転移した世界

 巨大な大理石を丁寧に磨き上げられて作られた廊下が奥へと伸びていた。

荘厳で青白い暗さと冷たさが同居した巨大な回廊である。

廊下の天井はかなり高く、見上げる程だった。

壁には美麗な彫刻が刻み込まれており、天井を居並ぶ巨大な柱で支えていた。


 広々とした空間を音もなく一人の男が進む。

通路らしき真紅のカーペットの横を早歩きだが、慌ただしさはない。

初老の顔立ちで佇まいや動作は溌剌としていた。

パリッとした地味なマオカラー風の宮廷服を上品に着こなす。

無表情で立派なカイゼル髭を生やし、所作に無駄なモノは無い。

だが、カーペットの横を歩く事で男の身分を示していた。


 男は空間を突っ切るように先を急ぐ。

角を曲がり、前方に三段程の段差が見えて来た。

中央には剣先のようなハイバックの玉座があった。

玉座にはチュニックにコートを着た銀色の総髪の男がドカッと居丈高に座る。

その横、少し離れた場所で直立不動の軽鎧姿の男が立っていた。


 玉座の男は三十歳前後で右手を握り、顎に当てて考え事をしていた。

青白い顔で見事な黄金色の瞳をし総髪ストレートの銀髪を掻き揚げる。

上品に整ってはいるが、漲る覇気はあふれ出す殺気と魔力に混じり合い独特の雰囲気オーラを放つ。

そ金色の眼を眼光鋭くギロっとやって来た男に視線を向けた。

とがった耳、不満そうにつぐんだ口はそのままで不機嫌さを表していた。


「陛下、急報で御座います」


 走りこんできた男は息も切らさずに膝を着き、臣下の礼を取る。


「なんだ? 侍従長じぃ、言って見ろ」


陛下と呼ばれた玉座の男は侍従長につまらなそうに報告を許した。

侍従長はごく普通に報告を始めた。


「先程、先遣隊の物見より緊急報告がありました。最終攻略中の大陸マンダゴアの南東、バールー連山に局部地震が起きたと報告がありました」

「そんな僻地に地震が起ころうと余に関係ない。報告した物見は処刑しろ」


報告を聞いた途端に玉座の男は即座に処刑指令を下す。

だが、侍従長は優雅に笑みを浮かべて制した。


「今しばらくお待ちを、続きが御座います。その地震の源になった力場がに似た感覚だった。……物見や魔道士どもから同様の報告が多数あり、報告に上がりました」


長年の仕える主である。

侍従長はラゴウが興味のある報告は何かを十二分に把握していた。

キーワードを交えると興味を引けると確信があった。


「チッ……あとで沙汰を出す」


 それでも不満顔は変わらずに舌打ちをして待機指示を出す。

傍らに待機する軽鎧の男に向けて手を上げる。


「はっ、何か?」


軽鎧の男は速やかに身体を玉座に向けて注視する。


「ワーズ、先遣隊に偵察隊を組織させて探らせろ」

「はっ! 直ちに」


 ワーズと呼ばれた軽鎧の男はこめかみに人差し指を当たまま目を閉じる。

若いこの男は実は副官ではなく親衛隊隊長であった。

軍事面のやり取りは本職に限る。

またとある事情もあり、ここに居るのであった。

しばらく沈黙の後、目を開いて報告する。


「先遣隊隊長、中位魔術師ミッドソーサラーバリアスに念話テレパスにて伝えました」


念話、テレパスと言い、ある程度の技量レベルを持つ者なら超長距離会話可能になる術だった。


「うむ、何も無ければそれでよい。侍従長じぃ大儀であった。下がれ」

「はっ」


 侍従長に命令し玉座の男はまた不満顔で考え込む……。

おかしい、例の邪神の眷属なら其のまま全方位で侵食に入る筈だ。

今回はそれが無い。

これが神の仕業なら救世主か勇者が一ダースほど降りてくるだけだ。

 強い敵や軍勢を相手に自らが剣や槍を取り、死闘を思う存分繰り広げたい。

忌々しい邪神を送り込み、のうのうと天界で惰眠をむさぼる神々を屠る。

それまでに己が軍勢を大いに鍛え上げねばならぬ。


 侍従長はそつなくその場を下がる。

廊下を歩きながらこの後に控える仕事の下準備や采配に心を砕く。

ふと窓から見える庭を見ながら物思いに捕らわれた。

あるじである魔王・ラゴウに対し、侍従長は深い畏怖と敬愛を持った眼差しで見ていた。

そしてその心に渦巻く苦悩と不満を知って居た。


(陛下は幼少の頃から何も変わってはおられぬ。常に何かに飢えておられる。知識、力、人材、そして敵……世界を全て取られてもまだ満足されぬのだろう)


 侍従長は遠い目をしながら当時を思い出す。

侍従長はラゴウの先々代から傍に仕えて来た。

ラゴウ生誕の頃から身の回りを世話している。

幼少の頃から才覚に秀で、勉学や戦闘術に非常に熱心であった。

たちまちのうちに教授役がお役御免に成る程の非凡さを露わにする。

ここまで冷徹でなく豪放磊落で人心掌握にも長ける。

魔界の辺境に住まう一領主の跡継ぎとして堅実に育っていった。


 あの邪神が堕ちてくるまでは……。

ある日、東の大陸に突如、邪神が堕ちて来た。

最初に邪神が取った行動はを喰らう事だった。

豊かな草原地帯だった東の大陸は邪神の侵食により、数日で砂漠と岩山の乾燥地帯と化した。

そして邪神は次に北東の大陸、この地へと侵食を開始する。

魔界の入口でもあるこの大地でラゴウ達の父親達、魔族の軍団が邪神と戦った。

戦いは魔族側が壊滅的な被害を払って大陸からなんとか追い出した。


 その後、この世界の全ての生命が結束して何とか邪神を滅ぼす。

邪神戦争と呼ばれた戦いは人々に恐怖の記憶を残していった。


 戦争後、ラゴウは武者修行に入る。

魔界や地上へ旅に出ては各地に潜む有力魔人や武人と戦う。

隠れ住む賢者から知識を得ては磨き鍛える。

その後、城に戻ると軍勢を組織し始めた。

先代が崩御すると周辺諸国に進攻し魔界を統一する。

そして盟友達や配下と共に地上へ手を伸ばす。


 そうして地上の六大陸の内、四つの大陸攻略を数年で簡単にやってのけた。

のこりは人間達や亜人種が立て籠もる件のマンダゴア大陸。

世界最強の生物、龍帝アムシャスプンタが住まう南の大陸の二つであった。

ただし、龍帝に対しては不可侵の約束を取り付けてある。

戦えば大陸壊滅を意味する程、龍帝とその血族は恐ろしく強い。

しかしラゴウは地上にも大した敵が居ないことに猛烈な不満を覚えた。

とうとう龍帝を最終仮想敵として取り組み始める。

マンダゴアは練兵の為の通過地点みたいになっていた。


 侍従長の耳に足音が聞こえ、現実に引き戻す。


「侍従長、ここにおられましたか、夕餉の食材がただいま届きました」


家令バトラーが息を切らせて侍従長の前に立つ。

この広く長い回廊まで探しに来たのだ。


「わかった。まず息を整えよ。いかなる時も不動の心を持て」


若い家令をたしなめ、付いて来るように言った。

その言葉に応える様にピシッと背筋を伸ばし、真摯な顔で後ろにつく。


 家令は仕事をほぼ完璧にこなすが、まだ若い。

ものすごく細かい所に荒さがある。

ラゴウの前でいつか粗相しないか侍従長は心配でならない。

すればその日のうちに処されるだろう。


(それまでに家令を次の侍従長として育て上げなければ……)


必死に付いて来る家令を横目に侍従長は溜息を短く吐く。

日増しに深く激しくなるラゴウの不満が爆発する前に解消されることを願った。

その不満は数週間後、霧散すると今は誰も想定して居なかった。


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