第32話 「あの文字Tシャツとかですか?」

(……き、気まずい!)


 公園に入ろうと言われ、懐かしのベンチに座ったまではよかったが。そこからなにも話さず、ぼんやりと砂場を見ている彩花に。唯子はどうしようと内心あわあわしていた。見かけ的には一緒にぼんやりと遊具を見ているように見えたが。

 だが、初夏と言えどもだんだん日が暮れてくるにつれて冷えてくる。だから唯子は思い切って、彩花に話しかけた。


「そういえば、今日のデートって。あの時と反対回りでしたね」

「……気付いてもらえましたか? おねえさんは鈍いので気付いてもらえないかと思いましたよ」

「む、わたしは鈍くありませんよ! いつだって最先端です!」

「あの文字Tシャツとかですか?」

「ぐぬぬ」


 公園で出会って、喫茶店でホットケーキを食べて、映画を見て。

 洋服店は除いて、映画、喫茶店、公園。公園で出会った小さいころの彩花との思い出を今回のデートでは文字通り逆回りにまわったわけだ。

 からかうようにあの文字Tシャツとかが最先端なのかと聞かれて思わず歯噛みする唯子。別に本気でしているわけではないが。あの文字Tシャツはネットで買ったものなので別に最先端でもなんでもない。

 そこでふと気づく、そういえば。そういえばあの時に見た映画も。


「るいくん、あの時に観た映画もアイ×スピの無印劇場版じゃなかったでしたっけ?」

「はい、そうですよ」

「わー、ちょうどデートのときに同じのがやってたなんてびっくりですね!」

「……そうですね」


 そっと目をそらして首をぎこちなく縦に振った彩花に、なんとなく感づく唯子。まさかとは思うが。


「映画、無理矢理放映させたりしてませんよね……?」

「無理やりはさせてません。ちょっとお願いをしただけです」

「お願いで映画を映画館で再放送してくれるんですか!?」

「その……ぼくの家が少し特殊なので1ヶ月前からお願いしていたこともあって頷いてくれました」

「家が少し特殊……? ……ちょびっと?」

「祖母が旧ソ連の大統領の一人娘で、祖父が石油王、母が元華族系統の大財閥出身で父がイギリス女王陛下の弟です」

「ひえっ!! 権力者揃いじゃないですか!?」


 なんという恐ろしい家系に生まれたんだるいくん!! 自身も天才とか。お金が集まるところには集まるように、天才のところには天才が揃うのかと若干白目を剥きかけた唯子だったが、隣でこぼれるように小さく笑った彩花に目線を向ける。すると、肩を震わせて口に手のひらを当てて彩花が耐えきれないと言わんばかりに小さく笑っていた。

 その様子を不思議そうに見遣りながら、首をかしげる唯子に。彩花は口元を笑わせたまま眉をと口もとを覆っていた手を下げた。


「いえっ、いままでこの話を聞いてすり寄ってきた人ならたくさんいるんですけど。ひえってっ。怖がった人って見たことなくてっ」

「だってだって! びっくりしたんです!! すみませんね、変な反応で! 大体権力者にすり寄る方がおかしいんですよ、人生身の丈に合ったことが一番です」

「いいえ、おねえさんらしくて好きですよ。その反応。……そうですね、身の丈に合ったことが一番です」


 ぷう。子どものように頬を膨らませてそっぽを向いたものの、隣からまたかみ殺すような笑いが聞こえる。いっそ大声で笑ってくれた方が羞恥心が煽られなくてすむのにと、耳まで赤くしながら唯子は小さく彩花の横腹を小突いた。

 そこでようやく笑うのはやめにしてふわりと麗しい顔面を崩したまま、確かに。と頷いてくれる。


「身に合わない大きな権力は身を崩しますからね」

「そうですよ! 例えばわたしが両親の遺産があるからって金色のTシャツ着てたらどう思います? 絶対近づくの嫌になるでしょ?」

「……相手がおねえさんならためらいませんが、知り合いとかまったく知らない人だと近づきたくないですね」

「でしょう? っていうかわたしでもためらってくださいよ。……ということで、わたしはいつものTシャツ着てるんですよ!」

「……なんか話の筋が逸れたような気がするんですけど」

「気にしたら負けってどっかの偉い人が言ってました!」


 どこの偉い人までは知りませんけど! と唯子が平坦な胸を張れば、考え込むように彩花は顎に右手を置く。


「偉い人ではなくネットスラングの一種だと思いますよ?」

「ぐうっ! ……るいくんはどこまで博識なんですか。ふむ、ここは唯子お姉さんが褒めてあげましょう。いい子いい子」

「あ……」

「え!? なんかやばかったですか!?」

「い……え」


「博識だ」と言われて、彩花の胸は痛んだ。天才天才と祭り上げられてきた過去。おねえさんもぼくをそういうのかと痛んだ胸は、小さな手で頭を撫でられたことによって霧散した。祖父母も父母も可愛がってはくれた。十分な愛情を与えてくれたからこそここまでグレずに育ってこれたのだと彩花は思っている。

 でも、さっき唯子が言ったように皆権力者で、権力者ということはそれに伴う仕事という義務が付随するわけで。こういう風に頭を撫でて可愛がってくれたことなんて一度もなかった。

 だから撫でられた途端思わず声が漏れた。それにびくついた唯子になんでもないと告げると、髪の毛さらさらですねーなんてのほほんとした声色の唯子に頭を差し出しながら。彩花はゆっくりと目を閉じたのだった。



「おねえさん、今日のデートのコンセプト。わかりますか?」

「コンセプトあったんですか!? うーんと……『思い出巡り』とか?」

「いいえ。違いますね」

「ぶー、意地悪しないで教えてくださいよー」

「『さようならのために』です」

「え!?」


 ぎょっと目を向いて彩花を見上げてくる唯子を微笑ましくみながらも、彩花は言葉を続ける。


「あの頃のぼくと、おねえさんに『さようならをするために』。今回のデートを組みました。そして、終わりは始まりでもあります。ぼくと先生という新しい関係を築くために、どうか今日からもよろしくお願いします」

「こ、こちらこそ! よろしくお願いします! 彩花さん!」

「はい、先生」


 2人して穏やかに笑いあった後は、さすがに寒くなって来たという理由で。唯子の家で改めての「彩花さん、担当編集者着任祝い」ということで帰りにスーパーで買ってきた安くなった(彩花はそもそも安くなること自体知らなかった)惣菜を買って、鍋をして温まったのだった。


「それと」

「はい?」

「先生はご自分で思っているよりもずっと、『普通』ですよ」


 彩花が帰るときに、ふと思い出したように顔をあげ扉に手をかけながらの一言。

 ぱたん。軽い音をたててしまった扉に。なによりも焦がれていた『普通』という言葉を与えられて。唯子が赤面してしまったのは内緒だ。

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