第39話 「わたしを『普通』だと思ってる彩花さんを、信じる……?」

「こんにちは、鳩目先生。こちら後輩で小宮山さんの同僚の牧野さんです、しばらく一緒に原稿を取りに来るのでよろしくお願いします」

「ご紹介に預かりました牧野です。よろ……よろしく、お願いします! ふぁああ可愛いよおおおお」

「ひえ!! 鳩目におですよろしくお願いしますぅ……」

「牧野さん、鳩目先生が怯えているので落ち着いてください。鳩目先生、大丈夫ですよ。牧野さんは一見変質者ですけど無害なので放置して大丈夫です」

「先輩ひどい!!」


 蝉時雨がふりそそぐ中、最も暑い時間である14時に後輩・牧野を連れてやってきた彩花。牧野が額にうっすらと汗をかいているのに、彩花はそんなそぶり1つも見せなかった。

 玄関前で自己紹介をしたものの、外気に触れた普段部屋から出ない唯子の顔が真っ赤になってしまい早々に部屋の中に入れられた。ちなみに部屋の中はクーラーがんがんである。

 彩花はいつもの指定席となったソファーに座り、牧野もその横に座る。なんとなくその様子をもやもやした感情で見つつも、唯子は笑顔で冷たい紅茶淹れてきますねーと台所へと向かう。なんとなく、彩花の隣に座る牧野を見ていたくなかった。


(なんで後輩さん連れてくるんだろう? ……あ、研修ってやつかな? しばらくって言ってたしなんか会社によってはあるって聞いたもん。きっとそうだよね、っていうか彩花さんあんな暑い中で汗1つかいてないとかさすが美少年なんだけど!)


 外の暑さに触れたせいかうまく回らない思考を一生懸命に回転させて。というか、汗をかかないから美少年とか、あんた美少年に夢見過ぎよとユノがいたなら言われていただろう。

 暑かっただろうからとコープできた冷えた水まんじゅうと氷をたっぷり入れたグラスにみかんのさっぱりとした香りと後味の紅茶を淹れる。水まんじゅうなんだから緑茶じゃないの? と思われるかもしれないが実はこの組み合わせ、唯子のいまのお気に入りだ。

 それを2人分、おぼんにのせてふらふらと台所を出たところで。


「先生、お持ちします」

「あっ! 彩花さん、大丈夫です。わたし、持てますよ?」

「ふらふらしてなに言ってるんですか。というか2つしかないんですが……」

「わたしはさっき執筆の合間に食べたので! みてください、このお腹が証明です!」


 お盆が浮いたと思ったら、彩花の片手に取られていた。お客さんに持たせるわけにはいかないと、飛び跳ねてお盆を取り返そうとするが確かにふらふらした足取りだったことは否めないためぐっと息を呑む。そんな唯子に視線をやってから、もう取り返さないだろうと思いおぼんを持ちやすい位置に下げた彩花は。そのぼんの上に2セットしかない茶菓子と紅茶を見て首を傾げる。

 それに対して、どこか自慢げにぽんっと自身のへこんだお腹を叩いた唯子に眉根を寄せて唯子を見下ろしたまま深いため息をつく彩花。なぜため息をつかれているのかわからない唯子は首をひねっていたが、そこで「ぷっ」とついふきだしてしまった感じの声が聞こえた。声がでた方向を見れば。


「ふっは、あははははは! 先輩、伝わってないし! 鳩目先生超可愛い!」

「……牧野さん、普通は鳩目先生の意図をくんであなたがぼくのかわりに出るところなんですからね」

「あたし今日初日ですもん。鳩目先生がどんな行動するかなんてわかりませんよ」

「……鳩目先生は必ずお茶を出してくれますから、手伝ってさしあげてください」

「はーい」


 けらけらと大きな声で笑う牧野に、悪気はない。けれど、その大きな笑い声はどこか親友だと唯子が勝手に思っていた少女に似ていて。唯子はちゃんとわかっていた。牧野はあの子ではない、名前も容姿も全然違う赤の他人で。でも、それでも笑い声が嘲笑と重なって耳を打つ。震えているのは悔しいのでも寒いのでもなくてただただ怖いから。

 顔を青ざめさせた唯子になにか感づいたように、彩花は足早にローテーブルまでいっておぼんを置いて唯子の元まで戻ってくると。いきなり青くなりだした唯子に不思議そうに首をかしげている牧野を放っておいて唯子の側まで来ると、その場にかがんで。唯子の青い白磁の肌である両頬に手を添える。自分の額と重ね合わせるようにしてそっと呟いた。


「大丈夫です、ぼくは先生を『普通』の女性だと思ってます。だから先生は、そう思ってるぼくを信じてください」

「わたしを『普通』だと思ってる彩花さんを、信じる……?」

「はい」

「……えへへ、それってなんか難しいですね」

「そうですか?」

「そうですよ!」


 にぱっとまだ色の悪さの抜けない顔で、両頬を押さえている彩花の手に自分の手を添えながら笑って。唯子は気の抜けるような声で言った。やっといつもの唯子に戻ったのを見て、ゆっくりと彩花は自分の手を放すと。安心したような、寂しそうな顔を一瞬唯子に向けたかと思うと。

 振り返って、にやにやと口に手を当てて2人の様子を見ていた牧野に冷たい視線を送る。


「牧野さん、お茶を頂いたら鳩目先生から原稿をもらって編集部に帰りますよ」

「えー、まだもうちょっといてもいいんじゃ」

「か・え・り・ま・す・よ!」

「はーい」

「え、帰っちゃうんですか? もうちょっとゆっくりしていっても」

「鳩目先生の優しさは嬉しいのですが、今日は会議もありますし帰ります」


 唯子の言葉に、いつもだったら会議があろうがなかろうが少しはためらう様子を見せるはずの彩花は困ったような笑顔でにべもなく断ると。会話もなく素早く茶菓子と紅茶を食べて飲むと原稿を50枚受け取って牧野を連れて本当に帰ってしまった。

 残ったのはぽかんとした胸底にもやもやを抱えた唯子と彩花が台所まで運んでくれた水まんじゅうの乗っていた皿ととみかんの紅茶の飲み干されたグラスだけだった。

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