12/14 カクヨムコン出ようかな〜

小学生の頃からカードゲームはまあまあ強い方だった。

初代ポケカや遊戯王やらルール微妙理解なギャザとか。仲間内では強過ぎるやろ! と、喧嘩になるレベルの天才だった。

周りは男子が多かったので、どれだけ運動がクソでも、ま、俺はカードゲームでお前ボコれるけどな!!な、クソだった。

しかし、天才だったのはその中だけであったのを二十代で今の旦那と出会って理解した。

旦那は強かった。とあるカードゲームで県大会勝てる人だった。

何をしてもボコられた。因みに将棋でもクソボコられる。

二十代で新しいカードゲームでボコられたと時の絶望は未だに記憶に刻み込まれている。

まず、考え方が違う。自分には一生だとりつかないカードの考え方。その背景にある、暇な時でもゲームの説明書をよみふけ、調べて徹底的に文面を理解しカード効果処理を考える力のレベルが違った。

んなこと俺でもしとるわ!!と、思ってたが、自分のレベルの低さに吐き気が込み上げてくるほどだ。

こいつが積み上げた二十年、同じことをしてきたつもりだったのに、圧倒的に高さが違った。積み上げる精度が違った。

二十年の高さを多分自分も二十年掛ければ出来るけど、奴はそのまた二十年でさらに強くなるのが容易に想像できた。

もう絶対に二度とその溝は埋まらない。

バトル漫画で力差に愕然とくる雑魚の気持ちがよくわかる。

サボってたわけじゃない。

やることはやってきたから、まあまあ強かった。けど、自分にはその先に辿り着く努力も考えも才能もなかった。

その事実に膝から崩れ落ちることしかできなかった。

カード性能と相性を使えばそりゃ勝てる。けど、大半は追い詰められる。圧倒的に有利なのに。

挫折を覚えるどころか、絶望を刻みつけられた心境だった。

ゲームもそうだ。思考スピードが速い。鍛え方が違う。やり込み時間が違う。勝ちへの貪欲さ、純粋さ、全てが桁違いで手も足も出ない。

たかがゲームじゃない。ゲームでこれだけのパフォーマンスを出せる奴が他のことに於いてはそんなことないとか、ありえない。

物事への理解のスピード、問題を見つけるシビアな思考と追求、問題解決への取り組み方、姿勢、全てにおいて上だった。

全てゲームで身につけたものへの応用力と対応力、そしてそれを如何に自分のモノへとするのか。

もう二度と、歩幅を合わすことは出来ないだろう。

この前、ゲームをしていて恐らく奴の二十年前には勝てた力が自分にはついていると感じたことがあった。しかし、今も尚、勝てない。届かない。

この絶望はなによりも耐え難いが、何よりも彼を尊敬し、尊重しようと思える重大な部分に他ならない。

やっぱお前すげぇわ!っていつでもなる。


富升「なんで自分と結婚しようと思ったん?」

旦那「どれだけボコっても次また勝負しようとしてくれるから。お前は?」

富升「こんなクソでも勝負してくれるから」


自分だったら、こんなに力の差が歴然としてる奴の相手なんて絶対しないし、当たり前だけど楽しくなんてないと思う。だから、自分は勝てんけど、勝つまで戦いを続けさせてくれる旦那が一番すげぇよ。

自分は天才ではなかったけど、絶望はまだまだ続くけど、一瞬でもその土俵に上がれたら死んでもいいと思える人間だった。


なんで、カクヨムコン出ようかなって思います。

いえーい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

何とか方向修正したいマン 富升針清 @crlss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る