1-1 Opening

「逃げるんじゃねぇぞ」


 顔に黄ばんだ、汚い淡がかかる。

 反応しちゃダメだ。顔をしかめでもしたら、生意気だとか言って再びリンチが始まる。

 先週も、先々週もそうだった。

 校舎裏、高いコンクリート塀の中。

 普段は教師がタバコを吸う為に使っているスペースで、見通しが悪く、毎週金曜日は誰も此処に来ないから、絶好のやんちゃスポットと化している。

 カツアゲ、リンチ、喫煙、集会、その他もろもろ。

 僕に振るわれる暴力は全て此処で発生するから、その錆びたフェンスやくずれかけた木のベンチも、もうすっかり見慣れてしまった。

 今不良共がトイレ休憩に行ったから、今日の分は、あと三十分くらいで終わる。

 これなら、スーパーの特売にも間に合うだろう_____。

 僕がそんな風に考えていた時だった。


「花坂…かい?」


 彼女が、不意に姿を現したのは。


■ ■ ■ ■ ■ ■


「全く、焦ったぞ…あんな所で昼寝をする奴があるか」


 日が傾き始めた、公園のベンチ。

 すぐ横の自販機で買ったペットボトルを片手に、僕の頬の傷をさする彼女は『早宮』。

 ショートカットと冷徹そうな眼付が特徴的な女子で、僕のクラスメイトでもある。


「ごめん」

「…まぁ良い。だが、今後は注意する事だな…酷い怪我だぞ」


 心配そうに傷をさすってくれる。少しどきりとするが、向こうは確実にそういった事を意識していないだろう。

 どこか抜けていて、親切で、やたら心配性。

 そして


「いくら犬が好きだからって、はしゃぎすぎだ」


 とても、騙されやすい。それが彼女に対するクラスの認識だ。

 僕の服の汚れや傷、かけられた淡なども、全ては犬にじゃれつかれた結果、と言ったら信じてもらえた。


 殴られたり蹴られたりで上手く動けないでいた僕に肩を貸して公園まで移動、淡も拭き取って、傷口を洗って、消毒までしてくれた。

 そこまでしてくれた彼女を騙すのは、正直心が痛む。

 けれど、僕ももう高校生。

 いじめてきた不良共は二年生から三年生。

 あんまり事を荒立てると、就職や進学にまで響いてくる年頃だし、下手をすれば親や教師にまで迷惑が掛かる。

 それは僕も、きっと彼らも望んでいない。

 僕以外が得をしないなら、そんな事はしない方がマシだ。


「暴れた分、喉も乾いているだろう。飲め、私の奢りだ」

「あ、ありがとう…何から何まで…」

「気にしないで良いさ」


 冷えたペットボトルのジュースが手渡される。

 …ここまで来ると、感謝より罪悪感や不信感が大きくなってくるのは、僕だけだろうか。

 ただ通りすがっただけでここまでしてくれる彼女に対し、申し訳ない気持ちと、何か企んでいるのかと疑う気持ちがぐちゃぐちゃしてきて…逃げたい気持ちになってきた。

 僕がペットボトルを握ってこんな事を考えている間にも、彼女は僕の傷の心配とか、家まで送ろうかとか、そんな事を一方的に話しかけてくる。

 ありがたい、ありがたいんだけど…

 話の切れ間が欲しくて、僕はジュースを口にする。

 グレープジュースみたいなわざとらしい甘みと、鉄の臭いみたいな妙な風味が口の残る。

 飲んだ事の無い妙な味。新商品だろうか。


「…飲んでしまった、か」


 一瞬、小さな声が聞こえて

 パン、と弾けるような音がした。

 視界いっぱいに真っ赤な液体が飛び散って、全身がいやに熱い事に気付く。


「『切り札ジョーカー』より『プランナー』、任務を完了した。回収するならさっさとしてくれ」


 急に訪れた熱さにびっくりして、思わずペットボトルを取り落とす。

 キャップを開けたまま落としてしまったボトルを拾おうと、反射的に手を伸ばした時、ようやく、飛び散った真っ赤な液体の正体が分かった。

 裂けている。

 手首が、足首が、腹が、胸が、至る所が内側から裂け、真っ赤な血液を噴出していた。


「え」


 間抜けな声を漏らしたのを最後に、僕は意識を失った。


■ ■ ■ ■ ■ ■


 症状:血液操作シンドローム:ブラム=ストーカー


 とあるウイルスによって発症する『病気』、発症した者は自身の血液を操る力を得る。

 具体的に言えば、血を人型に固めて動かしたり、古くなった血を排出して若い見た目を保ったり。

 …相手の体内に打ち込んだ血を暴走させて、相手を体内から食い破ったり。


 もうすっかり日が暮れた、街灯だけが照らす公園のベンチ。落ちたペットボトルに手を伸ばしたまま、全身の血管を開き、血を噴き出して死んでいる少年___花坂 ユウ。

 つまり、私は彼に対してそれをしたという訳だ。

 飲料に私自身の血を混ぜて、体内に侵入させ、そのまま血液を操作し、殺した。


「指令から二十四時間以内で任務達成、ですか。流石『切り札』。見事な腕前です」


 平坦な声で称賛を告げる薄気味悪い女。

 ぞっとする程美しい容姿で、長い黒髪をかきあげながら、少年の死体を片手で撫でる彼女が、今回の雇い主で、私の上司だ。


「…随分遅かったね『プランナー』。いつもなら、パンってやった次の瞬間には背後に立ってるのに」

「いえ、少々興味深い事がありましてね…《ワーディング》は張っておいたので、問題は起こっていないでしょう?」

「…UGNに嗅ぎつけられたらどうする気なんだい、全く」


 この上司が、私は嫌いだ。

 もっと正確に言えば、今回の任務の発生から現在に至るまでで、彼女の事が最高に嫌いになった。


 不良共に気に入られてるだけの、『普通の学生』の殺害任務。

 私のクラスメイトでもあった彼…花坂を殺すべき理由が、私には掴めなかった。

 裏社会との繋がり、なし。

 敵対組織『UGN』との繋がり、なし。

 私たちが居る『世界の裏側』との繋がりも、全く見つからなかった。

 掴めたのは、ただ不幸な少年の人生だけ。

 通り魔に両親を殺され、育児放棄気味な叔父に引き取られ、時折叔父に家庭内暴力を振るわれながら、学校でも不良に捕まっているのをよく見る。

 探れば探る程、なぜ殺すのかが分からない。

 目的さえ知らされずに、顔を知った人間を殺す。私はそういう任務を受け取った。

 くそくらえ。

 …まぁ、組織のトップの前で、それを口に出す程の度胸は無いのだが。

 そこまで考えた所で、彼女が口を開く。


「意見があるなら、言った方が得だと思いますがね」


 明らかに見透かされている。

 私は諸々の感情を込めて、思いっきり長い溜息を吐いた。


「ふむ。少しは罪悪感で嘆くのも良いと思います。心だけでも人間である為に」

「今更何言ってるんだよ『プランナー』…。私のスコアは、今日で50を超えてしまった」


 私が返した言葉に、プランナーは満足げに微笑んだ。

 相変わらず、背筋が冷える程に美しい笑顔だった。


「それは何より。…それより、始まりましたよ」


 プランナーに促され、私は死体を見た。

 血は完全に凝固して、流血は止まっているようだが…普通に死んでいる。

 何が始まったのか、そう問いかけようとした所で、察した。


 凝固してかさぶたのようになっていた傷跡が、内から再び湧き出した血液によって、突き破られ、剥がされる。

 噴き出す血の最中、傷跡にピンクの肉が盛り上がり、新たな皮膚が生成され、傷など最初から無かったように修復される。

 血が抜け青ざめていた肌には生気が戻り、鼓動で血管が動き出し、寝息と共に背中が上下をはじめる。


 彼は、生き返った。


「…プランナー。これが、目的?」

「さぁて?」


 血でスーツが汚れるのにも構わず、寝ている少年をおんぶして歩き出すプランナー。

 その動作に迷いは無い。

 まるで、最初からそうする予定だったかのように。


「…」


 可哀想に。

 その一言を発する事もできない程、私は悲しい気持ちになっていた。

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Blood Way @syusyu101

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