ゲンナジー

未明に伊橋たちはポートゴライアスから出航した。

リタの船は速度に特化した細い船体の帆船、クリッパー級であった。

速度を活かし相手に見つかる前に逃げ去る手口で、未だに捕縛されていない。

横にマンダゴアの陸地を見ながらリタの船は進む。

慣れた航路なのか舎弟達の雰囲気は実にのんびりしていた。


「なぁ、リタ、えらい呑気だけど……大丈夫?」


心配になって来た中村が舵を取るリタに尋ねる。


「ああ、ここは私らの庭だよ。自分ちの庭にビビる間抜けは居ないさ」

(出発前のオリエンテーションで散々脅かしたくせに)


リタは鼻で笑うがマストにもたれて聞いていた伊橋が内心呟く。

出発前、舎弟から色々聞かされていたのだ。


 各地には魔王軍の駐屯地、詰所が設けられているだけでない。

海にも無数の脅威があった。

小いさな島並の大きさの超巨大タコや亀、それらを捕食するサメやイカも居るのだ。

辛うじてそれを寄せ付けないのは船体に付けられた臭い袋の存在だ。

龍帝に次ぐ巨体で海の覇者といわれる皇帝クジラの龍涎香がその正体である。

あらゆる生物を飲み込むこのクジラが居るとわかれば即座に逃げ出すのだ。


 だが、それも無効にする者が二種族いた。

一つはマーマン族である。

人に近い魚、人魚でありオスはヒレと水かき、うろこを持つ。メスは人魚そのままだ。

人語を理解するが、基本的に他の人型人種を毛嫌いする。

マンダロアとガマッセル、ウルトゥル間の海峡マーマラスに勢力がある。


 もう一つが北東の大陸、デヴォネルより北から現れるという魚人だ。

此方は二足歩行する魚である。顔は魚、手足はヒレになっている。

人語を理解しているとは思えない風貌と反応であり、全てに敵意を持つ。

その二種はテリトリーを侵されると問答無用で襲い掛かる。

その為、何度か海賊ギルド、もしくは王家と抗争していた。


「まぁ、マーマン族は大丈夫だって」


 ケラケラと笑うリタは舵を切り陸から離れる。

そのまま直進すると岩礁に囲まれた離れ小島が見えて来た。


「さて、停船するよ、ボート出せ」

「へぃ!」


リタの号令で舎弟達が停船する為、帆を畳むとアンカーを下ろす。

そしてボートが降ろされるとリタは大きな袋と小箱を持って降りる。


「リタ、どこ行くの? 俺らもついてっていい?」

「良いけど、余計な事するんじゃないよ?」


ロープを伝い好奇心にそそられた伊橋と中村が降りて来る。


「ところでどこ行くの?」

「マーマン族との交易所さ、ここで品物交換と通行許可を貰うのさ」


 舎弟に指示するとリタはボートを進ませる。

当然伊橋と中村も手伝う。

そうしてボートは岩礁を抜けて島に上陸する。


「誰か! 誰かいないのかい?」


 リタが島に向かって呼びかける。

そこには煉瓦作りの小屋が一軒立っていた。

建物はマメに手入れされているらしく、丁寧な修復跡が施されている。

すると奥から平たい顔の男が歩いて来た。

頭髪は無く代わりに鋭い刺ヒレが生えておりトランクスの様な海パン姿だった。

分厚いタラコ唇とつぶらな瞳、皮膚には細かい鱗が全身を覆う。


「おお、リタぁ、景気はどうだい? 魔王軍はどうなったぁ?」

「やぁ、ゲンナジー、魔王軍のせいで上がったりさ、だけどバティル城が追い出したらしいよ」


 独特の間延びしたしゃべり方のゲンナジーと呼ばれた半魚人が手を挙げた。

リタはその腕に拳を当てて挨拶を交わしながら状況を伝えた。


「マジかぁ?! そりゃいいなぁ、俺らも商売あがったりなんだよなぁ」

「ああ、これで交易や行き来が増えると良いんだけどねぇ」


戦勝の知らせに驚き、にっこりと笑うとゲンナジーは後ろの伊橋たちに気が付く。


「お? 新顔かい?」

「あ? あれは今回の積み荷、ガマッセルで鬼兵団と一戦所望するんだと」

「ほーっ、そんなバカが今時居るんだぁ……兄ちゃんやめとけやぁ」


リタの紹介を聴き、ゲンナジーは驚いた後、中止を勧告した。


「ああ、けど行かにゃならんのよ。地獄の悪魔どもから人々を守るためにね」


自分は戦わないのに中村はそう啖呵を切った。


「ほほう、そんなに強いのかぁ? 俺っちそう奴、大好きなんだよ。喧嘩すんのがなぁ」


 中村の姿を見たゲンナジーは意外そうに聞いて来る。

その鱗だらけの身体には無数の傷が刻まれていた。


「あー、……俺じゃなくてぇ、俺の連れね」


その好戦的な態度に不安を覚えた中村は逃げの態勢に入った。


「ほうほう? お兄ちゃん強いの?」

「いや、そんなに強くない。修行の身だ。但し、普通の人間よかマシなだけだ」


 伊橋は興味深げなゲンナジーと目線が合うと半分謙遜、半分本気で答えた。

少なくとも以上に学び、鍛え上げなければならない。

そうしなければ鬼神大佐には勝てない。


「そっかぁ、強いんなら一手御指南受けようかと思ったぜ……。ただ、そんな程度じゃ死ぬぞ」


 ゲンナジーはそう嘯くうそぶと真剣に止めに入った。


「こらこら、ゲンナジー、商売の邪魔すんじゃないよ。はいコレ布地と革、渡し賃の宝石」


例の袋と小箱を渡す。途端にゲンナジーは困った顔で返す。


「おう、済まんなぁ、だが、これ以上の死体は見たくないんだよ。お兄ちゃん達、いい人そうだしね」


袋を貰い、箱を受け取ったゲンナジーは伊橋を見つめた。

憂いと悲しみを憤怒で燃やす、その雰囲気を感じていた。


「ありがとう、ゲンナジーさん、けど俺は死なない。負けない。諦めない」


目に決意の光を讃えた伊橋は答えた。

諦めたゲンナジーは肩を竦めるとポケットから巻貝を取り出した。


「むぅ、帰りたくなったらこれを海に投げろ。三日後、生きてたらそこに迎えに来てやる」

「ありがてぇ! 三日後まで頑張るよ」


差し出された巻貝を伊橋より先に中村が受け取る。

その動きの速さに苦笑したゲンナジーはやはり気になった事を尋ねた。


「ところで兄さん、本当はどれだけ強いんだぁ? ゴブリンぐらい余裕って奴かぁ?」

「いや、何だっけ? そだ、ボグドーの街でキメラってのを三匹やっつけたんだぜ」

「「なにっ!?」」


 先日の戦果を中村が胸を張って自慢した。

それを聞いたリタやゲンナジーは伊橋を凝視する。

キメラを単身で同時に三匹も相手するのは鬼でも命懸けだ。


「ああ、けど俺一人じゃない。一人に瀕死の重傷追わせちまった」


ぽつりと伊橋はつぶやいた。

自分の不甲斐無さと甘さを攻める。

全身焼け焦げたタイソンを思い出し、表情に苦渋を満たした。

その伊橋の前にゲンナジーが微笑みながら肩を回して立ち塞がる。


「おいリタぁ、渡し賃は要らねぇ、代わりに兄さんと遊ばしてくれ。兄さん、俺と戦ってくれ」

「ちょっとゲンナジー!?」

「えっ、いやいや、俺ら先を急ぐんで……」


その間に慌てた中村が割って入る。

しかし戦意が高揚し始めたゲンナジーに一蹴された。


「お前は黙ってろ! 兄さん、俺が勝ったら大人しく陸地に帰んなぁ」

「ああ、分かった。だが、俺が勝ったらどうする?」


ゲンナジーの提案に真剣みを帯びた伊橋は注文を付けた。


「そうさなぁ……俺の喧嘩友達として渡し賃は無料だぁ」

「代わりにその都度、喧嘩か……丸損だな」


苦笑する伊橋にゲンナジーは乱杭歯をむき出しにして笑う。


「分かっているじゃねぇかぁ、終わったら飯と酒も付けよう」

「乗ったぜ」


 伊橋もニコッと微笑むとスーツの上着をスッと脱いだ。

滾り始めるゲンナジーに向かって構えを取った。

その途端、両者、気合が乗った豪快に右ストレートを顔面に放つ!


――ゴッ!


 鈍い音が周囲に響く!

同時に鉄拳が顔面を捕らえた。

それが何度も顔や身体へ応酬し、不規則なリズムで鈍い打撃音が響く。

お互いノーガードで殴り続ける。

そこに技術は要らない。

気合いと力、自分の矜持誇りだけが必要な勝負であった。


「姐さん!?」

「黙ってみてな! マーマン族きっての猛者相手に嬉々としてステゴロ素手喧嘩かます漢なんてそうは居ないさ」


 痩せっぽちの舎弟がリタに心配になって声を掛けた。

だが、リタは熱い視線で男達の喧嘩を見守る。

海の漢でも滅多にいない灼熱の魂を滾らせて戦う姿に興奮していた。


 ゲンナジーのマーマン族は両生人類である。

陸でも生活できるが基本は常に水中で生活する。

その環境ゆえに筋力や持久力、耐久性は常人の遥か上の能力を持っている。

そしてゲンナジーはマーマン族の中でも一、二を争う戦士中の戦士だった。

大渦のメイルストロムゲンナジー、海の荒くれシー・ランペイジの異名を持つ。

その男が伊橋改造人間と真っ向からぶつかり続ける。


「おい、兄さん。鬼相手にノーガードはあ、ぶ、な、いぜっとぉ!」


ゲンナジーが踏み込み必殺の左右の連打を放つ。

パンパンパンボンと小気味よく伊橋の顔を上下左右に殴り弾く!


 伊橋はよろけ、笑いかける膝に力を入れて踏み堪える。


「ぐくぅ、ガードだぁ? そんなもんより全力の一発で仕留めるんだよぉ!」


笑う膝を伊橋は無理やりグッと砂地に踏み込む。

その脚の力を使った右アッパーでゲンナジーの鳩尾にズガッとぶち上げる。

エグい一撃にゲンナジーは身体をくの字にして目を剥く。


「ゴゥフ……お前は鬼かぁ? こんバカチンがぁ!」


そこから緑がかった顔を青くして身体をグギュルと捻り、上から殴り返す。


「よりにもよってとは何ごとだぁ!」


トレバーを引き合いに出された気がして伊橋が怒鳴る。


「一撃至上主義は鬼兵団の合言葉だよ。肉が切れたら骨ごと粉砕ってね」


肩を上下し荒い息でゲンナジーは教える。


「ふん、一緒にするな!」

「いや、一緒だよ。避けて撃たれるカウンターなんてよくやられるだろ?」


 ゲンナジーの指摘に一瞬、伊橋は絶句する。

事実、鬼神にはよくカウンターから逆転されるからだ。


「うっ、うるさい!」


今度は突っ掛けて来た伊橋にゲンナジーはゆっくりと腰を落とした。

拳と共に腰を引く、緩やかに力が溜まる。

間合いに伊橋が入って来た。

その胸板に槍になった拳が吸い込まれるように捩じり込む。

捩じり込まれた衝撃が伊橋を後方の海へ回転させ、バジャンと叩き込む。


「どうだ、カウンターに弱いだろうがぁ!?」


  沈む伊橋を見て自慢気にゲンナジーは言い放った。

だが、次の瞬間笑みがこぼれた。


「プハァッ、気合い入れ直ったぜ。今度は俺の番だ」


海から顔を出した伊橋が飲みかけた海水を吐き出して向かって来た。


「「おおおおっ!」」


そして雄叫びと共にまた殴り合いが始まる。

日が海に沈みかける頃、ボロボロになった二人が大の字になっていた。

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