第21話 「なんでそこで俺。先生なんですか」

「え゛、唯子あんた校長室当たったの!? マジで!?」

「うん! 本当だよ、ほらー」

「わっ、マジもんだわ。運営引き入れると思ってたけどここまでするとはねー」


 その日の夜……もすぎ夜半よわとでも言えばいいだろうか。印刷した入場証に書いてある番号をカメラに近づければ。ユノも顔を近づけて、番号がわかった途端ドン引きしたような声を出した。

 まあ確かに。いま『カクヨム』で最も旬な作家といえばだれでも鳩目にお、俺。の2人だと答えるだろう。その2人を引き入れるために随分と大きなエサを撒いたものだとユノは内心ため息をつく。

 食いつくものは食いつくだろう、ただし食いつく魚が全部善意あるものとは限らない。中には「人気でスペースを取ったんだ」というやつもおりかねない状況に、この小さな友人が傷つかなければいいんだけど。とユノはあとで忠告だけはしておこうかしらと唯子の心を案じた。


「ま、校長室ならスペースたぶん向かい合わせだと思うのよね。だから色々わからないことがあったら聞いてくれていいわよ」

「ありがとユノちゃん、すっごい助かる!!」

「なに持っていったらいいかとかも気軽にスカイプして。あ、一応言っとくけど作品部数は1000くらいは確実に持っていった方がいいわよ。おすすめの印刷所教えようか?」

「ユノちゃん先輩大好き! ぜひよろしくお願いします!」

「そのかわり」

「そ、そのかわり……?」


 入場証を下げて、いつも通りふにゃふにゃした笑顔で応じる唯子に、ラノベフリマの先輩として色々教えるつもりのユノはスマホでもいいわよーと言いつつも言葉を切ると。なにを要求されるのかと唾を呑みこんだ唯子に。きゅっと眉根を寄せて怖い顔をすると人差し指を立ててカメラに近づけて言った。


「夜中の飯テロはやめてちょうだい。私あんたと違っていくら食べても太らない体質じゃないんだから! なによあのパンケーキ! 超美味そうじゃない!!」

「あ、ははは。はーい」


 文句を言っているのか褒めているのかはわからないが、実に乙女らしい問題だった。



 今日も今日とて「進捗具合を見てきます」と編集部の方を誤魔化して、唯子の家にやってきた彩花。ソファーに座ってふと見た作業場で一心不乱に挿絵を描いている唯子のその横、猫の卓上カレンダーを見てぽつりと呟いた。


「ああ誕生日ですね」

「え?」

「今日、ぼくの誕生日でした。まあ、だからどうということも」

「え、え、え、え、ええええええええ!?」

「先生うるさいです」

「ゆ、ユユユユノちゃーん!!」

「なんでそこで俺。先生なんですか」


 なんでもなさそうに言ってたわりには、ユノの名前が出てくると不機嫌そうになるあたり、彩花もまだまだ子どもである。唯子は唯子で頼れるというか相談する相手がユノしかいないからユノの名前を呼んだだけなのだが。急いで液晶タブレットで絵を描いていたのを中止にして、ユノにスカイプを発信する。数コールで出たユノは、事情を聴くなりなんのためらいもなく答えた。


「サイン本」

「え?」

「あんたのサインの入った、ラノベフリマで出す用の本一択に決まってるでしょ」

「なにそれすごい安上がり!! じゃなくてね。サインとか……一択なの?」

「当たり前。私ちょっと本気で入稿に間に合わなくなりそうだから切るわ、じゃあね」

「ええええええ!?」


 容赦なく切れたスカイプに、暗くなった画面に。おそるおそる唯子はゆっくりと後ろ……彩花が座っているソファーを振り返る。少しうつむいている彩花に、イスから降りると心配そうに近寄る唯子のさらりとした白金の髪が光を弾いた。が。


「サイン本……先生の手書きサイン本……」

「や、やっぱり嫌ですよね! なにかいいものアマゾ○で探ってみま」

「ぜひ、サイン本で!!」


 いまだかつて見ない目の鋭さと輝きで、彩花はがしっと唯子の両手を包み込むように掴んで叫んだ。そして跪いて下から見上げ、場所が場所で騎士の格好をしていたら忠誠を捧げる儀式のように清廉に。けれどもどこか甘えた声色で誘惑するように唯子にねだった。当然何かしらの反応を示すかと思われた唯子は。


「えー、でも……本当にいいんですか? わたしサインの練習したことないですし、へたっぴですよ? きっと」


 無反応だった。ちょっとでも顔を赤らめるとか反応を期待していた彩花はがっかりしたが、まあ引かれたりしない分ましかと思い直して。こほんと咳払いを1つ。ついで立ち上がって、自分から握っていたくせに繋がっている手を見るとぎょっとしてゆっくり、壊れ物でも扱うみたいに丁寧に手を離した。ただ少し名残惜しそうにしているのがポイント高い! と唯子は心の中で称賛していた。


「あ、じゃあじゃあ! 印刷所さんから本が届いたら一番にサインして彩花さんに献上しますね!」

「……は?」

「え……あ、彩花さん?」

「ぼくに、先生の小説を、無料で受け取れとおっしゃる?」


 ひどく低い声がうつむいた彩花の口からもれて、それにあわてた唯子が前言を撤回しようとする。


「え、いらないならいいんで」

「いります! 欲しいです! でも、でも……そんなのずるいでしょう。ぼくは、あなたのファンとしてこれからも応援していたいんです。なのに、対価と交換でもなく手に入れるなんて出来ません」

「でも……誕生日……」

「じゃあ、ぼくが買った本に初めてのサインをしてください。それで相殺です」

(おあいこならともかく、相殺って……誰と戦ってるのかな?)

「先生?」

「あ、いえ! じゃあ早めに買いに来てください、一生懸命素敵なサイン考えておくので!」

「わかりました」


 顔を上げて静かに微笑んだ彩花に、やっと機嫌が直ったらしいとほっと息をつく唯子なのであった。

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