おんな港町

 浜から吹き上がる潮風が店の扉を叩く。

冷たい風が身体をさいなむ前に伊橋と中村は港に近い狭い居酒屋に居た。

ボクドーの街から定期便に乗り、川を下って南の港町ポートゴライアスについた。


 道中得た情報をもとにこの居酒屋に入ったのだ。

物資が少ない今、小魚の干物と芋酒だけの店でも無いよりマシだった。

目当ての相手はまだ来ない。

店主である皺だらけの老婆に水と芋酒のおかわりを中村が頼む。

かなり強い酒だが既に三杯は飲んでいる。


「おい、中村」

「だーいじょうぶだってー」


伊橋の心配を他所にご機嫌な中村が笑って答える。

だが、その眼は

最初の一杯だけ飲んで後は水の伊橋が溜息をつく。

その耳に近づいて来る複数の足音と気配を感じた。


店のドアが景気よく開き、複数人の男達と一人の女が入って来た。


「うー、さびぃ! おばちゃん! 酒くんなぁ!」


日に焼けた浅黒い痩せっぽちの男が入ってくるなり老婆に注文する。

染みだらけの厚手の黄ばんだシャツに赤いボロボロのチョッキを着ていた。

男達は大概同じような服装だった。一人の女を除いて……。


 女は男どもと違い身なりはきちんとしていた。

まっさらな染み一つないシャツに細身のパンツを粋に着こなしていた。

肩にグレーのロングコートを羽織り、椅子に座る。

気の強そうな整った鼻梁に魅惑的な茶色の瞳が鋭い視線を放つ。

その雰囲気に威圧されたのか女好きな中村が生唾を飲みこむ。

すると目の前に酒がなみなみと注がれた木製のジョッキが置かれた。


「おばちゃん、私、まだ頼んでないよ」

「向こうの客からの奢りだとよ」


女の文句に老婆は顎で伊橋たちを差して奥に引っ込む。


「なんか用かい? 兄さん達」


 女は一瞥もせずに腕を組む。

同時に手下らしい男達の雰囲気に殺気が混じり出す。

すかさず中村が微笑みながらゆっくりと近づく。


「やぁ、俺はジャーメイン中村、アンタ等はリタ姐さんと舎弟の皆さんだろ?」

「だったらなんだ?」


女は答えず、代わりに先程の瘦せっぽちがドスを効かせる。

だが、中村は涼し気な顔だった。

激怒した伊橋や殺意を持って襲って来る怪人どもに比べたらまったく怖くないのだ。


「いやね、金さえ弾めば何処へでも品を運んでくれるって聞いたもんだから、仕事頼もうかと……」


 中村はそこまで言って様子を見た。

男どもの雰囲気は変わりなし、女は腕を組んだままだ。

タイソンを本部へ搬送した後、ヘイガ―に事情を説明し、後始末を任せた。

そしてボクドーの船着き場から川で此処まで下って来たのだ。

その定期船の船頭から運び屋密輸団リタの話を聞いたのだ。


「酒は……まぁ、話を聞いてくれる礼替わりさ……ダメかい?」


船頭はたまり場である居酒屋や依頼方法、禁句を教えてくれた。

酒はそのとっかかりだと教えてくれたのだ。


「隣の男は知り合いかい?」


 ようやく口をきいたリタは後ろで黙って座る伊橋に視線を送る。

その佇まいから何かを感じたらしい。


「あ、コイツは耕史こうじ、伊橋耕史、俺の相棒だよ」

「挨拶無したぁ無礼な奴だね。気に入らないねぇ」


中村の紹介をスルーし、リタははっきりと不満を口にする。

その本人はタイソンの事を気にして落ち込むんでいた。

彼を改造人間にした自分は鬼神トレバーと何が違うのかと悩んでいたのだ。


「済まない。俺の名は伊橋だ。口下手なんで中村に任せている」


指摘を受けた伊橋はボソリと謝罪し、自己紹介と理由を述べた。


「ふーん、変わった名前だねぇ……どっから来たんだい?」

「日本だ」


リタは警戒の姿勢を崩さず、伊橋に出自を問いただす。

対する伊橋は全く無警戒で即答した。


「にほん? どこだいそりゃ?」


舎弟たちがゲラゲラと笑いだす。

すかさず中村がフォローに入る。


「そらぁ、世界の片隅にある島国だから知らねぇのは仕方ない。だけど、俺らはそこから来た。嘘は言って居ないぜ」


真摯な目で中村は訴える。

確かに世界の片隅極東にある島国日本……物は言いようであった。


「まぁいいさ、で、何をどこに運ぶんだい?」

「ありがてぇ! 俺ら二人をガマッセル大陸に運んでほしいんだ!」


 警戒を解いたリタの問いに中村が嬉々として答える。

その途端、リタや舎弟達の顔色が変わった。


「おい、兄さん達、マジで言ってんのか? 死ぬぞ」


瘦せっぽちが目を向いて警告する。


「ゲッ?! そんなにヤバい所なのか?」

「ああ、とてつもなく強くてデカい鬼兵どもがわんさか出てきやがる」

「しかも人間と見た瞬間に群れで襲って来る。シャレになんねぇ」

「お供にオーク共も居るからめんどくせぇ」


中村はキョドりながら聞き返すと舎弟達は口々に感想を言い始める。


「なぁ、アンタ等と鬼兵一匹だとどっちが強い?」


海の男に禁句を伊橋がぶっきらぼうに尋ねる。


「あ? 舐めてんのか?! 鬼兵の一匹ぐれぇ俺一人でも余裕だぜ!」

「嘘コケ! おめぇいつもにげてばっかじゃねぇかよ!」

「俺らが必死こいてる時に石投げてるだけだろがぁ!」


瘦せっぽちが啖呵を切るが他の連中に猛烈に突っ込まれる。


「あんた達黙りなっ! だけど兄さん、どんだけ強いか知らないけどやめた方が良いよ」


 呆れたようにリタは伊橋に向かって中止を勧告する。

だが、伊橋は俯いた顔を上げて呟いた。


「そうかい?……ならばなんとかしなきゃ……奴とやるなら……」


呟いた伊橋の瞳に暗い燈が灯る。

復讐者の本性と倒すべき鬼神の拳が脳裏によぎる。

伊橋の佇まいにリタ達はゾッとする。

自分の知らない異質の存在がそこにいたのだ。


「ちっ、どうなっても知らないからね。……それじゃ一万デルー出して貰おうか?」


 諦めさせるために敢えてリタは相場の倍で値段を提示した。

自分達の命も惜しいが、何故か何よりこの世間知らずを死なせたくなかった。


「伊橋ィ……」


中村もその言動を心配する。

元々無鉄砲で戦闘方法も攻撃のみ防御無視だけだ。

自分の骨をも砕いて相手の命を奪う戦法に何度も苦言を言っていた。


「中村、頼む」


意を決した伊橋が中村を急かす。


「チィ、これで足りるか?」


指二本分大の金の棒を一本、上着のポケットから出す。

ランプに照らされた鈍い輝きは舎弟のみならずリタをも魅了する。


「姐さん、これだけあれば……」


 生唾を飲み込んだ瘦せっぽちがリタに話しかける。

非合法の品も金次第で運ぶリタ達も魔王軍のお陰で稼ぎが少ない。

ガマッセルやウルトゥルからの脱出者もなく、荷の運び先もない。

おまけに各大陸近海には例の巨大生物が回遊しては船を襲っていた。

仕事の無い今、十万デルーはする金の延べ棒の報酬は喉から手が出る。


「仕方ない。あんた等、送ってやんよ。但し、陸地にはボートで接岸しておくれ」

「えっ? マジで?」


リタは複雑な顔で条件を付けた。

それを聞いた中村が困惑する。


「ああ、船を港に入れれば港の守備隊や沿岸警備の船と派手にやり合う羽目になる。夜半にボートで接岸すれば侵入可能だよ」


冷えかかった芋酒をリタはあおり説明する。


「分かった」


伊橋は短く了承した。

とりあえず渡ればそれでいい。

後の事は中村任せだった。


「じゃ、金は出発前に渡すぜ。ガマッセルの情報を教えてくんないか? おばちゃーんおかわりー!」


ギョッとする伊橋を横に中村は金をしまうとリタ達に知っている事を教えて貰う事にした。


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