ヤマアラシとハツカネズミ

阿井上夫

ヤマアラシとハツカネズミ

 例えばここに、四十代半ばの社員(以下、仮に「Aさん」と呼称)がいるとします。

 Aさんは入社以来こつこつと地道に勤めてきた叩き上げの方で、担当している仕事に関する知識は十分にあります。

 いや、十二分以上かもしれません。

 また、組織内で目立つほど優秀ではないかもしれませんが、着実に課題を解決し、その成果も申し分ありません。

 加えて問題意識が高く、業務改善を自ら進んで実行に移しています。

 そこで、所属長はAさんに『所属している部署の中堅リーダー』の役割を任せてみました。

 後進指導の能力は申し分ないと思われましたし、小規模な組織なので他に適任者がいなかったためでもあります。

 また、年齢的に考えてもこれが更にランクアップできるかどうかの最後のチャンスです。

 Aさんもそのことを意識しており、前向きに了解しました。

 ところが、しばらくするとその部署の業務効率が、外から見ても明らかなほどに低下しました。

 周囲の部署から、

「あそこは上司と部下の関係が良くない」

 という話を耳にするようになります。

 そこで、所属長がAさんを呼び出して、

「自分の組織をどう思っているのか」

 と尋ねてみましたところ、

「部下が私の指示通りに仕事を完遂出来ない。能力が低くて困る」

 という、部下への不満や愚痴が出てきました。

 それで今度は部下(以下、仮に「Bさん」と呼称)を呼び出して、同じ話を聞いてみますと、

「Aさんは部下の話を全然聞かない。それに『だからお前は駄目なのだ』と一方的なパワハラを受けることがある」

 と、こちらではAさんに対する不満が噴出します。

 所属長は困惑しましたが、少なくともパワハラはコンプライアンス上の大問題ですから、再度Aさんに話を聞いてみました(むろん、Bさんから聞いたとは言わずに)。

 すると、Aさんは困ったような顔でこう言いました。

「私は部下にそんな言い方はしていません。指導しているだけですし、それをパワハラだと言われたら何も言えなくなってしまいます」


 以上のような事例は、どこの組織にも少なからずあると思います。

 もしかしたら読んでいる方がAさん、あるいはBさんの役割に、今現在立たされているかもしれません。

 長年人事担当者をやっていると、似たような事例を何度も耳にしますし、最終的にいずれかを異動させなければいけなくなかったこともあります。

 部下が退職するに至った例も知っています。

 そして、この事例の根本的な問題点は、おおむね次のようにまとめられることが多いと思います。

「Aさんにマネジメントの適性がなかったことが原因だ。個人の実務能力は高いかもしれないが、組織を運営する能力が不足している」

 事実だけ単純に言ってしまえばその通りなのですが、果たしてそれだけの話で済ませてよいものなのでしょうか。


 *


 心理学でよく使われる言葉に『ヤマアラシのジレンマ』というものがあります。

 ヤマアラシというのは身体中にとげが生えている齧歯類で、なんとなく「ああ、あれね」と姿を思い浮かべられる人も多いでしょう。

 ただ、ハリネズミと混同してい方もおられるかもしれません。

 ヤマアラシのジレンマを英語では『Hedgehog’s dilemma』と表記します。

 この hedgehog はハリネズミですから、正しい訳は『ハリネズミのジレンマ』なのですが、日本では最初の誤訳がそのまま定着してしまったと言われています。

 ヤマアラシのジレンマは、もともとはショーペンハウエルが作った寓話から精神分析家のべラックが名付けたもので、寓話自体は以下のような内容です。


 ①冬の寒い日、ヤマアラシが暖を求めて集まってきた。

 ②ところが、近づくと互いのトゲが刺さって痛いので。そのため離れていなければならない。

 ③寒さはさらに厳しくなり、ヤマアラシは再び近づく。しかし、やはりトゲが刺さって痛いから離れる。

 ④それを繰り返した後、とげが刺さらない距離を保つことが一番良いと気づくことになった。


 この寓話について、ショーペンハウエルは以下のように解説しています。


 ①ヤマアラシと同じで、人間も社会生活の中で多くの人が集まる機会があり、その時にお互いの性格や個性の違いから不快に思うことがある。

 ②その場合、互いの許容範囲を測って、その距離を維持することが社会のマナーとなる。

 ③これを守ることで、互いに傷つくことなく過ごすことができるし、違反する者は適切な距離を守るように言われる。

 ④そのため、トゲを気にせずに過ごすために社会の外側にいることを好む者も生じる。


 心理学で言うところの『ヤマアラシのジレンマ』では、これを葛藤の問題と捉えます。


 ①他人との一体感が欲しくて距離を縮めようと思う。

 ②その一方で、距離が近づきすぎてお互いに傷つけ合うことを避けようとする。

 ③あるいは過度に接近することなく、適度な距離を保って自立したいと考える。

 ④これから生じる葛藤である。


 人間は家族や友人、恋人との密接な関係を求める一方で、彼らとの距離感を測りながら生きています。

 たまにうまくいって楽しい時間が過ごせることもあれば、あまりに近すぎてうっとうしく感じることもあります。

 そうかと思えば、離れてしまってさびしく思うこともあるでしょう。

 その際の葛藤を、ヤマアラシのジレンマはうまく表現していると思いますが、このままでは具体的な事象が理解しにくいので、より一般的な例に置き換えてみよう。

 例えば「本音を言いすぎる」人がいるとします。


 ①CさんとDさんは昔からの知り合いである。

 ②Cさんは歯に衣を着せずに話をする傾向があり、普通であればオブラートに包んで表現することも直截的に表現してしまう。

 ③そのため、言いすぎてDさんを怒らせてしまうことがある。

 ④それでしばらくは互いに避けるように生活しているものの、近所だからいずれは双方から歩み寄る。

 ⑤しかし、しばらくするとまたCさんがDさんを怒らせ、険悪な関係になる。

 ⑥それを何度も繰り返すので、周囲の者は「どうして一緒にいるのか」と疑問に思うのだが、当人達は懲りずに仲直りと諍いを繰り返している。


 これはヤマアラシのジレンマでも、お互いに近づかなければよい、という学習に至らない例です。

 他に「本音が言えなくなる」例もあります。


 ①EさんとFさんは学生時代から付き合っている。

 ②お互いに一緒にいると心地よいと感じており、喧嘩をしたことがない。

 ③周囲の者からは「結婚すれば」と言われるし、本人達も考えることはある。

 ④しかし、二人でいる時にはそんな話にならない。

 ⑤それに、よく考えてみると自分の悩みのような複雑な話をしたことはなかった。

 ⑥「結婚しようとしたら、今の関係が壊れるかもしれない」「プライベートなところを見せすぎると、嫌われるかもしれない」「個人的なところに踏み込みすぎると、相手が傷つくかもしれない」と考えて、二の足を踏んでいることに気がつく。


 これは「最適な距離を維持しようとするあまりに、近づくことができなくなった」例といえるでしょう。


 *


 さて、それではヤマアラシのジレンマを、最初に紹介した会社の事例にあてはめてみましょう。


 ①Aさんに悪気はないし、Bさんに期待していないわけでもない。

 ②AさんはBさんを育成したいと考えているし、そのための指導をやっていると自分では考えている。

 ③Bさんも、Aさんの能力自体を否定しているわけではない。仕事の面で教えられることも多いし、言っていることの本筋は正しいと理解している。


 しかし、AさんとBさんの関係は明らかにヤマアラシのジレンマです。

 Aさん自身は、Bさんに対してヤマアラシのトゲに近い言葉を投げつけていることを自覚していません。

 しかし、

「だからお前は駄目なんだ」

 という言い方は、仮にもっと穏当な表現に置きなおしたとしても、周囲の者が客観的に聞けば、

「それは相手を否定する暴言だ」

 と感じられるほどのものです。

 一方でBさんはそのトゲを回避したいと考えておりますが、Aさんが会社の上司である以上は仕事中に避けようがありません。

 このままですと、最終的にAさんまたはBさんが会社を辞めるか、異動するという解決策になります。

 しかし、これは決してベストではないのです。

 ヤマアラシのジレンマの原因の一つは、思い込みや無自覚と言われています。

 Aさんの対応の問題点は、

「これぐらいのことは出来て当たり前だ」

「これぐらいのことが我慢できなくてどうする」

 という思い込みから生じています。

 また、相手にトゲが刺さっているという自覚がないことは、

「自分はそんなことはしていない」

 という発言から明らかです。

 また、AさんはBさんの本来の能力を見極めようとはせず、自らの思い込みに照らし合わせて、そこからの乖離に対して怒っています。

 ですから、Aさんが自分の思い込みに気づき、考え方の偏りや偏見に気がついて、状況を客観的に見ることが出来るようになれば、状況が改善される可能性があるのです。

 事実に気づくことができれば、周囲の客観的な意見を受け入れることが出来るようにもなるでしょう。

 問題点についての正しい理解と、それを解消するための積極的な行動、それこそが本件に対するベストな解決策なのです。

 ところが、多くの事例ではそのような根本的な解決まで至る例は少なく、殆どがベストとはいえない解決に終わります。

 それは、途中のAさんの言葉にもありました通り、

「指導をパワハラだと言われたら、何も言えなくなってしまう」

 と、上司のほうが思考停止に陥ってしまうことが多いからだと、私は思います。

 指導というのは指導する方が一方的に投げつけたからといって成立するものではありません。

 指導される相手が納得して、それに従って行動を変えることで成立します。

 ですから、トゲのある言い方で相手の気分を害してしまったら、それを指導とは呼ばないのです。

 また、

「昔はそんな言い方をする上司ばかりだった。今の若いのは軟弱だ」

 という言い方も筋違いです。

 時代によって考え方や受け取り方が変わるのは普通のことなのですから、今には今のやり方があるのです。

 Aさんは、周囲の方がトゲを持たないハツカネズミになってしまった現状を受け入れることをせずに、ヤマアラシである自分のやり方が正しいと思い込んでおります。

 ハツカネズミにはハツカネズミのやり方があり、それはヤマアラシと同じではありません。

 軟弱かどうかは関係がなく、ハツカネズミの社会ではトゲを押し付けてくるヤマアラシのほうが厄介者でしかないのです。

 トゲがないことをよしとするハツカネズミの社会では、ヤマアラシはトゲのない腹のところでハツカネズミに接するしかないのです。


 *


 ところで『ハラスメント』という言葉は、世間の一般常識として流通するようになったようで、よく耳にするようになりました。

 そのこと自体は、問題の所在を明らかにする上で実に有意義なことであり、結構なことだと考えております。

 仕事柄、メンタル不全やハラスメント行為に苦しんでいる方の相談を受けていると、まだまだ意識の希薄な人がいることに唖然とするほどです。

 ただ、その一方で少々行き過ぎた面もあるように感じております。

 具体的に説明致しましょう。


 最近、

「それってハラスメントですよね」

 と言っている人の中に、時折、ハラスメントという言葉を『錦の御旗』のように使っている人を見かけるようになりました。

 私は個人的に、

『ハラスメント・ハラスメント』(略して『ハラハラ』)

 と呼んでおりますが、要するにハラスメントという言葉の意味を深く考えずに、単に自分にとって不都合なことを言われただけで、

「それってハラスメントですよね」

 と、脊髄反射のように口にする人、またはその行為のことを指しております。


 もっと具体的な話を致しましょう。

 先日、とある関係先で出席した飲み会でのことです。

 仕事になじめずに苦労している人と話をしていた際、私が、

「それでは転勤して、私のところに来ますか」

 と話したところ、その方から、

「それってハラスメントですよね」

 と言われました。

「自分は転勤を希望していない」

 という意味だとすぐに理解はしましたが、それをハラスメントという言葉に直接結びつける感覚に驚くとともに、

「ああ、この人とは一緒に働けないや」

 と、正直思いました。


 もちろん、実際にハラスメント被害にあって苦しんでいる方はおりますから、

「それってハラスメントですよね」

 と指摘すること自体を責めているわけではありません。

 なんでもかんでもハラスメントに結び付けて反論するという行為は、いわば『ハラスメント』という言葉の持つトゲで、自分の身を守ろうとする行為です。

 そしてそれは、前述の例を当てはめれば、

「ハツカネズミがヤマアラシ化する」

 ことではないかと思います。

 最初からトゲがあるヤマアラシも生きにくいと思いますが、自分の弱い部分を守る手段として、トゲで武装することを選択した方もまた、ヤマアラシだと思います。

 この場合も、生まれついてのヤマアラシと同様に、自分の弱い部分、トゲのない部分で人と接するようにしないと、最終的には人を遠ざける結果になるでしょう。

 いや、元からあるトゲよりも、途中から生やしたトゲのほうが、自覚は難しいかもしれません。

 ハツカネズミの世の中になったことを理解できないヤマアラシと、自らがヤマアラシ化しつつあることに気がつかないハツカネズミ。

 いずれも自分で自分がやっていることを意識しないと、なかなか関係は改善されないものです。


 *


 それから、少々蛇足ですが付け加えます。

 昔はヤマアラシだった上司が、トゲを相手に向けないように工夫したとします。

 同じ職場の方は、刺さることがなくなって安心して仕事に望めるようになるでしょう。

 ただ、少しだけ気をつけておいてほしいことがあります。

 それは、

「ヤマアラシのトゲは、自分だけではなく関係者を守るためのものでもある」

 ということです。

 他者にトゲを向けないようにした上司の中には、トゲを抜いてしまった方もおります。

 その場合は、組織自体を守る力も失われたことになります。

「最近、うちの上司が頼りなくてさぁ。昔は他の部署にもっとガツンと言ってくれたのに」

 そんな言葉を聴くこともありますが、それは身勝手というものです。

 ハツカネズミしかいない組織を志向した以上、トゲのない上司もまた許容しなければなりません。

「通常はハツカネズミだが、状況に応じてトゲを生やして守ってくれる」

 そんな、『カクシトゲハツカネズミ』(実在しませんが)のような上司はなかなかいない――絶対にいないとは言いませんが――ということを、理解すべきだと思います。


( 終わり )

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