第6話 赤い蕾――誰もその名を知らない



 ここで、私は追憶の夢を閉じる。

 記憶の頁が捲れるのも仕方ないことでしょう。あの時と同じ鮮血の花びら舞う、この空間であれば。

 食糧危機。つまり人類の総数が足りず、血液の供給が足りない今。

 過激派はついにテロ組織とも言える程で、管理体制を敷いていた穏健派の私達に対して一斉攻撃を仕掛けることとなりました。無論、それで全ての穏健派吸血鬼を殺す、なんてことは考えていなかったでしょう。

 が、殺して奪うのはアレら外道の考える当たり前。献身というものを知らぬ痴れ者たちです。だから、こんな状況を自分たちが起こしたのに、まるで思考が追いついていない。

 穏健派の長老や企業のトップたちが集ったこのビルの会議室に、私こと、ユメとその執事二人しかいない――いえ、突入した時にはもうこの三人しか生き残っていないという惨劇に、唖然としている。

「困りました。私は愚かな少女だというのに、しっかりと考えられる皆様がそのような顔をされては」

 考えれば判るのだ。

「私に全ての責任を押し付けて、逃げようとした長老や各企業のトップたち……でも、責任って、つまり権利を伴うんですよね? きっと私一人を花と散らせて、始祖の血筋の少女を犠牲に反乱を一時的に止めようとしたのでしょうけれど」

 そんなの御免こうむります。

 私は愛に殉じるだけの赤い花なのですから。

「――全ての権利を失ったのですから、花びらと散るのはどちらなのか。その辺り、全く考えられてなかったようです。それでこの有様です。赤い花びらばかりが散る花園で、私はこうして溜息をつくのですよ。これから、どうすればいいのでしょう?」

 事実、私達で全て殺しつくした者たちの残骸が転がり、天井からは飛び散った血液が雨のように、いいえ、時間が立ち粘性をもったせいで本当に花吹雪のように、強い空調の流れに舞う会議室です。

 だからと、私は胸の前で両手を合わせる。

 本当にいいことを思いついたのですから、多少はしたなくても仕方ないですよね?

「ああ、でもとてもいいですね。ここは会議室です。皆さんは現状を変えようとして集まられたのですから、どうぞ、ご意見を述べてくださいまし」

 といえど、この場で恐怖を感じないのは、二十人ほどで雪崩れ込んできたのに、たった三人。殿方とはその程度ですか、と溜息をつけば、口元を抑えて蹲るものもいる。

 吐瀉物。でも、剣で跳ね飛ばされた生首へとそれをかけたことに、そして『死』を味わい、その色彩だけに染まった眼を見た瞬間に悲鳴を上げる情けない方。

 そうでないのは三人。

 私のような枝葉ではなく、本物の始祖――外法種を統べながら、美しいものしか興味を持たないうっすらと青みがかった銀色のひと。

 着込んだ白いコートの裾に血がついたのが少し気に入らないようで、溜息をつかれています。

 もう一人は紫の瞳をした、白髪の男性。この状況を俯瞰するのはまるで盤上の外から次なる一手を模索するチェスのマイスターのよう。ただ、ご自分の命もその盤の上だと気づいているのでしょうから、性質が悪い。

 そして、黒い髪に黒い瞳。羽織ったジャケットでは隠しきれない、均整の取れた肉体美をみせつけるかのような――愉快犯。

「はっ。どうやら頭ん中お花畑らしいな。そんなのに全て潰される管理派の奴等も奴等か。ま、せいぜい夢見てな。どうせ、こんな有様を美しいお花畑だと想っているのだろう?」

 それ以外にどう取れと、どう見ればそれ以外に見えるのでしょうかと肩をすくめつつ、私は微笑んで返す。

「ええ、ええ。私はどうやら頭の中がお花畑のようでして、今の状況に対する妙案のひとつ思いつかないのです。……でも、あなたもごく当然のことを忘れていますよ?」

 くすくすと笑う私の緋色の瞳と、黒い瞳が交差する

 瞬間、男は確かに怯んだ。なぜでしょう。私の持つ棘は、そんなに怖いのでしょうか。

 より一層、困惑を隠すためだけに笑みを深めて、静かに唇を動かす。

「私達の中身は全て、真っ赤な花びら。腹を咲けど胸を貫けど、首を飛ばせど咲き誇るは真紅の仇花だけです」

「違いねぇ」

 くっくっと笑う男は、この時点で身を引いた。

 それは私と対立する意思を失ったのではなく、真正面からやっても無意味だと知っただけだ。私に何を言っても、この手の愉快犯は私に感情や思惑を伝えられないし、内面にさざなみさえ起こせない。それが不死者の悲しさだと私は誰より深く知っている。

 未だに、抱えた南天の重さは増すばかりなのだから。

 けれど、どうやらそれを不快に思ったのが私の信をおく従者だった。

「控えなさい。見たところ、ノーブルクラスの実力はあっても所詮は異形種。スレイヴの血筋でユメ様に謁見できるこの事態を称えるのみです。ここに座されるは――」

 私でも覚えきれない、ミドルネームを読み上げていく私のバトラー。先の責任と権利の委譲で穏健派と管理派の持つ全ての役職、権威、地位、それを現す名をもらってしまったのだから五分かけてもとまらない。

 ただその間に二十人はいた過激派も、現実を知って恐怖を増す。

 何より、磨き上げられた鋼のような、冷たく綺麗な灰色の声が心を刺す。感情を切り裂いて現実だけを突きつける。彼は私の従者、吸血鬼世界最強の剣士。

 会議室から立ち去ろうとするものもいる始末。何とか自分だけは逃げよう、などと考えているのでしょうが、ここに立ち入れば一蓮托生です。

「もうよいですよ。控えない、セラフィ」

 整った顔を一瞬強張らせ、私のバトラーたるセラフィは後ろへと下がる。確かに主より前に出過ぎた、が、ここで謝罪するのは執事として主の権力を貶す行為、とでもとらえているのでしょう。愛いです。この優男は。美麗でありながら出過ぎない。俗な気質のせいで、外見以上の美しさを感じさせられない。

 そういう意味でもよいバトラーなのがこのセラフィ。

 左腕が肩の付け根から切り落とされ、燕尾服はじっとりと赤黒く塗れて、腰に吊るした剣など柄も真っ赤。ところどころ、衣服といわず肌に再生しきれない傷も負っている。

 そういうごく普通に対して、余りにも苛烈な冷気が吹きかけた。

 それこそ、自分を染める血液が美しくないと。泥水は嫌だが赤い氷はまた一興かもしれないと、僅かな期待をにじませて。

 白銀の始祖は、ついに唇を開く。

「ここに集まっていたのは、それこそ相応のノーブルたち。私のように始祖はいないと記憶していますが、身体能力、異能、共に最高水準……であるはず」

「然り」

「腕一本で? 或いは、あなたの主と共に、これを? まあ、いいでしょう。下手に争えば、あなたたちを討つのも相当に疲れますね」

「あなたの首も飛ぶでしょうしね」

「その前に氷にして砕いてさしあげましょう。セラフィでしたか。あなた、匂うのですよ。ひどく俗です。そんなものを氷の彫像と私のコレクション加える気も起きない」

「それは幸い。つまり、争う気はないのですね。氷の始祖さま? 決して燃えず解けず、七日の始祖の争いを生き残った、頑ななるあなた」

「昔の話です。ただ、今も同じですよ。私の興味は、あなたにはない」

「けれど、彼らよりは、今の私の方があなたへの興味を持つものを渡せますよ」

 くすりと笑った瞬間、文字通り場が波打つ。

 始祖を抱え込んだから、過激派はここまでこられた。

 だが、ここに来て話は変わる。ノーブルの中でも最上位である私達三人が、氷の始祖を逆に味方につければどうなるか。少なくとも、この始祖は自分の好きな、曰く、美しいと思うものや愛おしいと思うものにしか目がいかない。他は些事だ。何しろ、呼吸をするような軽やかさで全てが凍てつく。

 動くコキュートス。それが、この外法の吸血鬼の始祖。

「ナナカマド、なる話を今度致しましょう。私とは美しいもの、愛でるという意味では同志ではあるかと」

「いいえ。あなたとは美しさの価値観が致命的にずれている様子ですね」

「ええ、私は散り際こそを美しいと思う――何しろ、花園の手入れが趣味ですからね。散るそのときを心待ちにして、剪定の鋏を自らいれるのですよ?」

 ああ、だから。

「……あなたが求めるものを、相容れない私だから渡せる。どういうものがよいか判る感性があり、そして、私はソレに執着しない」

 それに対して、氷の始祖は笑ったのだろうか。

 瞼を伏せた。

 が、それで十分だ。黒い男はやれやれと頭をかき、白銀のマイスターは最初から物理的に戦っても勝算がないため、スティールメイトとなった今を喜んでいる。

 ……誰も彼も、私の愛、俺の愛、統べて唯我。

 汚らわしいですね?

 この私も含めて。

「さて、ここで争っても益はないとわかって頂けたはず。そもそも、吸血鬼同士で争っては、食糧危機が更に加速するというもの。もはやこれは共食いではありませんか」

「違いない」

 私はくすくすと笑い、黒い男はにやにやと煽るように口元をゆがめる。

 もうここまで来れば判るはずだと。

「そして、残念なことに私はそこの黒い殿方が言ったように頭の中がお花畑でいい考えなど浮かびません。このままでは食糧危機が加速して私達は飢え死にです。お花畑な少女が全ての権利を得てしまったのですからね。でも、私はここでいいことを思いついたんです。流石、頭がお花畑なら、お花畑の中では頭が冴えるのですね」

「だ、か、ら?」

「ここは会議室です。そして、皆様はラウンジ……円卓というものをご存知でしょうか?」」

 広い会議室。その席のひとつに私は座り、左右に執事がつく。

「席は全てで七つ。いえいえ、円卓の騎士のように十三、などしてしまえば裏切り者が出てしまう。あくまでこの私を、赤い花の少女を助ける為、率いてはそれが吸血鬼社会のためだと、お知恵をお貸しください。私達が所有する席は三つ、私と、このセラフィと、カジに。……困ったことに知恵の回りそうな方は、花びらになってそのあたりに広がってますからね」

 くすくすと口元を隠して笑えば、黒と銀が言い合う。氷は無言です。

「……おい」

「言うな。本気で頭がお花畑で話にならん。話にならん奴が物理的にも、社会的にも力を得ているという馬鹿げた状態だ。……乗るしかないだろう」

 そういいあい、嘆息して肩を竦める二人に私は眉を潜める。

「まあ、何を失敬な。それで、そちらにも席は三つ。合議制を取り、票の多かった意見を採用する、という形をこれからは取りたいと思います。穏健派と過激派、共に三表ずつ。ですよね?」

「ははっ。加えていえば、お前の執事たちも自分が生き残るためならお前を裏切る可能性がなきにしもあらずって訳だ。そして俺たちも、俺たち同士で裏切ると」

「何をおっしゃいますか。裏切りなど発生しませんよ。私達は全て吸血鬼の社会の為、意見を出し合うだけです。これに対する裏切り者など、吸血鬼を全て滅ぼそうとする輩になるではありませんか」

「――狂ってやがる」

 囁きは、聞こえるかどうかという程度。セラフィが剣を抜きかけたものの、手で制して座らせる。

「そして、最後の一席ですが、こちらにはとても良い考えが浮かんだです。あなたたちを向かえ討って全滅させてしまえばよい、と考えていたのですが、そんなものより、こちらの方がよいでしょうと」

 そう、私は狂っている。らしい。

 だからどうしたというのでしょう。ただ目的の為、喪った愛の為にただ一途に走る少女の夢が、どうしていびつなのでしょう?

 そもそも、狂っているのは吸血鬼。生命として成立していないのが吸血鬼。元を正せば吸血鬼が全て悪く、私は癌細胞だっただけということ。アポトーシスの考えは、自滅の促進でしかないのですから。

「……昔、人間はダイ……トウリョウ? などと、人気で自分たちの代表やトップを投票で決めていたそうです。ですので、私達もそれを真似まして、人間牧場よろしく人間保護施設から人気投票で代表者を決めて、最後の第七席に座らせましょう」

 そこで私はぱちんっ、と両の手を合わせる。

 だって、それ位に素敵な案ですから。吸血鬼の話し合いに人間を混ぜるだとか、更にお花畑がいっちゃってロートスの麻薬中毒者か、という視線を送られましたが、愛って麻薬ですよね?

 知らない――なら、教えてあげるだけ。

 忘れている? 

 即座にその甘さを思い出させて、窒息死させてあげる。


「だって、人間って死ぬ間際には凄い身体能力が上がりますし、生き残るためには必死で知恵を絞るんです。脆弱ですからね。か弱いのです。瀬戸際に、残る寿命を全て燃やし尽くしてでも生き残ろうとする力を舐めてはいけません。だから、ね」

 

 それは私達にない力だと、指を鳴らす。

「お入りなさい。第一番目の代表者。何、役に立たなければ即座に死ぬだけ。そもそも、こんな環境で同じ席に座って、まともな精神保てます? 無理ですよね? 無理だから、私達では考え付かない思考と発案を発狂しながら出してくれる」

 そう、この私が愛に狂ったように。

「――生きたければ、新しい花をこそ、この闇の中で咲かせなさい?」

 震える青年。席に座る。皆座る。

 そこで初めて気づくでしょう。座る席が私の異能で誘導されていたことを。つまり、私の能力は空間支配系のものだと。

 氷の使徒がその程度かと溜息をついたのは、むしろ逆。氷が求めるものを、私が座らせた席の下に隠していたから。

 黒も銀も同じ。なるほど、これで出し抜けるし、お前も落とせる。

 利害関係が一致してるい間は――という自己愛に酔った亡者ども。阿片に溺れて痛みを忘れ、望んだ幻覚で自らの肉をその指で引き裂いて、血の花びらを咲かせてくださいね?

 私は、散り際こそが美しいと思うのですから。

 彼の……最後を、思い出したいだけなのですから。


「さあ、お花畑の中で、夢と願いの血を注ぎましょう?」


 始まる円卓。回る欲望。月のように毎晩姿を変える勢力図。

 もう、誰にも、私にさえ止められない。

 くすくすと、笑ってしまう。だって、そう。セラフィは私を信仰しているだから、イスカリオテのユダになりえて。

 カジはそもそも、こんな愚かな私を操るマリオネッター。

 誰しも、そのことに、私さえ気づいているのだから。

「では、自己紹介からはじめましょうか?」

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空と月を知らない蕾 藤城 透歌 @touka-kutinasgi

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