第16話 「魔法をかける準備、してもいいですか?」

「ユメトくーん……むにゃ、世界平和のためにさわらとかわらの関係性について一言お願いしますー……うにゃ」

「望月ユメトもそんなこと言われても困ると思いますよ」

「……んみ?」

「おはようございます、先生」


 長い白金色のまつげを瞬かせて、ユメトくん抱き枕を抱えながらごろごろした寝言に返ってきた言葉にきょとんとする。そのまま眠気眼で前を見ればうすらぼんやり朝日に照らされて銀色の山が見えた。

 唯子の寝床……ロフトは全てに布団が敷かれ、寝相の悪い唯子がどこで寝てもいいようになっている。そして、唯子はカーテンは開けて寝る派だ。ついでに言えば、なんで寝相の悪い唯子がロフトなんて危ないところで寝ているかというと。それはひとえにロマンというもののせいだ。

 ぶかぶかのロングTシャツで目を良くこすってからもう一度見ると、それは人の頭部だった。そして、この部屋に入れる銀髪のひとなんて唯子は1人しか知らない。


「彩花さんだー、おはようございますー」

「……おはようございます先生、その、む、胸が見えそうなのでもう少し恥じらってください」

「え、あ。うーんと。い、いやーん?」

「違います」


 今日も危機管理能力がゆるっゆるの唯子にはだけた首もとから見えそうなかすかな膨らみ。胸を見ないよう顔をそらしながら、彩花は真顔になった。

 いやーん、ではない。いやーんでは。しかも言う前に「うーんと」とか考えていた。彩花は男で、唯子は7歳くらいでからだの成長が止まっていても女なのだ。なのにこれじゃあ。


(まったく男として意識されてない……!)

「彩花さん? 顔こわいですよ? どうかしたんですか?」

「……先生にだけは言われたくないです。ってなにしてるんですか!」


 どうしたんですか? と口で言いながら唯子の両手はスカート状態になっているロングTシャツの裾をめくろうとしていた。思わず、怒鳴ってしまったのは仕方のないことだと彩花は思っている。

ロフトに上がるためのはしごに掴まる手がぎゅうっと強く握られ音がした。え? と不思議そうな悪気のまったくない顔で、唯子は言う。


「え、着替えようかと」

「ぼくはいったん家でますから! 5分の間に着替えてください! いいですね!?」

「えー、そこまでしなくても誰もこんなつるぺ」

「い、い、で、す、ね!?」

「は、はい」


 美人が怒るとこわいとは聞いたことがあった唯子だったが、美少年が怒ってもこわいということが判明したと内心戦々恐々としながら唯子はこんな幼児体型に興奮する人なんているのかな、少なくとも彩花さんはいままで唯子が遭遇してきたロリコンどもとは違うと思うんだけど。

 と、自分にロリコン容疑がかかったことなど知らず、彩花ははしごから降りマンションの1室である家を出て行った。

 というか、そもそも。いつものタイツはすでに履いてるしワンピース調になってしまう文字Tシャツは。


「この下に着てるからロンT脱げばいいだけなんだけどな」


 別に唯子は無駄にロングTシャツを脱ごうとしていたわけではなかった。5分もいらない着替えはここにあった。



「あのー、彩花さん。終わりました」

「……失礼します」

「い、いえ」


 なんだかどんより? 怒っているような自分が情けないと言わんばかりというか。複雑な雰囲気を纏わせながら、扉越しに入室を促した唯子の横を通り過ぎ。彩花はリビングと呼べばいいのだろうか、いつもの作業場の後ろにあるソファーへと持ってきていた大きなボストンバッグを横に置くと身を預けた。

 唯子は、その間に手作りのショートケーキと紅茶、クロワッサン1つとホットミルクののったお盆ををよろよろしながら台所から持って歩いていた。すぐさま気付いた彩花が立ちあがり持ってくれたためひっくり返すことはなかった。紳士だ……! と唯子は感動した。

 さりげなく時計を見ればまだ朝の7時だ。こんなに早くなんの用だろう、久しぶりにお話しできそうで嬉しいななんてえへえへ両手で口を隠しながら笑っていれば、彩花の銀色の髪のつむじが見えた。頭を下げているらしいと数十秒かかってようやく唯子は認識する。


「え?」

「朝早く来て申し訳ありませんでした、先生がまだ起きていない可能性を考慮すべきでした。なにぶん浮かれていましてすっかり頭からぬけおちていました」

「え、あの? 早く起きないわたしが悪いので! 頭あげてください!」

「いえ、先生は原稿をされていたんでしょう。小宮山さんから話は聞いています。せめて昨日のうちに一報入れるべきでした。申し訳ありません」

「本当に気にしなくていいですけど……じゃあ、起きてなかったわたしも悪くて、一報くれなかった彩花さんも悪いってことで」

「でも……」

「いいんです!」


 言い切ってから。「紅茶が冷めちゃいますし、どうぞー」先ほどお盆で持ってきていて、ローテーブルに置いたそれにのっていたショートケーキと紅茶を彩花の前におく。

 彩花の目には、ふにゃふにゃ幸せそうに笑っている様に見える唯子に少し疑問を抱くも。まあいつものことかと諦め半分でショートケーキの皿の上にのっていた小さなフォークを手に取る。その前で、唯子は朝ご飯のクロワッサンをかじる。

 ちまちま小さい口でかじりつつ小宮山さんとは連絡とってたんだ、と思うと。胸の中にちょっともやっとした感触がわき上がったが、なんとなく彩花に目をやると、なぜかこちらを微笑ましそうに見ていたため美少年の微笑みで胸の下のもやもやは消えた。

 そしてこれ以上身長は伸びないと知りつつも願掛けで牛乳を飲んでいるのは内緒だ。ちなみに今日はもう4月だというのに寒かったため、ホットミルクである。束の間の休息、と唯子は思っていたが。彩花の食べるスピードは早かった。唯子が食べおわったときには、ごそごそと横においた大きなボストンバックの中身を探っていた。


「あのー」

「先生」

「は、ひゃい!」

「魔法をかける準備、してもいいですか?」


 そういって、彩花がゆっくりボストンバッグの中から取り出したのは。朝日にきらりと銀色に輝く鋏だった。

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