鬼の帰還

 作業を終えた受付嬢が渋い顔で書類を奥の部屋に持っていく。

暫く、待合室を沈黙が支配する。


「はい、トレバー・ボルタックさん、奥の部屋にどうぞ」


身震いしながら受付嬢が呼び出す。


「じゃ、鬼とジャムってくるわ」


鼻歌交じりにトレバーはギタールを片手に立ち上がる。


「頑張ってください!」


タイソン達が無邪気に声援を上げる。

しかしデズモントの恫喝を知るジョアンと受付嬢は戦慄で身動きできなかった。

声援に手を挙げてトレバーは答える。

ノックした後ドアを開けて中に入った。


 そこは無機質な窓一つない部屋に机とギタールが置いてあった。

部屋に入ったトレバーの鼻腔に有る特有の香りを感じ取る。

中央には椅子が二つおいてあり、その一つに細身の中高年の男性が座っていた。

ゆったりとしたくるぶし丈のカーキ色の修道服トゥニカを身に着けていた。


「では、そちらへ座り給え」


総髪を後ろに一束にまとめ、物憂げな表情でトレバーを迎える。

とても噂の鬼っぷりが嘘のように大人しい雰囲気であった。


「トレバー・ボルタック、一曲弾かせて貰います」


トレバーは愛想無しで挨拶する。


「好きなようにしたまえ評価は変わらん」


無表情な顔で噂のデズモントは指示を出す。

その一言でトレバーは早速勝手に振舞いはじめた。


「あー、なら立ってらせて貰うぜ。早速お届けさせて貰う。サウンド オブ サイレンス」


その態度にデズモントの顔が露骨に歪む。


 トレバーが選択したのは物寂しい和音のアルペジオで始まるあの名曲だった。

曲を聴き始めるデズモントの眼に驚愕の色が浮かぶ。

今まで聞いたことのない曲、構成、技巧は刮目するものだった。

トレバーの態度とは裏腹の繊細さと沁みる音色に身動きが取れなかった。

本来の原曲には当然サイモンとガーファンクルのヴォーカルがある。

それを十二弦と指や足でリズムを取り、ヴォーカル無しで表現しきってみせた。


曲が終わり、デズモントがトレバーを見据える。

その眼には猛烈な怒りと嫉妬があった。


「判定は?」


 挑発する様にトレバーは尋ねた。


「……ウッドだ。そんな我流の曲や面妖な技巧は認めない。とっとと帰れ」


重々しく宣告するデズモントにトレバーは笑いながら告げた。


「そうか……噂の鬼に滝のような汗を掻かせ、手を震わせながら貰った評価だ。まぁ順当だな」


 その言葉にデズモントは思わず手を見た。

自分の手には鳥肌が立ち、震えは止まらなかった。

額からは汗がとめどなく流れる。

傍から見れば体調が悪くなったと思う状態だった。


 自分の知らない曲や奏法に一瞬でも心を奪われてしまう。

それを精一杯のプライドで否定したこともトレバーに見透かされていた。


「じゃぁな」


挨拶するとトレバーは踵を返す。


「まて」


 デズモントが立ち上がってトレバーを呼び止めた。


「なんだよ?」

「訂正する。評価はブロンズだ。それとその曲を教えろ」


少し舐めた様に笑みを浮かべた様にデズモントは横柄に頼む。


「あー、無理だ。俺、位階がシルバーじゃねぇしな。それに師匠であるジョアンと知っている曲を練習して来た。お前が頭を下げてあの子に頼め」

「ぐッ……」


トレバーはとぼけた顔でそう言い切った。

ムッとした顔のデズモントを置いて退席する。


 部屋から出るとキルケー達が固唾をのんで待っていた。


「どう結果は?」


キルケーが少し意地悪そうに尋ねた。


「ウッド……」

「「「エッ!? マジで!」」」


わざとショボーンと報告するトレバーに一同が驚愕する。


「ちょっ……文句言って来る!」


キルケーが怒りの形相で殴り込みに行くのをトレバーは止めた。


「まて、その後、ビビっているのを指摘したらブロンズの認可と曲のレクチャー求められた」

「えっ! それでもシルバー級じゃないんだ……」


 結果を聞いたジョアンが少し申し訳なさそうにした。

自分と関わったせいだと思ったのだ。


「位階を盾にして逃げて来た。シルバーじゃないから人に教えられないだろ?」


落ち込むジョアンを励ますようにトレバーはしてやったりと笑う。

それにトレバーの目標は擬装用の肩書ギタールの演奏家である。

ブロンズは聴衆への演奏が認められる位階であった。


 扉を開き、顔を真っ赤にしたデズモントが現れた。


「ボルタック君、きっ、君への位階承認の事だが……やはり高す」


そこまで言い終わる前にトレバーはばっさりと切り捨てた。


「あ? 下げて貰っても構わんよ? あの曲を聴いて何もなければアンタ終わっているから」

「なにっ?!」


目を剥いて憤るデズモントにトレバーは静かに語り始める。


「ジョアンにギタールの手解きのお礼に俺は知っている曲を全て教えた。その時、彼女は実に楽しそうだった。もっと巧くなって皆を楽しませたいと思っている。お前さんはどうだ? 向上心を捨て去り、この部屋で受験者いびっているだけだろ? とっとと酒止めてギタールの腕と感性磨けや!」


最後の一喝でその場の全員が動きを止めてデズモントを見た。


 部屋に入った時トレバーはデズモントから漂う酒の匂いを感じ取った。

曲が終わった後に起きた発汗と手の振戦を見てアルコール依存症であると看破したのだ。

そして一杯ひっかけて震えを止め、気を大きくしてから出て来たのだ。


「ちがう! 俺は……」


首を振り否定するデズモントにトレバーは指摘する。


「今までやって来た事、部屋の引き出しに置いてある強い酒ががその証拠さ。ジョアンの曲でも聞いて目を醒ませ」


 いきなり出番を振られてジョアンがきょどり始めた。


「えっ、あ、あの、わ、わたし」

「ビビんなくていいよ。俺の曲で気に入ったのを好きに弾けばいい。俺らを楽しませてくれや」


トレバーは優しく背中を押した。その一言でジョアンのスイッチがはいった。

椅子に腰掛け自分のギタールを持ち軽くチューニングする。


「アイリス」


 曲名を告げると寂しげなメロディがギタールから流れ出す。

ジョアンは知らないが、有名な映画の挿入歌でヒットした名曲だ。

徐々にハードな力強さと切なさが奏でられていく。


 曲が終わり、集中が切れたジョアンは気配を感じ、周囲を見渡す。

そこにはトレバー達やデズモント、他の職業の受験生や係員が一斉に拍手する。


「すげぇうまいな!」

「ジョアンやるぅ!」


聴衆の声を聴きジョアンの顔が明るくなる。


「教え子として誇らしいぜ。師匠」


トレバーが笑顔でサムズアップする。

その横にはデズモントが呆然としていた。


「ニール、お前の娘も俺を超えていくのか……」


 絞り出すようにデズモントが呟く。

ライバルであり、技を競った親友ニール・クロウジョアンの父親の演奏を思い出した。

最後は勝ち逃げる様に先に逝ってしまった。

競い合う目標がなくなり、弟子を取るのは性に合わない。

判定委員になっても見どころのあるのは居ない。

そこで憂さを晴らすように自分の高い理想を勝手に押し付けていた。


「それでアンタ良いのかい? ここで立っている暇があんのかい?」


トドメを差すようにキルケーが甘く誘うように耳元で囁く……。


 ハッとしたデズモントが振り向いて部屋に入る。

引き出しから酒の瓶を持ちだし、受付の窓から頬り投げた。


「俺は判定委員を辞める!」


高らかに宣言すると受付嬢が慌てる。


「先生、今辞められては困ります! 別の担当が過労死しちゃいます!」


鬼が辞めれば当然別の判定委員に負担が増す。

極端に狭い門が大解放するのだ。

渋い顔で困り果てるデズモントにタイソンがアドバイスする。


「どうせ暇なんでしょ? なら、ここで練習して夜は店で演奏してカムバックしてみては?」

「暇って……正論過ぎて何も言えないけど、先生、それで今月は行きましょう」


苦笑しながら受付嬢が同意するとデズモントも頷く。


「ああ、二曲も凄い曲を聴かせて貰った。腕が疼くよ。ライバルがいる事は良い事だな。ボルタック君」

「あー、まぁね」


 苦笑しながらトレバーが同意する。

とびきり濃厚な殺意を込め、避けた耳元で唸るウォリアーの拳。

折れない闘志を剣にして振りかざすキットクルンジャーを思い出した。


「じゃ、承認してもらったから次は冒険者登録ね」


 キルケーは時間が押す事を気にしていた。

昼過ぎには出発しなければならない。


「そうか、失礼なことをした罪滅ぼしでボルタック君たちの技術証明させて貰おう」


デズモントの提案を聞いてトレバーがきょとんとする。


「なんじゃ? 技術証明?」

「冒険者判定では肉体のレベルは分かりますが、技術までは実績が無いとわかりません。そこでそれなりの位階の人に認定してもらうと一つ上の位階に登録してもらえるんです」


タイソンが説明するとトレバーは納得する。


「はー、なるほどねぇ……じゃいっちょたのむわ」


 そして受付嬢からデズモントのブロンズの承認書類を受けとる。

下の中央受付でジョアンの指導者証明、そして二人の技術証明を貰う。


「よっしゃ、冒険者登録いくべ」


トレバー達は急いで冒険者ギルドに向かった。



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