十五話目 華
「ほら行くよ,けむりん」
教室にはまだ生徒が半分くらい残っているが,熟睡している者はただ一人.一番窓際の前列の席で腕を枕にしてうつ伏せで寝ている.髪は黒い長髪,一本に結わいてある.
陸奥が寝ている女子生徒を突く.すると,ムクッと顔だけ上げる.
「...質問終わった?」
「ヨダレを拭きなさい.見っともないですよ」
サッとポケットから白いハンカチを差し出す.
「...どうも」
「構いませんよ.もう質問は終わりました.すいませんね,待たせてしまって」
「別にいいよ.いつもの事だし.私もソフィにテスト前にお世話になってるしね.ふわぁ〜あ,相も変わらず眠い...」
「刹那,また筋肉ついて来たんじゃない?」
「やっぱり?何とか細くならないかな...」
毎日の様に目にしていては些細な変化は分からないというが三七はその逆で観察眼には定評があった.
女子であれば『あんた,胸が大きくなった?』という会話も時々するかも知れない.
側から聞いていればいかにも女子らしいと感じる事だろうがそんな華やかさは無い.
刹那も静かな方だが,筋肉はついては宜よろしくないという感覚は持ち合わせている.
自分で気にしない様に努めていたことを友人に指摘された事で,気のせいではない事が判明してしまった.
「甘いものとかお肉とか一杯食べれば脂肪はつくよね」
「筋肉の上に脂肪まで付いたらもっと線が太くなるよ.筋肉を無くすしかない.でもやっぱり家業がなー」
「またお父さんの手伝い?」
「そう.8月までに仕上げないといけない大仕事がいくつかあるからね.それの手伝い.夢で2尺玉に追いかけられてた.もう少しで爆発して木っ端微塵になる所だったよ」
「いいな〜.そんな愉快な夢見れて」
「陸奥も今日『もう食べられないー』とかずっと言ってたくせに」
「そ,そうだったっけ?」
陸奥はとぼけて口笛を吹く.
「私好きだよ.刹那達が作った花火!一番綺麗で大きいもん」
「...三七,ありがとう」
まだ糸目だが,恥ずかしそうに頬をポリポリかいて礼を言った.
8月といえば夏真っ盛り.夏といえば祭り.祭りといえば花火.
煙屋けむりや家は最近では数も減ってきた花火職人を昔から継いでいる中の一つだ.
実際に働いているのは祖父と父の二人であり,その手伝いをアルバイト兼娘としての義務感でしているのだ.
「大変ですね.はっきりイヤならイヤと言えば良いんですよ」
「...そんなにはっきり言えたら苦労しないよ.それに絶対手伝いたくないワケじゃないし」
「あなたの兄に手伝わせれば良いのです.全く,妹に家業を任せてどこに行ったのやら」
「私たちが一年の時は,鉄先輩どっかの高校の副会長だったっけ?」
「そうです.当時私は書記として生徒会に参加してましたから,少しは交流があったのですよ.その時から変わってましたね」
「どんな感じで?オネエだったり,空飛んだり目からビーム出したり?」
「それはもう変わってるどころの騒ぎじゃなくなってますよ.そもそも生きてるんですか?」
「兄さんは大間で漁師やってるらしいよ.私宛に知らないメールアドレスから年1で連絡来るからそれで分かる」
「そんなに魚が好きなのかな」
「いやいや,そういう事じゃないでしょ」
「あの人はそういう人.ちょっとした思いつきで行動する癖が...癖というか性格だね...がある.しかも行動力があるからそれをやっちゃうんだよ」
「引きずり出す事は出来ないのですか?今年ばかりは勉強しないといけないのでもっとキツくなりますよ」
「兄さんも兄さんで好きな事やってるのにわざわざ引っ張ってくるのは気がひける.それに妹に任せるわけにもいかない.私がやるしかない」
「そうですか...でも確かに家族は家族で大切ですけど自分のやる事は自分で決めるべきですよ」
「それは理解してる」
今はまだ春休み中なので刹那に回される仕事の量は増えているという事はある.
しかしこれから3年が始まる.アルバイトを続けながら勉強して...なんて事は出来ない.
容量がよければ何とかなるかもしれないが,刹那は違う.
もちろんこのレベルの高校に入学出来る素質を持ち,努力出来る人だ.同じ年齢の人達の平均よりは出来る方だ.
ただ大学入試の難易度は想像を超えてくる.
今の成績と刹那の第一志望校を比べた時にアルバイトを続けていけない事は分かりきっている.
「もうそろそろ決めないといけない事は分かってる.だからもう少し考えさせて」
「急かすつもりもありませんよ.まあ勉強面とかで私達に出来る事なら手伝いますから」
「私も流石に火薬とかは扱えないだろうけど,運搬とかなら前みたいに手伝うからコキ使って!でも勉強面に関してはソフィに刹那だけじゃなくて,私達も世話になってる様な」
「なーに,三七は結構飲み込みが早くてちゃんと努力してくれるので大して手間はかかりませんよ.時々出る怠け癖が凄いですが.問題は残りの2人ですね.本当に理系としてやって行けるのか不安になって来ます」
「...否定できない」
「私が悪いんじゃなくて,こんな難しい問題を強要する教育委員会が悪い!」
「この場合は教育委員会ではなく国だと思うのですが.一週間徹夜コースで平均点取れるまでは引き上げてみせると常々言っているでしょう」
「それは私達に死ねと言っているのと同義では」
「そうだ!そうだ!手加減しろ!甘やかせー!」
「まあまあ.ソフィも冗談で言ってるんだろうし」
「そうですよ.流石に一週間徹夜は嘘です.睡眠不足百害あって一利なしですからね」
この4人の中どころか学年においても3本の指に入るくらいは勉強ができるソフィだ.勉強に対するモチベーションは人一倍高い.
日々の努力も怠ることもなく,勉強する事に対しての苦痛などあるはずも無く,呼吸の様に勉強している.
「よっし,そろそろ祭りに行こうよ」
「そうですね.行ってみましょうか」
「ちょっとお酒に匂いが強い所が有るから注意しないとね」
「あー私も早くお酒が飲めるようになれば良いんですけどね」
ソフィが一人だけ酒そのものに興味を示す.
「もちろんこの容姿なら売ってくれそうですけどね」
「確かに高校3年には見えないからね」
「なんなら国籍も間違えられそうだし」
「...髪型が問題だと思う.似合ってるけど」
「でも,あのお酒の独特の匂いはなんかやだ」
「そうですか?私は香りが漂って来るだけでヨダレが出てきますよ」
「ソフィは絶対高3じゃないよ...」
三七がそう言う.
「私は特にウィスキーに興味がありますね.あの琥珀色も良いんですが香りもどこのウィスキーかで違ってきますからね.ウィスキーで有名なイギリスのアイラ島では煙たい味だったり,特にバリンチといって樽で醸造している最中のウィスキーを試飲させてくれるらしいですが,またそれが格別らしいですね.一応言っておきますが私は飲んだ事ありませんよ.ただの想像ですから」
「ウィスキーに味なんてあるの?」
「あるらしいですよ.日本酒は米、テキーラは竜舌蘭、ラムはサトウキビというようにウィスキーにも原料があるんですよ.それは大麦、ライ麦といった穀物です.それを発芽、乾燥、糖化、発酵、蒸留、熟成と言った6つの手順を踏むことで作られる酒がウィスキーという飲み物なんですよ.最終的には樽に入れらて年月を経て完成します.肝心なのはここで使われる樽にはミズナラオークやシェリー樽,バーボン樽といった種類がある事です.木材になんの木を使用するかによって味が変化してくるらしいですよ」
ソフィが無駄知識を披露する中,三七,陸奥と刹那は感心半分,呆れ半分で聞いていた.
その後,祭りで何を食べるだの,どんな出物があるらしい,有名人の誰々が来るなど情報を出し合って教室を出た.
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