第43話 「……っていうことで、わたしの恋は終わりました!」
その日は、彩花は結局自宅でシャワーを浴びてから出勤するということで帰っていった。
涙が枯れるほどに泣き続けて、いっそすっきりした唯子はこの恋の顛末をユノに報告するため。自身もシャワーを浴びてから、ユノにスカイプした。
「……っていうことで、わたしの恋は終わりました!」
「は……はっああああああああ!? 振ったの? あの美少年君が?! あんたを? はああああ? ありえないんだけど!」
「そんなことないよ、わたしなんかにはもともと釣り合わなかっただけだってば」
「……あんた、それ本気で言ってるなら怒るからね」
「えへへ、冗談だよ。彩花さん、たくさん慰めてくれたから、もう平気なの」
「慰めてくれた?」
「髪とか、手のひらとか、腕とかにちゅーしてくれて」
「「虚偽申告!!」」
なぜかユノの後ろで一緒に報告を聞いていた小宮山がユノと一緒に叫んだ。さすが姉弟、息もぴったりである。ではなくて。叫ばれた唯子が目を瞬かせていると。ユノが食って掛かった。
「あんた振られてない! 絶対振られてないわよ!」
「そうですよお! さすがセンパイ、やることやってったわけか!」
「お前は帰れユト。……じゃなくて、唯子いい? 『キスの格言』で調べてみなさい。これ、絶対だからね! あたしはこれからこいつ追い出すから!」
「え、でも」
「いいから!!」
あーあー、じゃあ帰りますかねぇ。二度と来んな! いや、担当編集者だから無理ですからあ。などと会話をしている姉弟に仲いいなーなんて思いながらユノに「調べてみる、またねー」と言ってからスカイプを切る。
ふう、と大きくため息をついてから、スマホを取り出す。実はこの端末、わざわざ業者さんに来てもらって頼んだものだ。引きこもり時代の名残と言っていい。間違ってというかいつものように着信履歴を開いてしまうと、そこには彩花の名前しかなくてなんとなく嬉しくなってしまう。へにゃりと顔を崩したところで我に返る。いけないいけない調べものっと。
そして、作業用のパソコンがあるのに何でスマホで調べ物をするかというと……これはもう癖に近い。
ということで、小さく細い指で軽快に文字をタップする。もちろん調べるのは「キスの格言 意味」というワードだ。
「えーと……。手の上なら尊敬のキス、額の上なら友情のキス、頬の上なら満足感のキス、唇の上なら愛情のキス、閉じた目の上なら憧憬のキス、掌の上なら懇願のキス、腕と首なら欲望のキス……えー、22個も格言があるんだ。面白ーい、これ絶対創作に使えるよね! あ、そうだ。彩花さんがわたしにしてくれたのは……手のひらと腕と髪だか、ら」
画面に並んだ言葉の羅列に唯子は固まった。掌なら懇願、腕なら恋慕、髪なら思慕それは全部恋心を思わせるような格言ばかり並んでいたからだ。ふと思い出されるのは「先生は可愛いからぼくだけはセクハラしていいんです」と言っていた彩花の言葉。そういえばことあるごとに可愛いだなんだと言っていたが、もしかして彩花はそういう告白的な意味で使っていたのだろうか。だとしたら自分は何回彩花の気持ちをぶった切ったのだろうか。
でも彩花は「さよならをしましょう」とも言っていた。ならたまたま唇を当てたところがここだっただけでは? いや、そんなはずはない。だってあの時、彩花は完全に唯子を捕らえていたのだから。じゃあじゃあ、いくつもの肯定と否定を繰り返して唯子は。1つの事実にたどり着いた。
「いまだけはさよならをしましょう」と言っていた。「いまだけは」ということは次は? もし、アメリカから戻ってくるような予定があったとしたら彩花は―――。
「どうするんだろう、……わかんないや」
そんな未来のことまで考えてしたことだとは思わない。現に、彩花はあの場面で満足そうな顔をしていた。唯子も、この恋が終わったことに納得していた。ならいいじゃないか、今さら終わった恋を蒸し返さなくても。
でも、もしこの恋が終わってなかったら? 彩花さんも同じ気持ちでいてくれるとしたら? それはとても幸せなことで、嬉しいことで。でもきっと、いま彩花さんがやろうとしていることには、決意していることには邪魔なものなんだ。
切り捨てたわけじゃない、唯子は切り捨てられたんじゃない。唯子の恋は未来に持ち越されただけなのだ。
じゃあ、いま唯子にできることは。彩花が願ったことは。
「わたしは、輝いてよう。わたしの作品を、もっともっと輝かせよう。彩花さんが、わたしを見失わないように……!」
それがいま、唯子にできることで。彩花が唯子に願ったことであると思うから。
それから、次の原稿を取りに来たのは牧野1人だけだった。なんでも、彩花はプロジェクトリームのリーダーとしてメンバーより一足先にアメリカに渡ったらしい。
牧野は「鳩目先生に挨拶していかないなんて!」と憤慨していたがそれを聞いても、もう唯子の心は揺れなかった。彩花との約束がある、彩花がくれた思い出がある、彩花がくれた愛情があるから。
だから平気、先に延ばされたこの恋があれば唯子はきっといつまでも輝いていられる。
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