鬼兵団

 顔を腫らした伊橋とゲンナジーはどちらからでもなく、突然笑い出した。


「キヒャヒャヒャヒャヒャおもしれなぁ……兄さん名前は? 俺はゲンナジー、ゲンナジー・チェイス、改めてよろしくなぁ」

「ぶわっはっはっは、俺は伊橋、伊橋耕史、よろしくな」


馬鹿笑いしながらお互いの拳を当てる。


「おい、耕史! 大丈夫か?」


いきなり笑い出した伊橋に中村は困惑してボコボコに腫れた顔を覗き込む。


「このアホっ! 強そうな奴見るとすぐに喧嘩仕掛けるから……ほらっ!」


笑い転げるボロボロのゲンナジーを叱り飛ばすとリタは手を差し出す。


「いや、リタ済まんなぁ、同好の士は中々居ないから楽しくて……ついってなぁ」

「俺からも謝るよ。色々重なってたけれど、発散できたよ」


ゲンナジーが謝りながら起き上がると伊橋も謝りながら立つ。


 伊橋はここに来て戦う事しかできない無力感に襲われていた。

生活や交渉は中村に支えてもらい。

この世界の人々の為、建前で敵であるジャクルトゥの仕事をする。

そして得意なはずの戦闘で普通の青年に助けられ、改造人間にしてしまう。

此処まで来て無能な自分を責め続けた。


たった今、無意味にゲンナジーと楽しく殴り合った事で救われた気がした。

少しでも相手と分かり合おうとする気になったのだ。


「けど、アンタ等ひでぇ顔だぜ? しばらくは静養しないと……」


立ち上がった二人をみて中村が休養を勧めるほど満身創痍になっていた。

その顔を見てはまた笑いだす。

派手にボコボコ過ぎて原型を留めていない顔であった。


「ああ、この程度の傷……おーい! お前ら、肴とエヴァババさの薬持ってこい」

「あーい」


ゲンナジーの指示に日が沈んだ暗い海から陽気な声が聞こえる。


「もちっと待ってなぁ、兄弟達が飯と薬を用意するぁ」

「ちょいとゲンナジー、エヴァババさって……伝説に謳われた海の女傑、エヴリン様かい?」

「おう、お前、エヴリン婆さん知ってんのか?」


ゲンナジーの口から伝説そのの名前を聞いてリタは生唾を飲む。


「アタシに面識はないよ。だけどその偉業は海に生きる者なら知らぬものは居ないよ」


 邪神戦争末期に海上へ出た人魚の少女は絶望の世界を見た。

混乱の最中で人類の姫君、エルフの皇太子に出会う。

三人は世界を知るために駆け巡った、迫りくる世界の終末に対し行動を起こす。

その熱意は緊急会議を開かせ人種を越えて、超種族連合を結成させる原動力になる。

そして海の一族や船団海の戦士達を率い、邪神に挑んだ。

英雄達の一人……。

人魚姫エヴァ、ことエヴリン・カリプス……。


「あー、そうだわなぁ……ババさはもう海上へ出ないからなぁ……」


そう言うとゲンナジーは口から血が混じった唾を吐く。


「数少ない伝説の英雄が御健在で何よりだよ。魔王のバカ騒ぎがなきゃもっと平穏だろうに……」


リタはニコリと笑って答えた。

かなりの老齢である彼女の憂いを思いやった。


「まぁな、ババさには安穏と余生を送って欲しいなぁ……。出来の悪い息子としてはなぁ」


 落ちている流木を集めながらゲンナジーは溜息交じりに呟く。

元々ゲンナジーはエヴリンの息子ではなく、孫でもない。孤児だ。

エヴリンが身寄りのないマーマン族の孤児を集めて面倒見ているのだ。

ゲンナジーは手に負えない荒くれであったが、自発的に交易所の責任者となった。

孤児院運営の支援と兄弟達の働き場所を作るためだ。


「そうだね。かつての英雄に安息の日々を……」


リタも溜息交じりに同意した。

そこに海からゲンナジーと同じ姿の男達が現れる。

瓶と網に入った魚介類を携えて来た。


「アニキィ! 持って来たぜぇ?」

「おー、ご苦労さん」


集めた流木に火を着けたゲンナジーが労う。


「ババさが心配してたぜ? まーたやらかしたかって」

「ああ、けど友達が出来たって言っといてくれ」


瓶を受け取ると流木拾いを手伝っていた伊橋たちがやって来る。


「おいコージ! これを傷に塗れ! 効くぜ」


そういうと伊橋に小瓶を投げ渡す。


「お、ありがとな……」


 改造人間の自分に効くのか? と自問しながらとりあえず塗ってみた。

傷がたちまちかさぶたとなり、剥がれ落ちて治癒する。


「おーぉー?! 何じゃこりゃ?! めちゃ凄い!?」


背中に塗るのを手伝う中村もその絶大な効果に驚愕する。


「伝説の女傑が丹精込めて作った妙薬さね。門外不出の代物さ」


騒ぐ二人にリタがエヴリンの紹介ついでに経緯を教えた。


「ほぇーこんな凄いものを……有難いな耕史……」

「ああ、ゲンナジー、ありがとう!」

「気にすんなよ。明日は上陸だろ? 俺も手伝おう。どうせ暇だしな」


そう言ってゲンナジーは豪快に笑って魚を焼く。

実際、戦争もあり交易所には密輸案件でさえほとんど来ないのだ。


「そんな事言って目的は鬼兵どもとやり合う気だろ?」


リタは振舞われた酒を飲みながらゲンナジーの目的を看破した。


「まぁなぁって、おいっ! そりゃやり合えば余裕で勝てるがなぁ。流石にババさから大目玉喰らうぜ。あくまでコージの手伝いさぁ」


ツッコミ入れつつも大人しく辞退した。

しかし、どさくさでド突き倒すノックアウトつもりらしく肩を回し始めた。


「まぁ、静かに上陸出来れば良いや。ついでにガマッセル抵抗軍レジスタンスと合流できたらいいのに……」


 中村は満天の星の下、潮風に揺れる焚火を見つめて溜息混じりに呟く。

リタの舎弟達からガマッセルとウルトゥルには抵抗軍がまだ有る事を聞いていた。

ウルトゥルにはオーベルドルフ王家の生き残りが活発に活動している。

ガマッセルの抵抗軍は方々に潜伏しているらしい。

時折、リタへ薬や武器の密輸の依頼は小口で数件ある程度だ。


「気を付けな、連中まともに活動しているか怪しいよ? そういう魔王軍も巨大生物対策でてんやわんやだけどね」


リタは中村の呟きに反応し、率直な感想を伝えた。

伝え聞く巨大な鳥は大陸を周回して何かを探しているみたいだと言われていた。


「ああ、気を付けるさ、巨大生物は兎も角、適当に暴れたらポートゴライアスに帰るよ」


 仕事と割り切っている中村は試験的な視察として臨む気であった。

アウェーで情報は少なく、敵は強大、結構な報酬でなければ罠に等しい。

ただ、依頼主の鬼神トレバーは遊んであげてと言って居た。

つまり命を懸ける必要は無いのだ。


「ああ、そうしな、また伊橋やゲンナジーと吞みたいからね」


ワインのマグナムボトルをあおったリタはそう勧めた。


「ああ、是非そうしたいぜ」


満天の星々を見上げ中村はゆっくりと眠りについた。


 早朝、一行は船を朝靄の中、陸が見える所まで接近させる。

熱帯の樹木が生い茂る陸地が遠目に見えた。

ガマッセル大陸は火山が多く、地熱が高いらしい。

風向きにより熱帯なのに朝靄が発生するのはそれだ。


「それじゃ行ってくるぜ」


 荷物を背負った中村がリタ達に挨拶した。

買い込んだ食料やゲンナジーから貰ったエヴァの妙薬を詰めてある。


「中村ぁキリキリ働けよぉ」


瘦せっぽちが中村を弄った。

負けずに中村が弄り返す。


「お前も働けよ。じゃな!」

「リタ、戻って来たらまた頼む」

「ああ、コージ、今度は安くしてやるよ」


伊橋とリタは拳を合わせて挨拶するとボートに乗り移る。


「そんじゃぁ行くぞ」


 舳先に付けたロープをゲンナジーと兄弟達が引っ張る。

音も無くすぅーっとボートが不気味に進む。

陸地が見えると同時に伊橋と中村はボートに伏せる。

靄でボートが隠れ、周囲から視認されにくくなった。


 無事に陸地に到着すると伊橋達はすぐにボートから降りた。

そしてゲンナジー達と協力し無造作に生い茂る草叢に隠す。

一見すると廃船のように偽装して置いておく。

これなら撤退時に使える。

ゲンナジーのアイディアだった。


「じゃ、コージ、無事に帰ってこいよ。それまでに鍛えておくからよ」

「ああ、たくさんの鬼を殴り倒して自慢してやるよ。……ん!?」


ゲンナジーの上げた拳と合わせた伊橋は耳に近づく足音を捉えた。


「おい逃げろ! 何か来たぞ!」


 それが複数でこちらに走って来るのが分かり、伊橋は警告を発した。

生い茂るツタ状の植物や椰子系の樹木を武骨で分厚い戦斧が薙ぎ払う。

斬り倒された空間から通常よりかなり大柄な男達が現れた。


 全員、二メートル以上はあるがっしりとした厚みのある巨体を保持する。

何かの革で作られた簡単な鎧に戦斧や棍棒、ハンマーを手に持って歩き出す。

皆、クセの強い髪が編み込まれた髪型やざんばらな櫛も入れていない髪型だった。

しかし、皆一様に髪の間からはドリル状に捩じれた角が見えた。

歓喜と殺意の籠った瞳で黄色い歯と鋭く伸びる犬歯をむき出しにする。


「こいつが鬼兵か……」


 構える伊橋を見て、危険を察知した中村は瞬時に岩陰に隠れた。

ゲンナジー達も速やかに海へ向かう。そこに悲鳴が待ったをかけた。


「おじさん! 助けてーッ!」


鬼兵の一人が背負う網にはマーマン族の子供が二人捕まっていた!


「チィ! お前ら先に逃げろ!」


ゲンナジーは顔に腕に巻いていたバンダナをマスク覆面代わりに着けた。

そして鬼兵達に向かって走り出す。


「おい!?」

「コージ! 手伝ってくれ!」


そう叫んだゲンナジーは先頭の鬼兵に飛び掛かって行った。

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