第38話 「編集長、例のお話ですが。受けることにしました」
なんの因果か「鳩目にお」と勘違いされている女性が、小宮山と彩花に近づいてきたのである。近づいてくるだけなら問題ないと放置していれば、行く先を遮るように2人の前に立った。しかも第一声が。
「きゃーん、イケメンが2人もいるう! くるみ困っちゃう!」
頭大丈夫かこいつ? 的な発言だった。なにが困るのか。甲高い声が煩わしいしむしろ存在が邪魔だから本当にどけよ!! と着々と開会の時間も迫ってきている中で絡まれてイライラゲージもMAXなうえに。2人が俺。と鳩目におの担当編集者だと知っている関係者からはやっぱりあの人が鳩目におだったんだとざわつく会場に、内心半ギレの彩花。目線が急速に冷たくなるのも無理はないだろう。その冷え切った目で、邪魔な女性……たしか自分でくるみとか言ってた女に物申すため口を開く。
「申し訳ありませんが」
「えー、やっぱりくるみを迎えに来てくれた感じぃ? ありがと、あとでキスしてあ・げ・る」
「結構です。ぼくはぼくの先生を迎えに行くので失礼します」
「なっ……、くるみがわざわざこっちに来てあげたって言うのになにその態度! 信じられない!」
「あなたみたいな人種に理解してほしいと思ったことはないのでご安心を」
「っ!! パパに言いつけてやるんだから! あんたなんかすぐにクビなんだからね!」
「どうぞご自由に」
「パパに言いつけてやるんだから」その言葉でこのくるみとやらが正式な招待客ではないことを理解した彩花。確か柳瀬という弱小出版社の社長の娘がそんな感じの名前だったなと思い出す。どう力が働いても自分をクビにすることはできない、もしされたとしても今度は先生の家で家政夫として雇ってもらえないかなと瞬時にはじき出して。さあできるもんならやってみろと腕を組んで身長差がありながらも見下すように首を傾ける。その冷たい青い目にたじろいだものの、くるみは顔を真っ赤にするとポケットに入れていたスマホでどこかに電話をかけ始める。小宮山はいつの間にかいなくなっていた。
そのとき、後ろからくいくいっと控えめに裾を引っ張られる感触に振り向けば。そこにはチョコミントプチケーキの妖精がいた。
「あ、あの。彩花さん、もうすぐ式始まっちゃうからって小宮山さんが」
「そうですね、行きましょうか先生」
「はい!」
くるみと話しているからと遠慮気味になったのだろう、控えめな裾クイに心の中で悶えつつも唯子が来た瞬間にとろけた笑顔を見せる彩花にほっと胸をなでおろす唯子。
まだ大声でぎゃあぎゃあ電話に向かって騒いでいるくるみを置いて、さっさと手を繋ぎながら舞台袖に行く階段のある小部屋へと向かう唯子と彩花。ちらりと後ろを見ると、警備員に連れ出されているくるみの姿があったが、唯子に知らせるまでもないだろうと無視した彩花だった。
小部屋には先に向かったユノと小宮山がいた。階段にはまだ上っていない。どうやら唯子たちを待っていてくれたようである。
「唯子、あんたあんな電波っぽいのの近くに行って平気だった? 美少年君も電波の相手お疲れ」
「ありがとうございます、俺。先生」
「ありがとユノちゃーん!」
「俺。先生、俺には一度もお疲れなんて言ってくれたことありませんよねえ?」
「私思わないことは口に出さない主義だから」
小部屋の中で話していれば、司会役と思われる女性が開会の言葉を述べ始めた。それからすぐに。
「それでは、俺。先生と、鳩目にお先生壇上にどうぞ」
「行くわよ唯子」
「う、うん。ユノちゃん」
どこかそわそわしている唯子の手をぎゅっと一回だけ強く握って、ユノは先に階段から壇上にのぼっていった。それから深呼吸を一回して、ちらりと彩花の顔を見るとふんにゃり笑みをこぼしてから顔を引き締めると。唯子は壇上にのぼっていった。
その後姿を見ながら、優しい眼差しで彩花は呟いた。
「もう、大丈夫ですね」
「センパイ?」
そこか悲しげにも見えるその姿に、眉をひそめた小宮山が声をかけるがそれには反応を返さずに。彩花は小部屋の中、近くに居た編集長へと声をかけた。
「編集長、例のお話ですが。受けることにしました」
「おお! 本当かい? 少なくとも2年はかかると思うが大丈夫かい?」
「はい、ぼくの恩返しは終わりました。ここからは先生が、自分から歩き出す番です」
「そうか」
「え、センパイどうかしたんですか?」
「おや、言ってないのかい? だめだよ、報連相は社会人の基本だからね。ちゃんと周りにも言っておくように」
「はい、すみませんでした」
たしなめる編集長相手に軽く頭を下げると、教壇では背が足りないためマイクを持ってユノの横でスピーチしている唯子の姿を目に焼き付けるようにじっとみる彩花だった。
「あ、彩花さんのばかばか! スピーチあるなら言ってください! わたし全然うまく話せなかったじゃないですか!」
「先生はきちんと話せてました、立派でしたよ」
「うー……うー……ほ、本当ですか? えへ、ならいいです」
「あ、先生」
「はい?」
「今度から後輩を連れて原稿を取りに伺いますね、よろしくお願いします」
「え? はい? わかりました?」
帰りの車の中、先にユノをおろしてから。唯子の家に向かう途中で、彩花は優しく微笑んだまま、有無を言わせぬ口調で唯子に言ったのだった。
断続的にあるライトに照らされた彩花の瞳が寂しそうだったことを、唯子は気付かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます