.


「でも,先輩も片棒担いでるからバラされることは無いだろう」


 夏さんを残して来てしまった事は不安だが,本人も色々やらかしているのでバラされないだろうと思う.

というか大学の関係者でもないのにこれだけ自由勝手に施設を利用していることがバレたら面倒な事になりそうだ.


 個性的なコーヒー屋から大学への道は入り組んだものではなく,基本的に真っ直ぐ.一回だけ左折して勝鬨橋を渡り,また真っ直ぐ行ったところに大学がある.普段なら歩いて15分くらいなものだ.


 普段なら築地というだけあってガタイがいいおじさん,一眼レフを持った背の高い外国人観光客が多く,若い人の割合は少ないが大体大学生だ.


 築地が近いので三船工業大学の生徒でもここでバイトをしている者も結構いたりする.

 魚屋でバイトをする大学生は普通珍しい者だが元々男が7,8割を占めている大学なので特に浮く事はない.


 今日は祭りという事で,いつもの5倍くらいの人が築地に集まって来ていた.昔,祭りを始めた人達もここまで大規模になるとは思いもよらなかっただろう.


 祭りが数日間続くという事で既に周囲のホテルに空きは無く,従業員やオーナー嬉しい悲鳴を上げている.コンビニからは酒やジュースなどの飲み物,おにぎりやタコわさなどのおつまみや食料品が消える.


 酒まつり,という名前が付いているが何も酒しかない事はない.格安で居酒屋で飲めたり,世界の名酒が試飲出来たりと言ったように酒に因んだ物もあるが.

 他にも4日間で大学で催し物や商店街で出店など沢山楽しみ要素はある.中でも最も見応えのあるのは桜だ.


 築地周辺の道は等間隔で植えられている桜で満開.桜の品種も全て同じという事は無く,ソメイヨシノや枝垂れ桜,八重桜と言ったような種類が10種類くらい植えられていて,道を歩いて行くと花の色や木の幹の模様,枝の生え方などの違いが楽しめる様になっている.


 同じ種類の桜でも木の生え方や高さ,幹の太さが違うので飽きるはずもない.


 日光の杉並もとても有名で30キロ程続くらしいが,この桜並木はそこまでの長さはない.しかしそれでも5キロくらいはある.

 人混みが多い中,4日に分けて丁度全て見切れるだろう.


 空を文字通り覆い尽くし,天に擦れてしまいそうな程の壮大な光景である.これぞ日本.ここに極まれり.と行った感覚を,普段自分が日本人という事を意識していない者にも与える.

ここまで見応えがある桜は日本にいくつもないだろう.


 宮崎が学校に着くとお好み焼き屋やベビーカステラなどの屋台やサークルの出し物などで賑わっていた.中には青色の実行委員のTシャツを着ている人が動きまわっていた.


 祭り自体は午後1時から開始なのでまだ3時間くらいは余裕がある.


 宮崎は今年できた新しい棟の3階までエレベーターで行き,『会議室2』と書かれた部屋まで向かう.


「おーっす」

「十郎じゃん.珍しい.てっきり遅刻するんだと思ってた.お前を呼びに行くためだけに人員を割く予定だったよ」

「今日は流石に遅刻出来ないわ.ただの授業ならまあ遅刻したかもしれんけど」

「ただの授業でも遅刻しちゃダメでしょ...そんなんだから成績が可哀想な事になるのさ」

「可哀想言うな.しっかしここまで来るのは大変だったぞ.人ごみは凄いし」

「それはそうでしょ.駅からここまで30分くらいかかるだろうね」

「桜も植わりすぎだろ.2本とかでいいだろ.あんなにあったら飽きてくるわ.でもまだ喧嘩とか問題は怒ってなかったから良かったけど」

「開催校の人間が言っちゃいけないでしょ...あの桜も元々はこの学校の人達が植えたらしいし」


 俺と会話をしつつも体を動かしながら後輩達に指で指示を出していく.


「何だか忙しそうだな.そういう準備は前日にやっておいた方が良かったんじゃないのか?」

「分かってないなあ.スピーカーとか高価なものを前日に設置できるわけないでしょ.盗られたらどうすんのさ」

「そんな暇なやついないだろ」

「十郎の地元とは訳が違うんだよ.だって人より動物の方が多いんだろ?」

「失礼なやつだな!まあそうかもしれないが」

「そろそろ東京に慣れて来ても良いんじゃない?未だにビルを見上げる癖はどうにかならないかな.一緒にいてちょっと恥ずかしいんだけど」

「そりゃ見るだろ.あんな高い建物ポコポコ建てられるから面白いよな」


 あはは.と笑いながら答える.


「にしてもお前が一番忙しいんじゃないか?他の連中よりよっぽど汗かいて動いてるな」

「そりゃこれでも大舞台部門の長だからね.困ったら委員長に聞けば解決するっていう安心?っていうか甘え?もあるからさ.落ち着いて動けるよ.今のところ問題は起こってないからね」

「そりゃまだ始まってもいないからな」

「そうだね.それにエアコンが無いのが大変だね」


 大学の敷地内に今回新しくL字を左右逆さにした棟(教室棟)が建設されたのだ.そこで現在,新旧の校舎は向き合う様に建っている.しかし新しく教室棟を建てたはいいが問題が発生した.


 どういう訳なのか完成した後になって〔あれ?空調設備整ってなくね?〕という欠陥,もとい初歩的なミスが露呈したのだ.大学の運営陣,建設業者,大工の誰一人としてこの事に気がつく者は皆無であった.


「お前達せいだ!なんで注意してくれなかったんだ!」

「うるせー!てめーらが忘れてたんだろ!このはげ!」


 明らかに大学側が悪いのだがこのミスを業者のせいにしたことで,当事者同士の殴り合いまでに発展した.最終的にこの戦は大学側の勝利で幕を引いた.

 建設業者や大工の方が印象的には強そうだが,不思議なことにこの大学の教師陣は武闘派揃いだった.学長を除いて.

 学長は両者の仲裁に入った所を集中的に狙われて全治2ヶ月のケガを負ったことは学生達の耳に新しい.勝利はしたが,大将たる学長がやられた.大学側からすれば試合に勝って勝負に負けるとはまさにこの事だ.因みに乱闘に当り,どちらが勝利するかで賭けが行われたりした.


 普通に考えて色々と有り得ないハナシだ.しかしそんなハナシが真実だったり嘘だったりするのが三船工業大学のある意味特徴でもあった.


 教師も学生も少々元気が良すぎる大学ではあるが,政府からの支援金が途絶えないのは素直に実力があるからである.

 大学としては上から数えた方がずっと早い.推薦入試やAO入試を一切受け付けず,入学する方法は一般入試のみ.この受験制度は開校以来一度たりとも変わった事はない.


 何故,これ程頭の固い方法しか採らないのか,もっと入学方法を増やせという苦情が外部から多数寄せられた事があった.

 その時,学長はこう答えたらしい.


「勉強ではなく他の事に研鑽を積んでいる人も多くいるだろうが,ここは工業大学である.他の事をするにしても基礎を知らずして成せる事など何もない」


 学長も決める時は決めるのである.それ以来,受験制度に対して苦情が寄せられる事がずっと減り,世間からは一目置かれる大学となった.


 言っていることは正しいが入試をくぐり抜けることはやはり大変だ.しかしこの大学の実際の入学者数は募集人数よりもずっと多い.大学の株を上げる要因となったのはここにもあるのだ.


 三船工業大学の教師の人数は多く,学生一人当たりの教員数も他校より倍はある.募集予定人数を大幅に超えていても学校が求める最低限の基準(最低限といっても世間一般からして高水準である事には変わりないのだが)さえあればほぼ受け入れるのだ.今では生徒数が2万人を超えている.

 出来るだけ多くの学生に門を開き可能性を与えたいと言う思いからこの姿勢を貫いている.これも開校以来不変の構えであった.


 入試科目は英語と数学,理科2科目という私立としては最もヘビーなものである.留年制度は学年を上がる毎に設けられていて,その条件も厳しい.


 バカをやりつつも,やるときゃやる.


 この姿勢を貫く様は規制が厳しくなったこのご時世で一際異彩を放つ.倍率自体も同じ偏差値帯の大学と比較しても2倍以上という驚異の数値を叩き出していた.


 中には遊びに傾注してしまったが為に進級できずに留年してしまう人もまあまあいる.宮崎もそうなりかけていた.


「さあ,今日の日程の確認だけど...」


 宮崎も出番が近いからか,いつもより多少真剣に蓮馨寺の話を聞き始めるのだった.

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Blueberry Strawberry ナビえ @Naiver

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