第31話 「……うん、えへへ。お姉さん的に満点を上げましょう!!」

 からんからんと店に入った時と同じベルの音に見送られて、唯子と彩花は扉の外に出た。そんなに長く居たつもりもないのに、気づけば空は夕暮れに染まっていて。

 もう初夏で冬に比べて日差しが長引いたというのに、空が染まるまで居たなんてよっぽどゆっくりしちゃったんだなあと店の居心地の良さに改めて驚く。ずっと座っていたから、なんだか身体が鈍ってしまった気がして。んーと大きく伸びを1回すると、彩花が穏やかな眼差しで唯子を見ていた。


「ちょっと寄りたいところがあるんです、いいですか?」

「はい、もちろんです!」


 当然のように頷くと、唯子と彩花は再び手を繋いで歩き出したのだった。人通りの少ないところだから、手を繋ぐ必要なんてないという言い訳を忘れたふりをしながら。



「つきました、ここです」

「ここ……公園、ですか?」


 見慣れない通りに周りをきょろきょろしていた唯子は、彩花の声に視線を前に固定する。ぽかんと見覚えのない公園の入り口で、立ち止まって手を繋いでいる唯子と彩花の横を18時を知らせるチャイムが鳴ったため帰ろうとする子どもたちが駆け抜けた。

 いや違う。見覚えがない……ある? どこか遠い記憶の片隅で、こんな感じの公園を見た気がすると唯子は首を傾げる。その横で、ただまっすぐに彩花は公園を……しいて言うなら、公園の中にあるベンチを見ていた。


(そう……そうだ、男の子が。泣いてて。わたしも昔は泣き虫だったんだよって)

「11年前、ここに少年がいました。少年は泣き虫で、来日したその日に親とはぐれて泣いていました。そこに、少年と変わらないぐらいのセーラー服を着た少女が来ました」

「え……」

「『大丈夫だよ、わたしも前はすーっごく泣き虫だったんだよ! 仲間だね!』って言って、それでも泣き止まない少年に、ホットケーキやチョコレートコーヒーをご馳走してくれて。映画では大きなポップコーンを2人で分けて食べました」

「それ……なんで彩花さんが」

「お久しぶりです、おねえさん」


 眉を下げて、泣きそうに笑った彩花に、ついいつもの癖で彩花さんと呼んでしまった唯子は呆然となった。

 遠い日、あの日もこんな初夏だった気がする。短縮4時間でお昼前に終わった高校、いつものホットケーキを食べようと普段は通らない道を通ったら1本間違えてしまっていて。この公園にたどり着いた。人目を惹く銀髪の男の子が公園のベンチに座って一生懸命顔を拭って涙をこぼさないように泣いていた。だから、迷子かな? と思って近づいたのが最初。


『ねえねえ、君。お名前は? あー……つたわるかなあ? こんなことだったら英語の授業真面目に受けとくんだった』

『ぼく、ひっく、にほんごぐす、わかります』

『ほんと!? よかったー。わたしはね、五月女唯子。唯の子どもって書くんだよ! 君はどこから来たの?』

『ぼく……ぼく……るいっていいます、これから、いままではロシアでこれからひっく、イギリスにいくんです』

『そっか! じゃあ、るいくんはお引越し中なんだね。これから英国紳士になる男の子が気安く涙なんて見せちゃダメだぞー。なーんて。はい、ハンカチ。わたしも昔すーっごく泣き虫だったから人のこと言えないんだけど、仲間だねぇ!』

『おねえさんも?』

『えへへー、お姉さんだなんて。なんか照れちゃうなぁ』


 最初はすぐに交番に連れて行くつもりだったのに、なかなか泣き止んでくれなくて。青い潤んだ瞳で見上げてくるから。まるで、両親が死んだころ、泣き暮らしていた自分に重なって。せっかくだからと喫茶店や映画まで連れ回してしまった。それに、この子がロシアで遠巻きに見られることはあってもなかなか話しかけてくれる人はいないと言っていたから。そこに高校で遠巻きに見られる異質な自分を重ねてしまったのかもしれない。にしてもあの頃のわたしの受け答えアホすぎるでしょと頭を抱えたくなったが。現実では彩花に手を握られているし、なんか空間切り取って額縁に入れておきたいほどに美しくも儚い笑みを向けられているから無理なのだが。


「どうでしたか、おねえさん。ぼくは今日、ちゃんとエスコートできたでしょうか? ちゃんと、英国紳士になれましたか?」

「……うん、えへへ。お姉さん的に満点を上げましょう!!」

「ありがとうございます。じゃあ、これはおねえさんに返しますね」

「ん?」

「勝利祈願のお守りです」

「あ……」


 彩花が首から下げていた紐の先についていたのは。朱色の生地に金糸と銀糸で刺繍された「勝利祈願」。それは確かにあの子、るいくんに渡したものだった。あのころになってようやくわかったが、泣き虫でたぶんうるさかったのだろう。唯子に、唯一両親が買い与えたものだった。そうとも知らず、喜んでいた小さなころの自分。この子が、るいくんが周りにそう思われなければいいと思って渡したものだった。


『おねえさん、なんてかいてあるの?』

『ふっふっふ、これはねー。「勝利祈願」、ようは勝てますようにっていうお守りなんだよ』

『? なににかつの?』

『弱い、泣き虫な自分に勝てるようにって言うお守り! わたしが小さいころに買ってもらったんだよ』

『ぼく、かてるかな?』

『大丈夫だよ、わたしも力たくさんもらったし。きみにも力をくれるようにお願いしといたから!』

『ありがとう、ぼくのまほうつかいさん!』


「これのおかげで、ぼくは弱い自分に勝ってきました。だから、ぼくはもう平気だから。これはおねえさんに返します」

「……もう、大丈夫ですか?」

「はい」

「わかりました、じゃあ、もらいますね」

「それと……」

「それと?」

「少し、中に入って話をしていきませんか?」


 そう言って繋いでいない方の手で公園を指さした彩花に、唯子は小さく頷いたのだった。

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