ホラー短編集

永崎カナエ

ハッピーバースデー

 今日は、誰の誕生日になるだろう。

 ひたひたひたひた。道を歩いていく。びしゃびしゃびしゃびしゃ。音を立てて歩いていく。

 雨が降る街と雨が降らない街の境界線。半分はびしょ濡れで、半分は乾ききっている。その不思議な感覚を楽しみながら、あたしは学校へ歩いていく。


 半年前は、はなちゃんだった。

 何をプレゼントしようか、悩んで悩んで悩んで、悩んで。安直だけど、お花をプレゼントしてあげた。はなちゃんは泣いて喜んだ。そのすぐあとに、はなちゃんは遠くの街に転校していってしまった。お母さんが泣きながら、「もう二度と会えないのよ」とあたしを抱きしめた。

 お母さん、何言ってるの?いつだって、はなちゃんとは会えるの。だって、すぐ近くにいるんだもの。


 5ヶ月前は、よしおくん。

 よしおくんは、いっつもあたしにいじわるしてくる。口も聞いてあげない。でもよしおくんは、車で街を出るときに、泣きながら私に手を振ってくれた。もう少し、優しくしてあげても良かったかなぁ。


 4ヶ月前は、なおちゃん。

 なおちゃんとあたしは幼馴染。なおちゃんすごく泣き虫で。ずっとずっと泣いていた。はなちゃんとよしおくんが転校していった時もずっと泣いていた。

 だからあたしは、なおちゃんにハンカチをプレゼントしてあげた。5枚。これだけあれば、どれだけ泣いても困らない。10枚セットで、あたしとお揃い。

 プレゼントした時も、なおちゃんはやっぱり泣いて、泣いて、泣いて。でも最後に笑ってくれた。

 そしてなおちゃんも街を去っていった。

 いつもとは逆に泣いて止めるあたしを置いて、なおちゃんは行ってしまった。


 学校の中はとある噂で持ちきりだった。

 誕生日に消えた子供が、雨が降らない街で暮らしているという噂。

 ありえない話ではなかった。

 だって去っていった3人は、全員車で雨の降らない街の方へ去っていったのだから。

 いまなら、2番目に街から去ったよしおくんの気持ちが分かる気がした。

 よしおくんは、あたしや、学校の友達や、この街を離れることを泣いたのではなかった。

 自分が連れていかれるところが雨の降らない街だとわかっていたから、泣いていた。そして最後、あたしに向かって助けを求めた。

 あたしはそれに気が付かなかった。気が付かない、フリをしていた。あの時のよしおくんの、絶望に染まっていく暗い瞳はとても綺麗だった。


 3ヶ月前は、せいくん。

 誕生日を迎えることになって、せいくんはとても怖がっていた。いつもなおちゃんをいじめて泣かせていたせいくんが、この時は怯えた顔をしていた。

 みんなが「おめでとう」とか「頑張れよ」とか「手紙、書いてくれよ」とかいっている間にも、顔面は青くなっていく。だからあたしは、みんなが離れた時に言った。


「あっちはね、怖いものでいっぱいなんだよ。なおちゃんを虐める悪い子だから、せいくんは選ばれたんだよ、可哀想。せいくんは、あっちで死ぬんだよ?」


 連れていかれる時、せいくんは大暴れした。ずっとずっと、叫んでいた。


「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!お母さん!!お母さぁぁぁぁぁん!!!」


 せいくんを連れに来た大人の人は、無表情のまま。なんの感情も表さないまま、せいくんを連れていった。

 小学校から雨の降らない街は、すぐそばだった。

 せいくんは車の中に入れられてからも、ずっと泣き叫んでいた。

 お母さん、って。

 なおちゃんがそう叫んだら、笑っていたくせにね。

 だからあたしは、笑顔で手を振った。満面の笑み、っていう言葉がぴったり当てはまる顔だったと思う。


 2ヶ月前は、かおるちゃん。

 かおるちゃんは、すごくおとなしかった。誕生日を迎えても、薄く微笑んだままだった。

 でもその日の午後が始まる前に、かおるちゃんはいなくなった。

 大人たちは大慌てで探したけど、どこを探してもかおるちゃんは見つからなかった。

 でもあたしは知ってた。

 かおるちゃんは、待ちきれなくなってあっちに行ってしまったのだ。教室の窓から、かおるちゃんが雨の降らない街に走っていく姿が見えた。

 境界線を越えた瞬間に、かおるちゃんの姿は消えた。それを、あたしとクラスの子たちだけが見ていた。


 1ヶ月前は、あきらくん。

 みんながすごく悲しんだ。あきらくんはみんなの人気者。あたしだって、あきらくんのことは大好きだった。

 いつものように、境界線を歩いていると、あきらくんがやってきた。


「ねぇ、どうしてみんな、雨の降らない街に行くんだと思う?」

「きっといいところだからよ」

「どうしてそんなことがわかるの?」

「みんな、向こうで笑ってるもの。おもしろそうに。ずっと、ずっと、ずっと。他の、知らない子たちもいっぱいいるの」

「そっか。ねぇ、かおるちゃんはどうして一人で行ってしまったんだと思う?」

「いきたいから」


 その答えに、あきらくんは黙ってしまった。


「あきらくんも、いきたい?」


 静かに、あきらくんは頷いた。


 そして、あきらくんも消えた。


 今日。誰が誕生日を迎えるかが分かっていた。

 準備は終えていた。だから、あたしは少しも怖くない。


「おめでとうございます。今日はゆうちゃんの誕生日です。でも、あきらくんとかおるちゃんが悪い子だったので、ゆうちゃんはすぐに出発しないといけません」


 みんながあたしの誕生日を喜んで、同じくらい出発を悲しんだ。

 大丈夫。あたしは怖くない、悲しくない。いなくなったみんな、あっちで笑ってる。ケタケタケタケタケタケタケタケタ。笑っている。


「じゃあね、ゆうちゃん。あ、そうだ。まだ言ってなかったわね」


 先生が、あたしの服を軽く直して、笑顔で言った。


「ハッピーバースデー。あっちでも、元気でねぇ」


 その笑顔は、汚く歪んで見えた。



 ひたひたひたひた。道を歩いていく。びしゃびしゃびしゃびしゃ。音を立てて歩いていく。

 雨が降る街と雨が降らない街の境界線。半分はびしょ濡れで、半分は乾ききっている。その不思議な感覚を楽しみながら、あたしは学校へ歩いていく。

 半分は雨に濡れて。半分は、血に濡れて。

 あたしの後ろを、たくさんの子供が一緒になって歩いてくる。

 はなちゃんも、よしおくんも、なおちゃんも、せいくんも。もちろん、かおるちゃんとあきらくんも。最後に見た時とは違う点が一つだけ。首から上が綺麗にないこと。かおるちゃんとあきらくんは、切り口がギザギザだったけど。

 ハーメルンの笛吹きになった気分で、あたしは学校に向かって歩いていく。止まないはずの雨が、止んでいく。

 二つの街の境界線が歪んで、滲んで、消えた。

 もう、この街を守るものは何もない。

 雨の降らない街、だったところから、化け物たちが押し寄せる。雨の降る街は、絶望に悲鳴をあげた。

 あたしの笑い声が、世界に響く。

 化け物の笑い声が、街を包む。

 巫山戯た叫び声が、死んでいく。

 終わる世界の最後の狂宴を、あたしはみんなと特等席で見物した。雨の降る街の、一番高い塔。鉄で作られた脆い塔。そこに、子供が何人も登っていく。死んだ子も、生きてる子も、全部。

 それはまるで、クリスマスツリーに飾られた星のようだった。

 叫び声が全て消え去ると同時に、あたしは立ち上がった。落ちそうになったのを、あきらくんが腕を掴んで止めてくれた。だってまだ、その時じゃない。


「ねぇみんな、これはきっと、全部夢。全部全部、悪い夢!だって、そうじゃないと。お母さんも、お父さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんもみんな!わたしを置いて死ぬわけないもん!!」


 錯乱した誰かが、そう叫ぶ。

 他の子供達が次々に同意の声を上げる。


「そうだ……そうだよね!」「わたし、ママにプレゼント渡さないといけないの!」「こんな夢、早く目覚めないと!」「どうすれば目覚められるかな」「はやくおうちにかえりたいよぉ。おにいちゃぁん」「ほら、落ちちゃうぞ。しっかりつかまっとけよ」「化け物に食べられれば、起きられるかなぁ」「でも、すごくいたいよ、きっと。わたし、痛いのやだよ……」「なにかあるよ、きっと。ねぇ、どうしよう」「ゆうちゃん」「ユウちゃん」「ユうちゃん」「ゆウちゃん」


 みんなが一番上に登っていたあたしを見上げて名前を呼ぶ。あたしを笑って送り出した声と同じ声で、今度はあたしに縋り付く。

 滑稽って、こういうことを言うのかもしれない。

 難しい言葉を言えたあたしを、あたしは自分で褒めた。もちろん心の中で。


「遊ぼうよ」


 あたしの発言に、みんなが驚く。顔を歪める。でも、反対の言葉は出ない。反対は、できない。だって今日は、あたしの誕生日!!!


「これは、夢なんでしょ?だったらほら、遊ぼうよ。みんなで、鳥の真似しようよ。ねぇ?飛ぼうよ!!ねぇ!!!!」


 あたしの叫びに、一瞬誰も反応を返さない。

 でもすぐにみんなの瞳は輝き出す。

 希望が目を眩ませ、絶望で覆われる。

 一筋の光が雲の隙間から漏れ出して、一欠片の闇を透明に見せる。

 指示を出してくれる先生もお母さんもお父さんも、もう誰もいない。下に残っているのは、かつて生き物だった何かの残骸にしかすぎない。

 だったらあたしが決める。

 この世界での次の生き方は、あたしが決める。

 だって他に、決めてくれる人がいないんだもの。

 しょうがない、よねぇ?


「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」


 声にならない音をなどから漏らして、みんなは一斉に飛んだ。

 飛んで、飛んで、飛んで、飛んで飛んで、飛んで飛んで飛んで、飛んで飛んで飛んで飛んで。


 落ちた。


 呆気なく、みんなが落ちていった。

 今度はきちんと叫び声をあげて、みんなみんな、落ちていく!落ちていく!!

 断末魔の叫びが響く。落ちた身体の飛び散る音が反響する。中には塔の半ばに引っかかって生き延びる子もいた。あたしは丁寧に、丁寧に、指を1つずつ引き離していく。優しい声をかけて、落ちていく様を笑顔で見下ろす。

 かおるちゃんとあきらくんだけが、あたしと一緒にいてくれる。首にできたギザギザの切り口に指を這わせて、誕生歌を口ずさんだ。


「はっぴばーすでーとぅーゆー。はっぴばーすでーとぅーゆー。はっぴばーすでーでぃーあ、ゆーうー。はっぴばーすでーとぅーゆー」


 拍手は聞こえない。

 あたし以外の歌声も聞こえない。

 化け物たちがみんなを食べる咀嚼音と、時折聞こえる鳴き声だけがあたしを祝福してくれた。

 袖を引かれた気がして、あきらくんの方を見た。

 あきらくんの手に、ロープが握られていた。逆側からも袖を引かれた気がして見てみる。かおるちゃんと手には、血でベトベトのナイフが握られていた。


 あたしは、どちらも選ばなかった。


 カバンから、お薬の瓶を出した。

 お母さんがここ最近飲んでいるお薬。飲んだら十分も経たずに眠ってしまう、魔法のお薬だ。あたしは片手に取り出せるだけ取り出して、それを一気に口へと放り込んだ。

 ガリガリボリボリガリガリボリボリガリガリボリボリ。

 お薬の砕ける音が心地よく響く。砕くたびに歯を通して伝わる振動が、視線を少し揺らす。乗り物に揺られるような気持ち悪さを感じて吐き気がした。


 全部食べ終えてしまうと、そのまま目を瞑って、暗闇へ身を委ねた。

 高いところにいるから、火照った体にはちょうどいい強く冷たい風が吹く。下からは、もう悲鳴は聞こえない。時折どこかで何かが爆発するドォーン!と言う音が聞こえる。

 さぁ、問題。化け物たちは、今どこにいるでしょうか。正解は、鉄の塔の真下。何体かは、もう鉄の塔の半ばまで登ってきているはずだ。ぜぇぜぇと苦しげな息が聞こえる。反面、声は笑っているようにも聞こえた。


 意識が遠のいていく。あたしはもうじき、あたしじゃなくなる。最後にやりたい放題やって、満足していなくもない。

 でも最後に、もう1つだけ。


「誕生日おめでとう、あたし。さようなら、あたし」


 あきらくんとかほちゃんの手を繋いだまま、あたしは空へ落ちていく。ずっと、落ち続ける。


 ふと、意識が途切れる前に考えた。

 明日は誰の誕生日だっただろう。

 次は、誰があたしの代わりになってくれるだろう。

 頭をよぎるクラスメイトの顔、歌、笑い声に、永遠に続く地獄を彷徨い嘆く全ての人を想い、わらった。






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ホラー短編集 永崎カナエ @snow-0

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