十四話目 頂

三七が自分の担当である舞台裏の掃除を終えて2階の勝を手伝いに行った時はもう丸と陸奥が手伝っていた.


「一文字,遅かったな.いや,舞台裏だからこのくらいかかるか?」

「いや,三七ならもっと早く終わるよ.絶対余計な事に目を囚われてたんだね.例えば落書きとか」

「ぎくっ!そ,そんな事無いよ!意外と物がいっぱいあって退かすのが大変で大変で...それより早く終わらせよう!」


 三七は嘘をつく事に慣れていないので,陸奥が言った一言に相当動揺していた.

 本人は上手く隠しきれたと思い込んでいたが親友の陸奥がその表情を見逃すはずもなく,しばらくニヤニヤとした視線を三七に送っていた.


 その後は4人で掃除を進めたので20分くらいで終わった.


「おっしゃ!これで終わりやな」

「予想より早く終わったね」


 最後に掃除用具を戻して教室に戻る.

 ドアを開けると大体全員揃っていて帰り支度を始めていた.


「よし.全員揃ったな.とりあえず掃除ご苦労さん.これで今日は終了だ」


 全員が帰り支度をして席に着いたのを見計らって伊原が締めに入る.


「ちょうど一週間後の月曜から1学期が始まるからしっかり登校するようになー」


 後一週間で休み終わってしまうのか,と皆の顔が暗くなる.


「と,いう事はそこで2年が終わって3年が始まるわけだが...高校3年の1年間はお前達の人生で最も重要な時期トップ3に絶対入ってくる筈だ.この一年で人生の方向性が決まる奴が多い.勉強しろと本来言うべきなのかも知れないが,俺はそうは言わない.別に体使って土方の仕事をしていきたい奴,散髪屋になりたい奴,盆栽屋になりたい奴,音楽家になりたい奴.とかには勉強なんて必要ないだろ?微積分やカノッサの屈辱とか知ってても技術は一切上達しない.だからお前達のやりたいように過ごしなさい.ただ一言言っておかないといけないのが,勉強が出来た方が,良い大学を出た方が潰しが利く事だ.これは相当大きいぞ.何の努力も勉強もしてない奴が途中からアナウンサーになりたい,研究開発したいとか言っても手遅れだからな.将来やりたい事がきっちりしてる奴はそのまま突っ走れ.だが,無い奴は勉強しろ.人生の一年くらい勉強してもバチは当たらん.自分で考えて一生懸命日々を過ごすこと.以上.終わり.解散!...あ,ちょっと待て!」


 これが最後のHRホームルームだ.

 真面目に勉強の事に言及したが,勉強しろと言わなかった事が伊原らしい.


 勉強のことに言及したので,普段はふざけている全員の表情少し引き締まった.皆この一年が重要だと言うことは十分理解している.

 気を引き締めてこの一年を頑張ろうと再び決意を新たにする.


「知っての通り近くの三船工業大学で”例の祭り"がある.行っても良いが大学生以外にも色んな人達が来てるからトラブルにならないように気をつけるように.っはあ,先生達もお陰で見回りに4日間も駆り出される羽目になっちまった.ったく給料も出ねえのに...まあそういう事だ.今度こそ解散!」


 そう言うが否や伊原はズボンの右ポケットの四角い箱の感触を手で確かめながら教室を出て行こうとする.

 と足早に教室の後ろからササッと一人の生徒が伊原の行く手を阻む.


「またソフィの質問かな」

「この行動も授業が終わるたびにあるから慣れたよ」


 教室の皆も『またか...』的な表情であった.慣れたもので特に気に止める事なく各々が帰り支度や友人と話し始める.


 この今前に行った者こそ晴天高校2年バスケ部副部長,アメリカ人の父とロシア人の母を持つハーフ,ソフィ・ロトカ・ヴォルテラである.学校ではちょっとした有名人だ.母親譲りの金髪,白い肌,父親譲りの脅威の身長182cm.

 この身長の為怖がられることもあるが,その坊主という女子高生には滅多に見られない髪型のせいで余計に驚かれる.三七達は良く連んでいるので感じないが初見の人は威圧感を感じずにはいられないだろう.


「伊原先生,ここの問題なんですがね...」

「げっ!またロトカか」


 伊原先生は170cmくらいなので,黒板の下にある台に乗ってやっとちょっとだけ目線が高くなる.


「伊原先生,毎回『げっ』って言うのやめませんか?」

「お前が持ってくる問題難しくて時間かかるからな.早くタバコ吸いに行きたいんだが」

「伊原先生しか聞けないんです.先生の解説は分かりやすいので.是非ご教授いただけないでしょうか?」


 そういってソフィは伊原に頭を下げる.


「ソフィってやっぱり丁寧な言葉使いだよね.一年の時に会った時はちょっと怖かったけど」

「あの外見で丁寧な言葉使いはダメでしょ?もっと荒々しくて,『てめえ』とか『〜だろ?』っていう言葉使いしないと.見た目と差がありすぎるよ」


 いつも陸奥はソフィ本人にもこう言っているのだが,聞き入れてもらえていない.


「そ,そうか?ま,まあそういう事ならしょうがないな」


 伊原は満更でもない様子で照れながら,頭をかいている.


「先生って言葉使いとか荒っぽいけど意外と純情というか,簡単というか...」

「私の時は全然あんな風じゃないのに,人によって態度を変えるとかなんて薄情な先生なんだ!」

「それは陸奥が毎回毎回宿題忘れやら遅刻やらするからでしょ」


 陸奥とソフィでは全く状況が違うと思わざるを得なかった.


「どれどれ...こりゃセントラルの過去問かな...f(x)=x^4+x^3+px^2でx=1で極値2...と放物線で囲まれた面積を求めなさい...なんだちょいと難しいがロトカなら解けそうなんだが」

「一応答えは出ているんですけど,解答が無かったので先生の答えと照らし合わそうと思いまして」

「そういう事か.責任重大だな」


 そういうと伊原は綺麗になったばっかりの黒板に途中式を書いていく.


「f(x)を微分してx=1を叩き込んで...そうするとpはこれだな.んで,放物線の関数はy=3x^2+6x-2でこいつとの交点が...」


 黒板にはスラスラと曲線とその他の情報が書き込まれていく.しかしまだ時間がかかりそうだ.


「三七,またねー.次も同じクラスになれるといいね」

「陸奥も寝癖直す癖つけてなよー」

「今年も勉強頑張ろうね」


 全員今日が2年最後の日だと言うのにいつもの様に,教室を出て行く.もしくは寂しさを感じつつも,表面に出さないだけか.

三七と陸奥はそれぞれに投げかけられた言葉に返答して行く.


「勝と丸も漫才頑張ってねー」

「おうよ,あったりまえやろ!」

「ういー」


いつも通り勝は元気よく,丸はふわっとした返事を返して教室を出て行く.多分また屋上に行くのだろう.


「なんか全然いつも通りの最後だったね」

「皆アホだから,今日が最後だって知らないんじゃ無い?」

「陸奥じゃないんだからそれはないでしょ」

「よし,多分Dの面積は4π/35じゃないか?」


 陸奥が三七に断固として反対しようとした時,伊原がそう言って問題が解けた事を知らせる.

 だいたい6分くらいで答えが出てきた.


 答えが出たかな?と三七が黒板を再度見ると数分前まで掃除したばかりの綺麗な黒板に左上から綺麗に数式が並べられて右半分の真ん中位まで計算式が書き込まれていた.


「良かったです.私もその答えになりました」

「よっしゃ!もう終わりだよな?もう一問とか無いよな!?」

「大丈夫です.今日はこれで終わりです.有難うございました.黒板は私が消しておきますから先生はお先にどうぞ」

「そ,そうか?そんならお言葉に甘えて行かせて頂きましょうかね.っふう.一仕事終えた後の一服がたまんないんだよなあ.ぴゅ〜ぴゅ〜,ぴゅっぴゅ〜」


 ペッタペッタ,とサンダルの音を残して教室から足早に出て行った.

 問題が解けた事,質問から解放された事でご機嫌だった.口笛まで吹いて至福の時間を過ごしに行った.


「すいません.三七,陸奥,お待たせしました.さあ,そこで寝ている千紗を叩き起こしてバカな祭りに行きましょう」


 此方もずっと気がかりだった答えが知れて晴れやかな笑顔を浮かべていた.

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